2019年講演会レポート

近世の都市ローマ−ローマ人のローマを探る(概要)

6月例会(468回) 

・日時:2019年6月18日 (火) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:原田亜希子氏(慶應義塾大学講師)

   略歴ː  慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。2008年イタリア政府奨学金にて

            ローマ第三大学に、2013年日本学術振興会若手研究者海外派遣プログラムにてボローニャ大学に

            留学。近世イタリア史、特に都市ローマの歴史を研究している。現在、大阪市立大学都市文化研

            究センター研究員。慶應義塾大学にて講師を務める。

・演題:近世の都市ローマ -「ローマ人」のローマを探る-

   概要:「永遠の都」ローマ。現在でも歴史の痕跡が至る所に溢れるローマは訪れる者を魅了し、多くの

    歴史家がその生涯を捧げてきました。しかしその一方で、古代や近現代に比べると、近世のロー

    マの研究は多くはありません。ルネッサンスやバロック芸術が華開く16,17世紀は美術史や建築

    の分野では研究が進む一方で、歴史学においてはリソルジメント期のイタリア人特有の歴史観の

    影響から否定的に捉えられ、もっぱら「教皇庁」のローマとして扱われてきました。そこで、本

    講演ではこれまで見過ごされてきた都市固有の社会構造や行政組織に注目し、「ローマ人」の 

    ローマの魅力を、最新の研究状況や史料をご紹介しながらお話ししたいと思います。

   (原田亜希子)

 

イタリア研究会第468回例会が開かれました。演題は「近世の都市ローマ−ローマ人のローマを探る−」。講師は慶應義塾大学講師の原田亜希子さんでした。

講師の原田さんは小学生の時期にローマ在住の体験があり、慶応大学でイタリア語を学んだことからイタリア史に興味をいだき、ローマ第三大学、ボローニャ大学に留学して、史学研究の面白さに嵌まってしまったという経歴の持ち主です。ここで言うところのローマ人はもちろん古代ローマ人ではなく、江戸っ子と同じような意味でのローマ人です。

ローマは歴史が重積した街で、古代ローマの遺跡が残る街、そして教皇領(教皇国)の首都としての側面ばかりが強調されがちですが、他のイタリア都市と同じように都市政府がありコムーネとして働いていたことも忘れてはなりません。近世の都市ローマの発展は1420年のマルティヌス5世のアビニョンからの帰還に始まりますが、その頃のローマの人口は多く見積もっても3万人で、城壁の中にも空き地が多く、牛や羊がさ迷っているという状態でした。そこに教皇庁が豊富な資金を投入して、キリスト教の本山にふさわしい街づくりを進めたわけですが、これまで都市政府が果たした役割は教皇庁に較べるときわめて限定的と考えられていました。それには都市政府側の資料が乏しいことも影響しており、原田さんは評議会議事録、裁判資料など膨大な資料を読み解くことによって、都市政府も重要な役割を果たしており、教皇庁と相互補完的な働きを持っていたことをあきらかにしました。

面白いのは、何年かに一度からならず巡ってくる、現教皇が亡くなって、次の教皇が選ばれるまでの空位期間を都市政府が巧みに利用していたこと、都市政府からは排除されていたオルシーニ、コロンナなどの名家とも時には合従連衡するという巧みな戦略を使って、都市政府が力を発揮していたという点かもしれません。まさにマキアヴェッリの世界です。ローマの歴史にご自分の研究成果を織り込みながら、きわめて内容の濃い90分の講演とする原田さんの力量に聴衆は感心し聴き入っていました。原田さん、ありがとうございました。(橋都浩平)

 

ウンガレッティにおける生死の詩情(概要)

5月例会(467回) 

・日時:2019年5月21日 (火) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:マルティーナディエゴ氏(詩人・翻訳家)

 略歴:1986年イタリア生まれ。ローマ・ラ・サピエンツァ大学東洋研究学部日本学科(日本近現代文学

    専門)学士課程を終了後、日本文学を専攻、修士課程を修了。東京外国語大学、東京大学に留学。

    谷川俊太郎作『二十億光年の孤独』などを伊語訳、刊行。2018年刊行の自身初の詩集『 元カノ

    のキスの化け物』は、読売新聞において「2018年の3冊」として、歌手一青窈氏に選出され、書

    評を頂く。

・演題:ウンガレッティにおける生死の詩情 

 概要:エルメティズモ派の先駆者と言われるイタリアの詩人ジュセッペ・ウンガレッティ(1888年

    -1970年)をテーマとした講演会。 第一世界大戦へ出征した詩人は、生と死に触れ、その体験を

    詩に委ねる。1916年に発行される彼の処女詩集『埋もれた港』等の詩を読み解きながら、エルメ

    ティズモ派の詩への理解や、ウンガレッティの詩情を究めていく。(マルティーナディエゴ)

 

イタリア研究会第467回例会が開かれました。演題名は「ウンガレッティにおける生死の詩情」、講師は詩人で翻訳家のマルティーナ・ディエゴさんです。マルティーナさんは昨年、日本語による処女詩集「元カノのキスの化け物」を出版され、また谷川俊太郎の詩集をイタリア語に翻訳されており、翻訳というものについても一家言を持っています。

ひと言で言えば、たいへん「熱い」講演だったと思います。ジュセッペ・ウンガレッティは1888年に生まれ1970年に亡くなった20世紀イタリアを代表する詩人の1人です。彼はエルメティズモ派に属しており、その詩は簡潔で、難しい言葉を用いてるわけではありませんが、逆に多義的な解釈を許し翻訳は簡単ではありません。日本では河島英昭さんが全詩集を翻訳しており、須賀敦子さんもいくつかを翻訳しています。マルティーナさんは彼のいくつかの詩の原文と、河島さん、須賀さん、マルティーナさんによる翻訳を提示して、それを朗読しながら話をされました。

エルメティズモはイタリア語の音感を重視しており、脚韻よりも頭韻を重視しています。そしてウンガレッティは第1次世界大戦への従軍体験を元に詩作を始めましたので、その詩では当然のことながら生と死とが重要なモチーフになっています。しかしそれを直裁的に表現したのでは、それは散文としては成り立っても詩ではなくなってしまうとマルティーナさんは主張します。そしてウンガレッティの短い詩で用いられる少ないイタリア語に彼がどのような意味を持たせ、どのような響きを与えようとしていたのかを詳しく語ってくれました。途中で質問を受け付けながらの講演は、聴衆の反応も熱を帯び、さまざまな解釈や質問が続出しました。僕たちのイタリアの詩、そしてイタリア語そのものに対しても、蒙を啓いてくれた講演であったと思います。マルティーナさん、ありがとうございました。

最後に彼のもっとも有名な詩「Soldati」をマルティーナさんの翻訳とともに挙げておきます。

Soldati (luglio 1918)

Si sta come
d’autunno
sugli alberi
le foglie

兵士たち(1918年7月)

我々は
秋の
木の
葉のように

(橋都浩平)

イタリア鉄道の歴史1839−2019(概要)

4月例会(466回) 

・日時:2019年4月23日 (火) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:山手昌樹氏(日本女子大学文学部学術研究員)

 略歴:広島県生まれ。2007年、イタリア政府給費奨学生としてトリノ大学へ留学。2011年、上智大学

    大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。2018年、博士(史学)。現在、日本女子大学文学

    部学術研究員。専門はイタリア近現代史(ファシズム、農村、ジェンダー、鉄道)。

    著書に『教養のイタリア近現代史』(共編著、ミネルヴァ書房、2017年)。

・演題:イタリア鉄道の歴史 1839-2019

 概要:1839年10月、ナポリでイタリア半島初の鉄道路線が開通した。それから180年、イタリアにお

    いて鉄道はどのような役割を果たしてきたのか。その歩みは、イタリア統一、ナショナリズム、

    ファシズム、経済の奇跡、ヨーロッパ統合といった、イタリア史上の重要なできごとと密接に関

    係してきた。イタリア鉄道180年の歴史を振り返るとともに、今後も展望していきたい。

   (山手昌樹

 

4月23日にイタリア研究会第466回例会が開かれました。演題名は「イタリア鉄道の歴史1839−2019」、講師は日本女子大学文学部学術研究員の山手昌樹さんです。

イタリア鉄道の歴史はじつは長く、日本よりも30年以上早く1839年にはナポリからポリディチまで7kmの路線が作られ営業を開始しました。しかし1861年のイタリア統一まで多くの国に分裂していたイタリアでは鉄道の延長は思ったようには進みませんでした。鉄道を初めとする文明化に反対する教皇もいたくらいだったのです。しかし統一の立役者の一人であるカブールは鉄道にも大いに関心を持っており、統一後には北部を中心に鉄道網が発達して行きました。

しかしあまりに沢山の鉄道会社が乱立した弊害も見られ、1865年に完全民営化されていた鉄道は1885年には上下分離方式(基盤と運営との分離)が採用され、1905年には国営化されました。これによって老朽化した施設や機関車が刷新され、長大なトンネルも建設されて鉄道は黄金時代へと向かうことになります。ファシスト党も鉄道を民意獲得の1つの手段として重要視し、電化、高速化を進めるとともに近郊型の気動車リットリーナも導入されました。しかし一方でミラノ中央駅からユダヤ人が貨物列車に乗せられて強制収容所へと送られたというイタリア鉄道の負の歴史も忘れるわけには行きません。

戦争中に破壊された鉄道も多かったのに対して、戦後は政府がモータリゼーションに力を注ぎ高速道路の建設に多くの予算が使われたため、鉄道の復興は遅れることになります。そして鉄道が南から北への国内移民の輸送に使われたために、「鉄道=貧者の乗り物」というイメージが定着し、遅れも頻繁であったことから鉄道に対するマイナスのイメージが定着してしまいました。しかしモータリゼーションの弊害も目立つようになり、EU全体の方針としての都市間高速鉄道網の建設が順調に進んだことから、21世紀のイタリアの鉄道は大きく変わりつつあります。都市内の交通手段としても各地でメトロが建設され、トラムの復活やさらに小型のミニメトロの導入など、一部では日本の鉄道事情を凌駕する発展も見せているのです。しばらくイタリアに行っておられない方は、イタリア鉄道の現況にびっくりされるのではないでしょうか。

山手さん、分かりやすく面白いお話をありがとうございました。(橋都浩平)

 

都市とオペラ:ミラノという街が生んだオペラの殿堂スカラ座(概要)

3月例会(465回) 

・日時:2019年3月7日 (木) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:井内美香(いのうちみか)氏 (音楽ジャーナリスト/オペラ・キュレーター) 

 略歴:学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。

 ミラノ国立大学人文学科で  音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとしてオペラ関係のライ

 ター、コーディネーター、通訳として20年以上活動。2012年2月に帰国後はオペラに関する執筆、通

 訳、講演の仕事をしている。
 著書「バロック・オペラ―その時代と作品(共著)」(新国立劇場運営財団情報センター刊)他。

・演題:都市とオペラ 〜ミラノという街が生んだオペラの殿堂スカラ座〜

 概要:都市と劇場は密接な関係を持っています。街の特徴を反映するのが劇場と言えるでしょう。ミラ

 ノ・スカラ座が世界屈指の歌劇場になったのも、ミラノという都市のもつ地理的、歴史的、人種的な特 

 徴が大きく関わっています。その過程を、スカラ座の今と昔を検証しながら考えたいと思います。 

( 井内美香)

 

3月7日にイタリア研究会第465回例会が開かれました。講師は音楽ジャーナリスト・オペラキュレーターの井内美香さん、演題名は「都市とオペラ:ミラノという街が生んだオペラの殿堂スカラ座」でした。

井内さんは学習院大学哲学科を卒業した後、オペラ評論家の永竹由幸さんとオペラ関連の仕事を始めたのをきっかけにミラノに渡り、20年間に亘り数多くのイタリアのオペラ劇場の日本への引っ越し公演のコーディネーター、通訳を務められました。スカラ座の公演には何度行ったか分からないというくらいのオペラ通、スカラ座通ですが、その体験からなぜミラノという街に世界一と言って恥じることのないスカラ座ができたのかを語ってくれました。それには歴史、文化、人が深く関わっています。

ミラノは古くから交通の要衝であり、歴史的に栄えてきましたが、それは現在も変わらずミラノはイタリアの経済、金融、ファッションの中心です。そうした経済的な基盤と、オーストリア支配が長く啓蒙主義の中心地であったことがスカラ座誕生の契機になりました。王宮内にあったオペラ劇場が焼失した後に、貴族達がお金を出資し合って建設されたのが現在のスカラ座で、1778年の事でした。当時の桟敷席は現在で言えば分譲マンションのような感じで、貴族は自分の好みで内装を整え、食事をしながら社交の場として利用してきました。しかしスカラ座を作ってきたのは貴族達だけではありません。いわゆる「天井桟敷族」の庶民達が喝采をし、容赦の無いブーイングを浴びせて現在のスカラ座を育ててきました。スカラ座には2度の大きな危機がありました。1861年の共和国成立で貴族の力が弱まりオペラが衰退して、スカラ座も一時閉鎖の憂き目を見たのですが、この時にはヴィスコンティ侯爵が中心となって経済的に立て直しを図り再開にこぎ着けました。興行主制から支配人制になり、桟敷席も貴族の私有から財団の所有へと変化したのです。

2度目は第2次世界大戦中の空爆による劇場の破壊です。しかしミラノ市当局と市民は何よりもミラノの象徴であるスカラ座の復興を優先とし、驚くべき速さでスカラ座は再開されました。この時の立役者がその後長く総裁を務めることになる実業家のアントーニオ・ギリンゲッリです。彼は報酬を受け取らず、資材を無利子で貸し出すなどしてスカラ座がまさに世界一の歌劇場となる事に貢献したのです。現在スカラ座はチケットが高価すぎるために一部の富裕層のものとなっているという批判を浴びながらも、ゲネプロを若者に安価に提供する、街中でライブビューイングを行うなどの努力をしています。ミラノという街と人とに支えられたスカラ座はこれからも世界一の歌劇場としての地位を保ち続けるでしょう。

井内さんお薦めのスカラ座紹介のユーチューブはこちらです。

https://www.youtube.com/watch?v=AeT_m7VnGzo

(橋都浩平)

イタリアに勤務して感じたこと、考えたこと(概要)

2月例会(464回)
・日時:2019年2月18日 (月) 19:00-21:00
・場所:東京文化会館 4F大会議室
・講師:坂口尚隆氏(元外務省職員)
   略歴:1957年岡山生まれ、1980年早稲田大学政経学部卒業後、外務省に入省。
   在外はイタリア(イタリア大、ミラノ総)、タンザニア、ラトビアに勤務。
   2017年アルバニア大使館開設業務に従事。現在、行政書士。
・演題:イタリアに勤務して感じたこと、考えたこと
   概要:外務省に在職中は、イタリアには都合3回(80年代、90年代、2000年代初め)在勤し、
   本省(東京)ではイタリアを所掌する課に2回勤務しました。
   イタリアと関わりのある現場に長年いた一人として、「日本にとってのイタリア」、「イタリアと日本
   との関係」などにつき感じたこと考えたことをお話ししたいと思っております。 (坂口尚隆)

 

 イタリア研究会第464会例会が開かれました。講師は30年来のイタリア研究会会員で永年外務省にお勤めだった坂口尚隆さん、演題名は「イタリアに勤務して感じたこと、考えたこと」でした。
坂口さんは1980年に外務省に専門職員として入省し、イタリア語の研修が割り当てられました。当時のイタリアには現在のような食やファッションに秀でたオシャレな国というイメージはまったくなく、周囲から同情されるような状況だったそうです。しかも当時のイタリアは政治的、経済的に不安定な時期で、坂口さんがイタリア在住中にも赤い旅団事件、ボローニャ駅爆破などのテロも連続して起こっていました。しかしイタリアの経済が安定し、日本も同様に経済成長が著しく外貨が獲得できるようになると、日本人の間でイタリア旅行、イタリアのファッションがブームとなり、イタリアのイメージが大きく変わりました。そして1989年にベルリンの壁が崩壊し、東欧の共産主義政権が次々と倒れると、共産党が強かったイタリアの政治風土にも大きな変化が起こりました。
イタリアを理解するためには、イタリアがヨーロッパの中で英、仏、独と肩を並べる地位につきたいと常に意識していることを理解する必要があります。ですからイタリアはG7サミットで主導的な立場に立ちたい、国連の常任理事国になりたいというオブセッションを抱き続けています。とくに隣国のフランスに対しては特別なライバル意識を持っているということです。坂口さんが外務省在任中にも、大使館の役割・業務は大きく変わりました。かつては電報と電話しかなかった通信手段がメールやSNSを含むIT化により、高度にそして容易になりました。大使館もみずから情報発信を行う必要性に迫られています。またかつては大使館は「民事不介入」の原則を貫いていたのが、日本のブランドの売り込みやビジネス環境の改善にも努めるようになっています。
イタリア人は食やファッションだけではなく自国の技術に誇りを持っており、それを知っておく必要があります。またイタリア人の特徴として、現実的かつ臨機応変な対応が得意である、議論にタブーがなく自由な討論を好む、相手が何を言われたら喜ぶかを良く知っている褒め上手である、などが挙げられるという事です。またイタリア語は世界共通語となった英語、外交用語としての地位が確立されたフランス語、公用語となっている国の数が多いスペイン語と較べて特殊な言語と考えられがちですが、スペイン語との近親性を含め汎用性、普遍性があるので学んで損をしない言語であると坂口さんは強調されました。これはイタリア研究会会員にとって励みとなる情報です。
坂口さん、みずからの経験に基づいた広範な話題を分かりやすくお話し下さりありがとうございました。
(橋都浩平)