2020年講演会レポート

アートのマイクロバイオーム「フィレンツェ・美の番人たち」

イタリア研究会第3回オンライン講演会

・日時:625日(木)2100~2230(日本時間 質疑応答含む)  

・講師:大平美智子氏(コーディネーター・ライター フィレンツェ在住)

講師略歴:武蔵野美術大学造形学部油絵科卒。商社内グラフィックデザイナーを経て渡伊。TV、雑誌など

メディアや企業の現地コーディネイターを専門業務に、食分野からアートもファッションもリンクするライフスタイル全体をテーマに執筆も手がける。文藝春秋「クレア・トラベラー」、小学館「メンズ・プレシャス」、朝日新聞出版「アエラスタイルマガジン」、ハースト婦人画報「ELLE」、マガジンハウス「PEN」、NHK出版「旅するイタリア語」などコラボ媒体多数。

 

・演題:アートのマイクロバイオーム「フィレンツェ・美の番人たち」

概要:不意打ちのごとく陥ったロックダウンから起死回生しつつあるイタリアですが、その爪痕は深く、影響は長く続きそうです。それでもなお古都フィレンツェは、変わらず燻し銀のツヤのような個性ある輝きを放ち続けています。それはなぜか。多くの芸術作品は古の時代に完成したものですが、それを愛し

生かし続ける人々が今でもここに集結し、あたかも森の古木の根元の若芽がまた成長してより豊かな森を形成していくような、アートのマイクロバイオームとも比喩できる制作保存環境が出来上がっているからです。その核となるものは何か。

フィレンツェ独特の「2つのこだわり」です。私はこれを「B&B戦略」と呼んでいます。

一つはソフトである美意識 (Senso della Bellezza , Senso Este8co)。

これはイタリア人が頻繁に口にするbello, bellezzaなどの表現に象徴される「美しさ」が何よりも善であるという各時代の市民の本能レベルの美意識です。

そしてもう一つはハードにあたる職人工房( Bo<ega )。フィレンツェの文化遺産を作り続けてきたのは各分野の地元の職人工房です。

そして驚くことに今も古来よりの伝統と技が要になっているミクロ工房が点在しています。長い取材人生で見聞きした、アート都市フィレンツェの屋台骨を支える工房やクリエーター達のよもやま話をご紹介したいと思います。

 

シュールなローマ、コロナショック没後500年の「ラファエッロ展」

イタリア研究会第2回オンライン講演会のご案内  ★☆★

・日時:530日(土)17:0018:30(日本時間・質疑応答含む)

・ビデオ会議システム:Google Meet

・講師:上野真弓氏(美術史研究家・翻訳家 ローマ在住)

講師略歴:1959年生まれ。大分県別府市出身。成城大学文芸学部芸術学科(西洋美術史専攻、千足伸行先生ゼミ)卒業。英国留学後、1984年よりローマ在住。イタリア語とイタリア美術史を学ぶ。2016年、『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密 天才の挫折と輝き』(河出書房新社)で翻訳家デビュー。2017年の『カラヴァッジョの秘密』、2019年の『ラファエッロの秘密』と続く。

2020年、APU(立命館アジア太平洋大学)学長・出口治明氏の推薦を受け、長野恭紘市長よりツーリズム別府大使に委嘱される。ローマの生活や芸術を紹介する人気ブログ「ローマより愛をこめて」の管理人。

 

・演題:シュールなローマ、コロナショック没後500年の「ラファエッロ展」

概要:私たちは今、試練の時にあります。新型コロナウイルスが多くの人の命を奪いながら、世界中の経済活動や日常生活をストップさせ、世界を分断しています。2020年はラファエッロ没後500年記念の年で、ローマは、本来なら華々しい展覧会や特別展示で盛り上がる予定でした。それなのに北イタリアの感染爆発が原因で、スクデリア・デル・クィリナーレで3月5日に開幕した「ラファエッロ展」は4日後の9日には閉館となり、翌10日にはイタリア全土が都市封鎖という事態になってしまいました。騒々しいローマが誰もいないシュールな街となってしまったのです。辛い時期を乗り越えて5月4日より段階的解除が始まり、美術館も5月18日から開館します。イタリアのコロナ禍を振り返りながらローマの現状をお伝えするとともに、開幕初日に見学したラファエッロ展のお話をさせて頂きます。辛い時や悲しい時には美しい音楽や綺麗な絵や彫刻が心を癒してくれます。文化芸術の花は、生活必需品ではなくても、生きていくために必要なものなのです。

 

 

迷宮都市ヴェネツィアの至宝『フェニーチェ劇場』

イタリア研究会第1回オンライン講演会

・日時:2020516日(土)1600~1800(途中休憩、質疑応答含む)

・講師:新井巌氏(フェニーチェ劇場友の会代表 イタリア研究会会員) 

講師略歴:

 

1943年東京生まれ。成城大学文芸学部卒。レコード会社勤務を経て、広告界に転じコピーライターへ。1970年東京コピーライターズ・クラブ新人賞を受賞。以後、数多くの広告制作に携わる。1996年「ラ・フェニーチェ再建募金友の会」を立ち上げ、募金した約500万円を同劇場に寄付。再建後も毎年観劇ツアーや毎月開催の「日比谷オペラ塾」などにより募金活動を続けている。現在、新国立劇場オペラ・プログラム編集に携わっている。著書に『日めくりオペラ366日事典』『文人たちのまち 番町麹町』(以上言視舎)、編共著に『知識ゼロからにオペラ入門』(幻冬舎)、『日本映画黄金期の影武者たち』(彩流社)など。

 

・演題:迷宮都市ヴェネツィアの至宝『フェニーチェ劇場』

概要:1000年続いたヴェネツィア共和国の崩壊のわずか5年前の1792年に、当時最大の劇場としてフェニーチェ劇場が開場しました。その誕生とその後の発展の歴史は、ヴェネツィア音楽史という文脈の中でこそ語られなければなりません。1637年の商業劇場としてのオペラハウスの誕生は、その後のヴェネツィアをめぐるオペラ発展史の中でも特筆すべきことでした。フェニーチェ劇場の歴史は、共和国崩壊という、いわば「滅びの美学」の中で多くの音楽家や文人たちに愛され語り継がれてきました。“不死鳥”という名のオペラハウスを生み出した迷宮都市ヴェネツィアの魅力を、劇場というフィルターを通しながらお話できればと思います。

 

ガリレオ・ガリレイと宇宙像を描くイタリア文学(概要)

2月例会(475回) 

・日時:2020年2月10日 (月) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:小林 満(こばやしみつる)氏(京都産業大学教授) 

略歴:島根県出身。1961年生まれ。京都大学大学院出身。同大学助手を経て、現在京都産業大学教授・外国語学部長。また、実用イタリア語検定協会会長も務めている。専門はイタリア語学・イタリア文学。特にガリレオ・ガリレイの言語表現・言語戦略やイタリア文学における宇宙のイメージを研究してきた。

・演題:ガリレオ・ガリレイと宇宙像を描くイタリア文学

概要:ダンテからガリレオまでを貫くイタリア文学の使命の一つは文学的言語を通して宇宙像を構築することだと、かつてイタロ・カルヴィーノは語りました(「科学と文学に関するインタビュー」1968年)。実際、イタリア文学の起源の1つである聖フランチェスコ『被造物の賛歌』を始め、ダンテ『神曲』は言うまでもなく、ペトラルカ『カンツォニエーレ』、アリオスト『狂えるオルランド』、タッソ『エルサレム解放』においても、宇宙像や世界像が描かれています。イタリア文学史ではしばしばその一章を割かれるガリレオも、当然ながら例外ではありません。今回は、イタリア文学の中にガリレオを位置づけた上で、天文学的発見をめぐる書簡や自然学と信仰の関係について論じた書簡を中心にガリレオの論理と表現に直接触れたいと思います。(小林 満)

 

2月10日(月)にイタリア研究会第475回例会が開かれました。講師は京都産業大学教授の小林満先生、演題名は「ガリレオ・ガリレイと宇宙像を描くイタリア文学」でした。

ガリレオは一般的には科学者と考えられており、科学史の上ではその通りですが、当時は哲学と科学とは分かれておらず、ガリレオを哲学者あるいは文筆家と考える事もできます。ですから彼の名前はイタリア文学史の教科書に必ず登場するのです。そもそもイタリア文学がいつから始まったかが問題ですが、ローマ帝国の崩壊後に公用語であったラテン語と地方ごとの言語とが混じり合って、イタリア語と呼んでよい言語が成立したのが1200年前後と考えられます。そしてイタリア語による文学の最初期に位置するアッシジの聖フランチェスコによる「被造物の賛歌」に、すでに宇宙像の記載が認められます。

その後も、ダンテはもちろんのこと、ペトラルカ、アリオスト、タッソの作品にも宇宙像の記載が認められるのですが、それはもちろん中世の宇宙観に基づいています。アリストテレス哲学、トマス・アクイナスによって集大成されたキリスト教哲学、プトレマイオスの天文学を基礎とする宇宙像は当然のことながら地球中心説すなわち天動説でした。地球には地獄から地上の楽園へと続く階層があり、その上には煉獄があり、さらに天空にも階層があって至高天に天国があるという考え方です。彼らの作品に登場する宇宙像は、もちろんこれに従っているのですが、中でも注目すべきはアリオストによる「狂えるオルランド」です。ここにはオルランドの友人であるアストルフォが、オルランドの狂気を治療するために月に行く場面があります。ガリレオはアリオストを愛読し、高く評価していました。

さてガリレオは自作の望遠鏡による天体の観察を行って、次々に新しい発見をするわけですが、その中で彼による月の表面のスケッチは、アリオストによる月世界の描写の影響を受けているのではないかと小林先生は指摘します。もちろんそれを証明することは不可能ですが、きわめて魅力的な仮説です。ガリレオは自分の発見を「星界の報告」としてラテン語で発表し、さらにイタリア語で「天文対話」を出版しました。その内容が聖書の記載と矛盾するとして裁判が行われたことはどなたもご存じでしょう。ガリレオの主張は、地動説の方が観察結果をより合理的に説明しやすいという現代的に言えば一つの仮説の主張に過ぎず、彼が裁判で敗れたのは、周囲の人間の嫉妬によるという説もあります。じつは地球の自転と公転が科学的に証明されたのは、はるか後の時代になってからのことでした。

元宇宙好き少年で、本当は宇宙の研究をやりたかったという小林先生のお話は明快でしかも熱気に溢れており、高度な内容の講演にもかかわらず、聴衆は皆さん熱心に聞き入っていました。小林先生ありがとうございました。(橋都浩平)

 

南北アメリカにおけるイタリア移民の世界(概要)

1月例会(474回) 

・日時:2020年1月28日 (火) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:北村暁夫氏(日本女子大学文学部教授) 

略歴:1959年東京生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。東京大学文学部助手、三重大学助教授を経て、現在日本女子大学文学部教授。専門はイタリア近現代史、ヨーロッパ移民史。著書・編著に『ナポリのマラドーナ』(山川出版社)、『近代イタリアの歴史』(ミネルヴァ書房)、『イタリア史10講』(岩波新書)、訳書にルーポ『マフィアの歴史』(白水社)、ベヴィラックワ『ヴェネツィアと水』(岩波書店)など。

・演題:南北アメリカにおけるイタリア移民の世界

概要:イタリアは、国家統一後の1870年代半ばから1970年代半ばまでの100年間に、統計資料によると2700万人もの膨大な数の移民を国外に送り出しました。その多くは出稼ぎ的な性格を持ち、一定期間を国外で働いたのちに帰郷することを目的としていました。しかし、他方では最初から永住を決めて移動した人々も相当数存在しましたし、郷里と移民先を行き来しているうちに移民先での定住を決断する人々も存在しました。その結果、ヨーロッパ諸国や南北アメリカ、オセアニアにイタリア系のコミュニティが形成され、受入国の政治・経済・社会・文化に影響を与えるようになりました。

 

本講演では、アメリカ合衆国、アルゼンチン、ブラジルの三国を主たる対象として、イタリア移民が何ゆえに移民を決断したのか、移民先でいかなる活動に携わったのか、そして、これらの国々の社会・文化にいかなる痕跡を残してきたのかをお話ししたいと思います。また、膨大な数の移民が流出したことでイタリア社会はいかに変容したのか、イタリアとこれらの国々が移民を介していかなる関係を結んできたのかについてもお話ししたいと思います。 (北村暁夫)

 

1月28日あいにくの天候の中、第474回イタリア研究会例会が開かれました。第475回とお知らせしてありましたが、前回の474回が講師の急病で中止になっていますので、今回を474回と訂正させて頂きます。さて今回の講師は日本女子大学教授の北村暁夫先生、演題名は「南北イタリアにおけるイタリア移民の世界」でした。

イタリアからの南北アメリカ、ヨーロッパ諸国への移民は19世紀後半から盛んになりますが、それには2つの世界史的な状況が影響していました。一つが奴隷制の廃止、一つがヨーロッパ全体における人口の急増でした。イタリアからの主な移住先は、アメリカ合衆国(以降アメリカ)、フランス、アルゼンチンですが、今回の講演の内容はアメリカ、アルゼンチン、ブラジルに限られます。イタリア移民というと南部とくにシチリア出身者のアメリカへの移民のイメージが強いのですが、これは20世紀以降の特徴で、それまでは北部の山岳地帯からのヨーロッパへの移民も多かったのです。

アメリカではすでにWASPによる支配が確立していましたので、イタリア移民は最底辺からのスタートを余儀なくされました。そのために本来の人種とは関係なく黒人として扱われるあるいはオリーブ(褐色人種?)というカテゴリーに押し込められることもありました。また同じ時期に移住したユダヤ人と較べて、イタリア人の社会階層の上昇は遅かったのですが、それは教育に対する態度と女性の労働に対する態度の差によるものだという事です。しかしやや遅れながらも第2次世界大戦以降には社会階層の上部にも属するようになって来ています。政治への参加に関しては、同じ移民であるアイルランド系に較べて熱心でなく、それは現在も続いているようです。

アルゼンチンではこれとは状況が違っていました。元々の人口が少なかったところに大量のイタリア移民が流入したために、イタリア移民は最底辺からのスタートをする必要がなく、一緒に国を作るという意識が強かったのです。そのために文化もスペイン系文化とイタリア文化とが混じり合い、言葉においてもブエノスアイレス方言はスペイン語とイタリア語のハイブリッドのような言語だという事です。しかし逆にイタリア移民の子孫がイタリア語を学習しようという傾向は乏しいということです。

ブラジルでは最初イタリア移民はサンパウロ周辺の珈琲プランテーションに入植しましたが、奴隷制の名残があり、ひどい扱いを受けたため、イタリア政府が方針を変更して、以降は南部3州に入植することになりました。ここは混血国家ブラジルには珍しい白人の多い地域で、イタリア人は完全に現地に同化しており、人数の割には独自の文化を築くには至っていないようです。

こうしてお話を聞くと、人間の移動には制度の裏付けも必要ですが、それがなくても押しとどめることは難しく、これからの日本の少子高齢化の時代に、移民をどう受け入れるのか、歴史を勉強する意義が大いにありそうです。今回のお話から、移民の同化に言葉が果たす役割は非常に大きく、アメリカがヒスパニックを元の言語を認めたまま受け入れているのには問題があるようにも感じました。懇親会では今回のお話と関連するシチリア、カラブリア、アルゼンチンのワインを飲みながらさらに話が盛り上がりました。北村先生、面白いお話をありがとうございました。(橋都浩平)