2020年講演会レポート

ガリレオ・ガリレイと宇宙像を描くイタリア文学(概要)

2月例会(475回) 

・日時:2020年2月10日 (月) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:小林 満(こばやしみつる)氏(京都産業大学教授) 

略歴:島根県出身。1961年生まれ。京都大学大学院出身。同大学助手を経て、現在京都産業大学教授・外国語学部長。また、実用イタリア語検定協会会長も務めている。専門はイタリア語学・イタリア文学。特にガリレオ・ガリレイの言語表現・言語戦略やイタリア文学における宇宙のイメージを研究してきた。

・演題:ガリレオ・ガリレイと宇宙像を描くイタリア文学

概要:ダンテからガリレオまでを貫くイタリア文学の使命の一つは文学的言語を通して宇宙像を構築することだと、かつてイタロ・カルヴィーノは語りました(「科学と文学に関するインタビュー」1968年)。実際、イタリア文学の起源の1つである聖フランチェスコ『被造物の賛歌』を始め、ダンテ『神曲』は言うまでもなく、ペトラルカ『カンツォニエーレ』、アリオスト『狂えるオルランド』、タッソ『エルサレム解放』においても、宇宙像や世界像が描かれています。イタリア文学史ではしばしばその一章を割かれるガリレオも、当然ながら例外ではありません。今回は、イタリア文学の中にガリレオを位置づけた上で、天文学的発見をめぐる書簡や自然学と信仰の関係について論じた書簡を中心にガリレオの論理と表現に直接触れたいと思います。(小林 満)

 

2月10日(月)にイタリア研究会第475回例会が開かれました。講師は京都産業大学教授の小林満先生、演題名は「ガリレオ・ガリレイと宇宙像を描くイタリア文学」でした。

ガリレオは一般的には科学者と考えられており、科学史の上ではその通りですが、当時は哲学と科学とは分かれておらず、ガリレオを哲学者あるいは文筆家と考える事もできます。ですから彼の名前はイタリア文学史の教科書に必ず登場するのです。そもそもイタリア文学がいつから始まったかが問題ですが、ローマ帝国の崩壊後に公用語であったラテン語と地方ごとの言語とが混じり合って、イタリア語と呼んでよい言語が成立したのが1200年前後と考えられます。そしてイタリア語による文学の最初期に位置するアッシジの聖フランチェスコによる「被造物の賛歌」に、すでに宇宙像の記載が認められます。

その後も、ダンテはもちろんのこと、ペトラルカ、アリオスト、タッソの作品にも宇宙像の記載が認められるのですが、それはもちろん中世の宇宙観に基づいています。アリストテレス哲学、トマス・アクイナスによって集大成されたキリスト教哲学、プトレマイオスの天文学を基礎とする宇宙像は当然のことながら地球中心説すなわち天動説でした。地球には地獄から地上の楽園へと続く階層があり、その上には煉獄があり、さらに天空にも階層があって至高天に天国があるという考え方です。彼らの作品に登場する宇宙像は、もちろんこれに従っているのですが、中でも注目すべきはアリオストによる「狂えるオルランド」です。ここにはオルランドの友人であるアストルフォが、オルランドの狂気を治療するために月に行く場面があります。ガリレオはアリオストを愛読し、高く評価していました。

さてガリレオは自作の望遠鏡による天体の観察を行って、次々に新しい発見をするわけですが、その中で彼による月の表面のスケッチは、アリオストによる月世界の描写の影響を受けているのではないかと小林先生は指摘します。もちろんそれを証明することは不可能ですが、きわめて魅力的な仮説です。ガリレオは自分の発見を「星界の報告」としてラテン語で発表し、さらにイタリア語で「天文対話」を出版しました。その内容が聖書の記載と矛盾するとして裁判が行われたことはどなたもご存じでしょう。ガリレオの主張は、地動説の方が観察結果をより合理的に説明しやすいという現代的に言えば一つの仮説の主張に過ぎず、彼が裁判で敗れたのは、周囲の人間の嫉妬によるという説もあります。じつは地球の自転と公転が科学的に証明されたのは、はるか後の時代になってからのことでした。

元宇宙好き少年で、本当は宇宙の研究をやりたかったという小林先生のお話は明快でしかも熱気に溢れており、高度な内容の講演にもかかわらず、聴衆は皆さん熱心に聞き入っていました。小林先生ありがとうございました。(橋都浩平)

 

南北アメリカにおけるイタリア移民の世界(概要)

1月例会(474回) 

・日時:2020年1月28日 (火) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:北村暁夫氏(日本女子大学文学部教授) 

略歴:1959年東京生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。東京大学文学部助手、三重大学助教授を経て、現在日本女子大学文学部教授。専門はイタリア近現代史、ヨーロッパ移民史。著書・編著に『ナポリのマラドーナ』(山川出版社)、『近代イタリアの歴史』(ミネルヴァ書房)、『イタリア史10講』(岩波新書)、訳書にルーポ『マフィアの歴史』(白水社)、ベヴィラックワ『ヴェネツィアと水』(岩波書店)など。

・演題:南北アメリカにおけるイタリア移民の世界

概要:イタリアは、国家統一後の1870年代半ばから1970年代半ばまでの100年間に、統計資料によると2700万人もの膨大な数の移民を国外に送り出しました。その多くは出稼ぎ的な性格を持ち、一定期間を国外で働いたのちに帰郷することを目的としていました。しかし、他方では最初から永住を決めて移動した人々も相当数存在しましたし、郷里と移民先を行き来しているうちに移民先での定住を決断する人々も存在しました。その結果、ヨーロッパ諸国や南北アメリカ、オセアニアにイタリア系のコミュニティが形成され、受入国の政治・経済・社会・文化に影響を与えるようになりました。

 

本講演では、アメリカ合衆国、アルゼンチン、ブラジルの三国を主たる対象として、イタリア移民が何ゆえに移民を決断したのか、移民先でいかなる活動に携わったのか、そして、これらの国々の社会・文化にいかなる痕跡を残してきたのかをお話ししたいと思います。また、膨大な数の移民が流出したことでイタリア社会はいかに変容したのか、イタリアとこれらの国々が移民を介していかなる関係を結んできたのかについてもお話ししたいと思います。 (北村暁夫)

 

1月28日あいにくの天候の中、第474回イタリア研究会例会が開かれました。第475回とお知らせしてありましたが、前回の474回が講師の急病で中止になっていますので、今回を474回と訂正させて頂きます。さて今回の講師は日本女子大学教授の北村暁夫先生、演題名は「南北イタリアにおけるイタリア移民の世界」でした。

イタリアからの南北アメリカ、ヨーロッパ諸国への移民は19世紀後半から盛んになりますが、それには2つの世界史的な状況が影響していました。一つが奴隷制の廃止、一つがヨーロッパ全体における人口の急増でした。イタリアからの主な移住先は、アメリカ合衆国(以降アメリカ)、フランス、アルゼンチンですが、今回の講演の内容はアメリカ、アルゼンチン、ブラジルに限られます。イタリア移民というと南部とくにシチリア出身者のアメリカへの移民のイメージが強いのですが、これは20世紀以降の特徴で、それまでは北部の山岳地帯からのヨーロッパへの移民も多かったのです。

アメリカではすでにWASPによる支配が確立していましたので、イタリア移民は最底辺からのスタートを余儀なくされました。そのために本来の人種とは関係なく黒人として扱われるあるいはオリーブ(褐色人種?)というカテゴリーに押し込められることもありました。また同じ時期に移住したユダヤ人と較べて、イタリア人の社会階層の上昇は遅かったのですが、それは教育に対する態度と女性の労働に対する態度の差によるものだという事です。しかしやや遅れながらも第2次世界大戦以降には社会階層の上部にも属するようになって来ています。政治への参加に関しては、同じ移民であるアイルランド系に較べて熱心でなく、それは現在も続いているようです。

アルゼンチンではこれとは状況が違っていました。元々の人口が少なかったところに大量のイタリア移民が流入したために、イタリア移民は最底辺からのスタートをする必要がなく、一緒に国を作るという意識が強かったのです。そのために文化もスペイン系文化とイタリア文化とが混じり合い、言葉においてもブエノスアイレス方言はスペイン語とイタリア語のハイブリッドのような言語だという事です。しかし逆にイタリア移民の子孫がイタリア語を学習しようという傾向は乏しいということです。

ブラジルでは最初イタリア移民はサンパウロ周辺の珈琲プランテーションに入植しましたが、奴隷制の名残があり、ひどい扱いを受けたため、イタリア政府が方針を変更して、以降は南部3州に入植することになりました。ここは混血国家ブラジルには珍しい白人の多い地域で、イタリア人は完全に現地に同化しており、人数の割には独自の文化を築くには至っていないようです。

こうしてお話を聞くと、人間の移動には制度の裏付けも必要ですが、それがなくても押しとどめることは難しく、これからの日本の少子高齢化の時代に、移民をどう受け入れるのか、歴史を勉強する意義が大いにありそうです。今回のお話から、移民の同化に言葉が果たす役割は非常に大きく、アメリカがヒスパニックを元の言語を認めたまま受け入れているのには問題があるようにも感じました。懇親会では今回のお話と関連するシチリア、カラブリア、アルゼンチンのワインを飲みながらさらに話が盛り上がりました。北村先生、面白いお話をありがとうございました。(橋都浩平)