ことばの窓から見える世界-須賀敦子の場合(概要)

407回例会

・日時:2014年5月23日(金)19:00-21:00

・場所:南青山会館2F大会議室

・講師:和田 忠彦 東京外国語大学

・演題:ことばの窓から見える世界-須賀敦子の場合

 

 5月23日(金)にイタリア研究会第407回例会が行われました。演題名は「ことばの窓から見える世界−須賀敦子の場合」でした。じつはこれまでにもイタリア研究会会員から,ぜひ須賀さんの話をして欲しいという要望が多くよせられていましたが,残念ながら適当な講師が見つからず,見送られてきました。ところが今回,東京外国語大学の和田忠彦教授が,須賀敦子について話をしてくださることになったので,会にとっては画期的なことです。和田さんは,自分の母国語以外で創作を行う“エクソフォニー”をキーワードに須賀の創作に迫りましたが,須賀がタブッキを敬愛し,彼の作品の邦訳を多数手がけたのも,この点での共通性が影響していると考えられます。また時代として,学生紛争が社会全体に影響を与えた1960年代のイタリアに身を置いたことが,須賀のやや年上の同時代人ナタリア・ギンズブルグに対する生涯変わらぬ敬愛の念の元となったと思われます。日本でカトリック教育を受けて受洗し,フランスに渡ったものの違和感を感じて,イタリアに移り,そこで伴侶を得て多数の日本の文学作品のイタリア語訳に携わり,伴侶が亡くなった後,日本に戻ってイタリア文学の翻訳と,本格的な創作活動を行ったという,日本人としては珍しい須賀の特異な経歴は,日本とヨーロッパとの関係を考える上で大きな示唆を与えるものと思われます。和田先生は,彼女が亡くなる直前に「私は死ぬときには,何語で死ぬのかしら」と語ったというエピソードを披露されましたが,そのようにして彼女が感じていたある意味の居心地悪さこそが,貴重なものであり,須賀が現在でも広く読まれている大きな理由であるとも考えられます。いずれにしても,須賀敦子という存在は,日本とイタリア,日本とヨーロッパを考える上で,かけがえのないものであるといえるでしょう。今回の講演を聴いて,また須賀敦子の著作,翻訳を読み返してみたくなった会員も多かったのではないでしょうか。和田先生,たいへん面白い示唆に富むお話しをありがとうございました。 (橋都)