イタリア舞踊史―19世紀から21世紀における“イタリアの”バレエとは?(概要)

5月例会(431回)

・日時:2016年5月27日 (金)19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:横田さやか氏(専修大学非常勤講師)

・演題:イタリア舞踊史―19世紀から21世紀における“イタリアの”バレエとは?

 

イタリアの舞台芸術といえばまずオペラ、バレエが語られることはあまりありません。しかし、バレエの起源が実はルネサンス期イタリア、フェッラーラ、ウルビーノなどの宮廷舞踊にあったこと、ジャンボローニャの彫刻『メルクリウス』の爪先立ちの姿勢がトウシューズの発想へとつながったことなど、美しい身体表現を目指すバレエと、調和を求めるルネサンス精神が軌を一にしていたということが、まず、眼から鱗でした。しかしその後の「イタリアの舞踊史」にはどのような経緯があったのか、特徴をいくつかあげながら話をすすめていただきました。
 
まずは、オペラ隆盛の時代のバッロ・グランデ作品『エクセルシオール』に代表される特徴です。 これは、電池や電球の発明、スエズ運河開通など当時の革新的な出来事を題材に、進歩主義の反啓蒙主義への勝利といった抽象的なテーマをアレゴリーとして語る(当時隆盛であったオペラの題材とは対極的)、ルイジ・マンゾッティ振付による絢爛豪華な舞踏作品でした。1881年の初演を皮切りに1年間で100回以上再演されたこの作品が、もしも50年ほど後のものであればファシズムのかっこうの道具となっていた可能性も十分ありえます。が、リソルジメント後とはいえやはり地域性が根強いイタリアのこと。上演はミラノにとどまり、イタリア全土に広がることはありませんでした。
 
次に、1910年のマリネッティによる「未来派宣言」に端を発する前衛芸術運動フトゥリズモとの結びつきがあげられます。身体芸術の可能性を察知していた未来派芸術家たちは、機械と心身が融合することで新しい身体表現を編み出せると確信していました。その確信は、ジャンニーナ・チェンスィによるダンス「飛行機のアクロバット飛行」となって実を結びます。衣装や道具に頼らないダンサー(=飛行機そのもの)の動き、音楽もなく、代わりにマリネッティによる「ビューン」「シュルシュル」などの擬声にあわせて身体ひとつで飛行機のアクロバット飛行を表現するチェンスィの映像は、マリネッティの肉声を聞けたこととあわせて、実に興味深いものでした。
 
そして、1980年代以降今日までのイタリアにおけるコンテンポラリー・ダンスには、日本のポストモダニズムとのかかわりという特筆すべき現象があげられます。大野一雄と土方巽に端を発する日本の前衛舞踊がヨーロッパに紹介されて以来、イタリアのダンサーたちは、日本独自の身体観に基づく「舞踏」を自分たちの作品制作に積極的に取り入れており、今では日本の「舞踏」とコンテンポラリー・ダンスの〈DNA〉についても言及されているそうです。
 
イタリアの舞踊研究の本格的な始まりは1980年代とのこと。ボローニャ留学時代の横田さんは「未来派」しかも「ダンス」といった「珍しいものに関心を持つ日本人留学生」と言われたそうです。資料はあるけれどきちんとした研究がなされていない未踏の分野における横田さんの今後に研究には、大いに期待が持てます。
横田さん、貴重なお話と映像をありがとうございました。フレンドリーで明解な話術にも好感が持てました。(白崎)