女王クリスティーナとローマ (概要 )

10月例会(436回)  イタリア研究会創立40周年記念講演

・日時:2016年10月16日 (日) 14:00-16:00

・場所:東京大学医学部教育研究棟14階 鉄門記念講堂(東京都文京区本郷7−3−1)

・講師:樺山 紘一氏(印刷博物館長、東京大学文学部名誉教授)

・演題:女王クリスティーナとローマ

 

イタリア研究会第436回の例会が開かれました。この例会は通常の例会とは異なる特別な例会で、イタリア研究会創立40周年の記念例会として開催されました。そのため日曜日の午後に、いつもよりも大きな会場を使って行われました。講師は印刷博物館館長の樺山紘一さん、演題名は「女王クリスティーナとローマ」でした。

クリスティーナは17世紀当時、北ヨーロッパの大国スウェーデンの女王でしたが28歳の若さで退位し、しかも国教である新教から旧教に改宗してローマに隠棲してしまいましたので、スウェーデンの国民からはいささか冷たい目で見られています。また当時は教皇庁の宣伝戦略もあり、ローマで熱烈な歓迎を受けたものの、ヨーロッパ政治の表舞台に再登場することはなく、膨大な美術コレクションも散逸されてしまったために、その後亡くなるまでの40年近くをローマで過ごしたにもかかわらず、イタリアでもその名前を覚えている人は多くありません。

樺山さんは、わざわざ亡命先のオランダからデカルトを呼び寄せて抗議を受けるほどの、当時としては啓明的であったクリスティーナがなぜ若くして退位、改宗に至ったかを、当時のヨーロッパの政治環境と彼女の資質、生育環境から解き明かしました。もちろん彼女自身の著述が残っているわけではありませんので、その心境は推し量るほかはないのですが、ヨーロッパ大戦と呼んでも良い30年戦争に翻弄された10代から20代の女王としての生活、新教を国教とするスウェーデンの宮廷の窮屈さが影響しているのではないかということです。クリスティーナはローマにサロンを作り、そこには多くの芸術家が集いましたが、とくに作曲家のコレッリと彫刻家のベルニーニは彼女のお気に入りでした。また当時から彼女には愛人がいるのではないかと噂があったのですが、教皇庁の切れ者として有名だった枢機卿アゾリーノ宛ての暗号で書かれた彼女の手紙が20世紀になって解読され、それが事実であることが証明されたということです。

地位と財産に恵まれていたとはいえ、この時代に自分の意思を貫いて生きた女性が存在したという事自体が貴重であり、バロック都市ローマの形成にクリスティーナが関わった事も事実であり、イタリア人にも日本人にも、もっとクリスティーナのことを知ってもらいたいというのが、樺山さんからの強いメッセージでした。これからローマを訪ねられる方、女王クリスティーナの足跡を辿ってみてはいかがでしょうか。

樺山さん、イタリア研究会40周年にふさわしい面白いお話をありがとうございました。(橋都)