イタリア空軍パイロットアルトゥーロ・フェラリンの偉業と「2020年東京-ローマ間帰還飛行」プロジェクト

1月例会(439回)

・日時:2017年1月18日 (水) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:道原 聡 氏

・演題:イタリア空軍パイロットアルトゥーロ・フェラリンの偉業と「2020年東京-ローマ間帰還飛行」プロジェクト

 

第439回イタリア研究会例会が開かれました。講師はフィレンツェ在住の画家道原(どうばら)聡さんですが、講演の内容は絵に関するものではなく、道原さんが現在関わっている日伊をつなぐ壮大なプロジェクトに関するものでした。演題名は「複葉機の夢−アルトゥーロ・フェラリンを待ちながら」です。

アルトゥーロ・フェラリンといっても、その名前をご存じの方はほとんどおられないと思います。イタリアでもその事情はそれほど変わりません。しかし彼は100年近く前に、日本とイタリアとを繋ぐ壮大な冒険を成し遂げた人で、その当時の日本において大きなニュースとなり、日本人を熱狂させたのです。それは1920年に行われたヨーロッパから日本への、初めての飛行機による遠征でした。彼は他の10機とともに2月14日にローマを出発し、途中で多くの脱落者を出しながらも、同僚のマジェッロが操縦する飛行機と共に、5月31日見事に東京に到着したのです。総飛行距離が18,000km、3ヶ月あまりをかけた苦難の旅でした。

このニュースに日本人は熱狂して、フェラリンとマジェッロは原敬首相から勲章を授与され、貞明皇后にも謁見しています。彼らはその後40日間日本各地を訪問し大歓迎を受けた後、イタリアに船で帰国しました。しかしイタリアでは彼らの壮挙を顕彰する動きはありませんでした。それはこの飛行計画がそもそも、あの詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオの発案によるものであり、ダンヌンツィオは1919年のフィウメ占領によりイタリア政府からは厄介者と見なされていたからです。その後フェラリンは日本への飛行の記録を出版して、一部のイタリア人からは大きな評価を受けましたが、1941年に飛行機事故で亡くなりました。同じようにマジェッロも飛行機事故で亡くなっています。

さて2020年にこの大冒険から100年を迎えるのを記念して、当時の飛行機を復活させ東京からローマへの帰還飛行を成功させようというプロジェクトが立ち上がっています。これは単なる空想ではなく、フェラリンの存命する2人の息子さんや空軍関係者、飛行機製作者を含む多くの人が加わった財団がすでに発足し、飛行機製作用の格納庫も準備されています。今年の終わりか来年の初めには実際の飛行が行われる予定ということです。わくわくするようなプロジェクトです。ところでフェラリンが貞明皇后に謁見した時に、皇后から日本の小学生の絵画や書道の優秀作品をアルバムにするので、それをイタリアに持ち帰ってイタリア王妃に手渡して欲しいと依頼されました。そのアルバムは王妃の示唆でフェラリンが保持することになり、現在もフェラリンの次男ロベルトさんが保管しています。最後に道原さんが、その一部を披露しましたが、その作品のレベルの高さに聴衆一同ひたする驚嘆するばかりでした。昭和の小学生恐るべしです。これについても展覧会の開催や書物の出版など、いろいろと夢が広がりそうです。道原さん、興味深いお話と資料の数々をありがとうございました。(橋都浩平)