カンツォーネ・ナポレターナの黄金時代(概要)

8月例会(446回)

・日時:2017年8月21日 (月) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:青木 純氏(カンツォーネ歌手)  

・演題:カンツォーネ・ナポレターナの黄金時代

 

イタリア研究会第446回例会が開かれました。講師はカンツォーネ歌手の青木純さんですが、これはアンコール例会とでも呼ぶべきもので、2年前に同じ青木さんに「カンツォーネ・ナポリターナの特徴と歴史」という講演をお願いしました。その時の講演と演奏が素晴らしかったのですが、時間の関係で初期のカンツォーネのお話で終わってしまいました。そこで今回は「カンツォーネ・ナポリターナの黄金時代」という題名で、続編をお願いしたわけです。

 

カンツォーネ・ナポリターナ(以下カンツォーネ)の黄金時代は1880年のかの有名な「フニクリ・フニクラ」から始まります。ご存じのようにこれはヴェスヴィオ山に新設された登山電車(ケーブルカー)のコマーシャルソングでした。このケーブルカーを敷設したのが英国の旅行会社トーマス・クック社であったために、世界中にこの曲の楽譜が広まる結果となり、世界的なヒットとなったのです。この時すでにエジソンによる蓄音機が発明されていましたが、イタリアでレコードが発売されるようになったのは20世紀になってから、ラジオ放送の開始は1924年でした。ですからカンツォーネはこうしたハードの発達を待つ事なく、楽譜という形で世界的ヒットを生み出していたのです。

 

それから1914年の第1次世界大戦までがカンツォーネの黄金時代で、ディ・ジャコモ、ルッソ、デ・クルティス兄といった作詞家、トスティ、コスタ、ディ・カプア、デ・クルティス弟といった作曲家が次々と登場して名曲が生み出されました。この時代はイタリアからアメリカ合衆国やアルゼンチンに大量の移民が移住した時代でもあり、1911年にはアメリカで生まれたカンツォーネ「カタリ・カタリ」がイタリアに逆輸入されて、イタリアで大ヒットした事が注目されます。青木さんは今年の6月にナポリでカンツォーネのリサイタルを行うという快挙を成し遂げましたが、その時のビデオも交えて、昨日演奏された曲は以下のとおりです。「フニクリ・フニクラ」「マレキアーレ」「それは5月」「オーソレミオ」「マリア・マリ」「あなたに口づけを」「帰れソレントへ」「カルメーラ」「夜の声」「カタリ・カタリ」。いかがでしょうか。皆さまご存じの曲もたくさんあるのではないでしょうか。まさに黄金時代です。とは言っても、「帰れソレントへ」が当時のイタリア首相に対する郵便局誘致の陳情ソングであった事をご存じの方はおられないのではないかと思います。青木さんの学識は歌唱力にも負けない素晴らしいものです。

 

 

懇親会でも、青木さんのカンツォーネ愛のお話は続きました。青木さん、ありがとうございました。

(橋都)