1940年代のナポリ(概要)

12月例会①(450回) 

・日時:2017年12月8日 (金) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:ジュゼッペ・パズィーノ (Giuseppe Pasino)氏 (ナポリ国立図書館所属)

 略歴:ナポリ市生まれ。ナポリ「フェデリコ・セコンド」大学哲学科卒。中学校で哲学の教諭を勤めた              後、現在までナポリ国立図書館勤務。20世紀の世界の文学を収蔵する分館であるブランカッチ                ョ図書館館長を経て、現在はナポリ国立図書館本館において購買部長および貴重図書運搬を担                当。

・講師:林直美氏(日本語・日本文学講師、イタリア文学研究)

 略歴:大阪市生まれ。東京大学大学院イタリア語イタリア文学専攻博士課程修了後、

    同大学院研究助手、在ローマ日本大使館専門調査員等を経て、イタリア各地(カリアリ、ナポ

    リ、カターニア)の大学で日本語を教える。現在はカターニア大学ラグーサ校日本語日本文学非

    常勤講師。ピエモンテ州、ローマ、カリアリを経て、2004年から主にナポリ在住。

・演題:1940年代のナポリ

 概要:第二次世界大戦終結前のナポリは、米英仏独各国軍の交錯する舞台となったが、断固とした民衆

    の蜂起により、ドイツ軍の占領から解放されたヨーロッパで最初の都市となった。

    戦後70年、ナポリ国立図書館では展覧会『Napoli 1943-45』が催され、その後ドキュメンタ

    リー映画『Naples ‘44』も公開された。映画の原案となったのは、瓦礫の町ナポリの生命力あ

    ふれる人々を温かい視線で描いたノーマン・ルイス著『Naples ’44』 (1978)。これらをふま 

    え、当時の記録と現在のナポリの風景等をまじえながら、ナポリの歴史の一端をお話しします。

 

第450回イタリア研究会例会が開かれました。演題名は「1940年代のナポリ」、講師はナポリ国立図書館勤務のジュゼッペ・パズィーノさんと永年イタリアで日本語・日本文学講師を務めているナポリ在住の林直美さんでした。最初にパズィーノさんから概要をお話ししてもらった後に、林さんがスライドを使って講演し、質問に対してはパズィーノさんに答えてもらうという形で進められました。この講演は2015年にナポリ国立図書館で開かれた1940年代のナポリに関する展覧会を元に行われました。講演は4つのパートに分かれ、1。連合軍によるナポリ爆撃、2。イタリアの突然の無条件降伏による混乱とドイツ軍による戒厳令、ナポリ市民の虐殺、3。「ナポリの四日間」と呼ばれるナポリ市民の蜂起、4。ドイツ軍の撤退とナポリの解放です。

 

1940年6月10日のムッソリーニによる英仏に対する宣戦布告以降のイタリアの歴史は、あまりに複雑でここで詳しく述べる訳には行かないのですが、大戦末期のムッソリーニの失脚と復活、南北イタリアの分断などがあり、複雑を極めていました。最大のポイントは1943年9月3日の休戦条約の調印(実質的にはイタリアの無条件降伏)で、これによりそれまで同盟国であったドイツがいきなり敵国になったわけです。ドイツ軍はナポリ市に戒厳令を敷き、男性を強制労働に狩りだし、それに反対する市民を見せしめに銃殺しました。これに反発した市民が自発的に蜂起したのが、「ナポリの四日間」でした。これはイタリア北部でおもに左翼の主導で行われたパルチザンとは趣を異にしており、今もナポリ人の誇りとなっています。アメリカ軍がすぐ近くまで迫っていた事もあり、市民の犠牲を出しながらも、ドイツ軍をナポリから撤退させる事に成功したのです。ナポリはナチから解放された最初のヨーロッパ都市となりました。

 

アメリカ軍の進駐後もナポリでは食糧不足、水不足が続き、その結果として闇市、売春が栄え、この当時の状況が多くの映画、戯曲、カンツォーネの題材になりました。こうした動画も交えながら話が進み、聴衆は自分たちの知らないナポリの歴史に聴き入っていました。こうした状況にありながらも、ナポリの女性たちが誇りと美しさを保っていたという外国人記者の言葉で講演は終わりましたが、その後には質問が続出して、聴衆がこの時代のナポリの歴史に大きな関心を抱いた事が分かりました。パズィーノさん、林さんありがとうございました。(橋都)