2020年講演会レポート

オルチャ渓谷のフィールド調査ー田園の価値の再発見(概要)

478回例会 (Google Meetでのオンライン開催)

日時:2020128日(火)20:0022:00 

演題:オルチャ渓谷のフィールド調査ー田園の価値の再発見

概要:20世紀の後半のオルチャ渓谷は、過疎に悩む、ありきたりの田園でした。イタリアで1980年代中頃から、まちと田園の密接な結びつき「テリトーリオ」が見直されるようになると、見る間に評価が高まりました。2004年には世界遺産に登録され、イタリアの理想とまで称されるようになりました。今や、21世紀の新たな社会の受け皿を示しているようです。

私たちのフィールド調査の成果から、この古くて新しいテリトーリオの魅力を掘り下げます。

講師:陣内 秀信氏(法政大学名誉教授)

講師略歴:1947年、福岡県生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。工学博士。ヴェネツィア建築大学及びユネスコのローマ・センターに留学。法政大学工学部建築学科教授、デザイン工学部教授を経て、2018 年より法政大学特任教授。専門はイタリア建築史・都市史。イタリアをはじめ地中海都市や東京など歴史的都市の構造を比較研究。主な著書に『東京の空間人類学』(筑摩書房、サントリー学芸賞受賞)『都市を読む*イタリア』(法政大学出版局)『ヴェネツィア 《水上の迷宮都市》』『イタリア 小さなまちの底力』(以上、講談社)『都市と人間』(岩波書店)『イタリアの街角から 《スローシティを歩く》』『イタリア都市の空間人類学』(弦書房)他多数。

講師:植田 曉氏(有限会社風の記憶工場主宰・NPO法人景観ネットワーク代表理事・北海学園大学客員研究員)

講師略歴:1963年、札幌市生まれ。工学院大学大学院工学研究科修士課程修了。工学博士。1991年よりローマ大学にてイタリア政府給費留学生として、歴史的な街並みや農山漁村の景観を活かしたまちづくり地域おこしを研究。オルチャ渓谷は2004年から研究対象としている。主な著書に『江戸東京のみかた調べかた』(陣内秀信、植田曉他、鹿島出版会)『プロセス・アーキテクチュア109号 ヴェネト・イタリア人のライフスタイル』(陣内、F.マンクーゾ、R. ブルットメッソ、植田他、プロセス・アーキテクチュア)『造景別冊1 イタリアの都市再生』(陣内監修、植田、P.ファリーニ編集、建築資料研究社)他多数。

 

フェリーニとは誰だったのか?(概要)

477回例会(ZOOMでのオンライン開催)

日時:117日(土)16:0018:00

演題:フェリーニとは誰だったのか?

概要:人生にエンドマークがないように、映画にもそれは必要ない。自分の仕事は「忘れたくなかったのに忘れてしまったもの」をとらえることだ。そう語ったフェデリコ・フェリーニ(1920-1993)が逝って、今年ではや27 年。フェリーニとは誰だったのか。

ぼくがその名を知ったころ、『道』(1954)や『甘い生活』(1960)はすでに古典で、『8 1/2』(1963)は難解の代名詞だった。「映像の魔術師」や「人生は祭り」とわかったような口をきいて評論家気分を味わいながら、名画座で『サテリコン』(1969)や『ローマ』(1972)や『アマルコルド』

(1973)に追いつくと、封切り館にやって来る『カサノバ』(1976)や『女の都』(1980)、『そして船は行く』(1983)や『ジンジャーとフレッド』(1985)などは欠かさず観に行ったのだが、若造になにが理解できたというのだろう。残念ながらそのころのぼくには、あれほどはっきり見えるダンテの影も、カトリックにおける性的な抑圧への反動も、同時代のイタリア社会への皮肉の利いた言及にまったく気付けなかった。

それどころか淀川長治の解説を鵜呑みにすると、盟友ニーノ・ロータ(1911-1979)の音楽を失ったときフェリーニは終わったのさ、と嘯いていた。ロータとの最後の共作は『オーケストラ・リハーサル』(1979)だが、たしかに象徴的だったかもしれない。赤い旅団によるモーロ元首相誘拐殺害事件に触発された、次第に禍々しさを増してゆくオーケストラにとんでもない破局が訪れるのだが、その塵埃のなかに奇跡のように調和の取れた美しい演奏がすっと立ち上がる。

そこでフェリーニが終わるわけがないではないか。混乱が極まり、大切なものが失われ、語ることも尽きたと思われるその瞬間、思わぬところから「一条の光」が差し込んでくると、そこから映画をいつだって復活させてきた。だからこそ、あの暗い砂浜でザンパノを号泣させた、仄かに香るジェルソミーナのリフレインは、『ボイス・オブ・ムーン』(1990)でイーヴォの井戸から聞こえてくる「とぎれとぎれで、ますます小さくなってゆく声」へと連なる。その沈黙の残響こそが、ぼくらにフェリーニが誰だったかを知る手がかりを教えてくれるはずなのだ。

講師:押場靖志氏(日伊協会イタリア語講座主任・学習院大学・法政大学講師

講師略歴:

1961 年兵庫県西宮市生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒、同大学院地域研究研究課修士課程修了。現在、(公財)日伊協会イタリア語講座主任、学習院大学講師などを兼任。元「NHK テレビイタリア語会話」担当講師(2003/4〜2005/3)。

著書に『21 世紀ヨーロッパ学』(共著、ミネルヴァ書房、2002 年)、イタリア語テキストには『Quaderno d’italiano』(共著、DTP 出版、2006 年)、『Per cominciare』(共著、日伊協会、2020 年)など、訳書にノルベルト・ボッビオ『イタリア・イデオロギー』(共訳、未来社、1993 年)、トゥッリオ・ケジチ『フェリーニ、映画と人生』(白水社 2010 年)などがある。

 

19世紀のロングベストセラーレシピを健康長寿に生かす(概要)

第476回例会(Google Meetでのオンライン開催)

日時:10月22日(木)20;00~21:30

演題:19世紀のロングベストセラーレシピを健康長寿に生かす 

概要:19世紀末に出版されたレシピ読み物、『イタリア料理大全 厨房の学とよい食の術( La scienza in cucina e l arte di mangiar bene)』は、イタリアの家庭料理をたいへん豊かにしたといわれます。著者の存命中に 15版を重ね、聖書とともに一家に一冊はあるといわれるほど普及しました。現在でも年間平均 1万部のペースで増刷されるロングベストセラーです。

裕福な商家に生まれた著者ペッレグリーノ・アルトゥージは、本書のレシピを家政婦やお雇い料理人につくらせ、 90歳の長寿をまっとうしました。本の副題に「健康法・節約・美食」と彼がつけたとおり、グルメな料理でありながら、実は健康によい工夫もなされています。本書の料理を食べつづけたからこそ、 90歳間際まで改訂の仕事をしつづけ、天寿を迎えることができたのかもしれません。今夏、アルトゥー ジ生誕 200年を記念して出版された日本語版の翻訳者のひとりとして、健康長寿の見本ともいえるアルトゥージの人生とレシピをひもといていきます。

講師:中村浩子氏(イタリア食文化文筆・翻訳家)

講師略歴:

東京外国語大学イタリア語学科卒。自動車メーカー退職ののち、渡伊。帰国後、イタリア貿易振興会、イタリアの新聞社『ラ・レプブリカ』極東支局勤務をへて、日本のマスメディア向け文筆・翻訳の仕事にたずさわる。世界的な食の運動「スローフード」の創始者カルロ・ペトリーニの『スローフード・バイブル (Slow Food Le ragioni del gusto)』を訳したのをきっかけに、奥深いイタリアの食文化に魅きつけられる。

日本菓子専門学校外部講師をつとめるほか、城西大学エクステンションやリンガビーバ東京校にてイタリアの食文化について特別講座をもつ。 2017年、食関係団体より「レポーター・デル・グスト賞」を受賞。東洋の知恵である薬膳の考え方をとり入れたイタリア料理を病気予防に役立てたいと薬膳を学び、 国際薬膳師の資格を取得。本年 12月に共著の薬膳イタリア料理レシピ読本を出版予定。 食分野以外の訳書も多数。

主な訳書:『イタリア料理大全 厨房の学とよい食の術』( 2020年、平凡社) 『スローフード・バイブル』( 2002年、NHK出版)

主な著書:『「イタリア郷土料理」美味紀行』(2014年、小学館文庫)

(中村浩子)

 

10月22日、イタリア研究会第476回例会をオンラインで開催しました。2月に第475回例会が開かれてから8ヶ月ぶりという事になります。その間、無料のオンライン講演会を計6回開催し、ネットを用いた講演会のノウハウを蓄積してようやく開催する事ができました。これには運営委員の岡田、佐藤両氏の多大なご尽力の他に多くの皆さまのご協力のお陰と感謝しております。

さてこの例会は3月12日に開催の予定でしたが、新型コロナウイルス感染症蔓延のために延期されたもので、演題名は「19世紀のロングセラーレシピを健康長寿に生かす」、講師はイタリア食文化文筆・翻訳家の中村浩子さんです。ここで言う19世紀のロングセラーとはペレグリーノ・アルトゥージ著「厨房の学とよい食の術」で初版が1891年に出版されました。中村さんはこの本の日本語版「イタリア料理大全 厨房の学とよい食の術」の翻訳に関わり、今年の7月に平凡社から出版されました。そのため多くの会員がこの本を手元に置いて例会に参加され、これはコロナによる延期の思いがけないメリットであったと思います。

さて原著の著者アルトゥージは1820年に現在のエミリア・ロマーニャ州の小さな街に生まれ、1911年にフィレンツェで90歳で亡くなりました。初版が出版されたのは彼が70歳の時で、その後亡くなるまで著書の改訂を続けたというまさに健康長寿を体現した方です。この本は当時のイタリアのブルジョア(中の上くらいの階層)の家庭料理をイタリア語でまとめた最初の本でした。特長は多様な郷土料理・地方料理が記載されている事、単なるレシピ本ではなく、著者の考える健康や栄養への心得が一緒に記載されている事です。もちろん現在の科学的知見とずれている点もあるのですが、健康長寿に最適な食事として注目されている地中海式ダイエットの基本が盛り込まれており、現在でもイタリアの多くの家庭で実際に読まれ、活用されている本なのです。中村さんの解説により、現代人の健康長寿に繋がるアルトゥージによる多くの食に関する箴言が披露されました。中村さん、8ヶ月間お待たせしましたが、ありがとうございました。

最後に出版されたばかりのこの日本語版1冊が抽選で出席者に贈られる事になったのですが、なんとビンゴでも当たった事がないという、イタリア研究会運営委員会代表の橋都が当選してしまいました。毎週末にイタリア料理にいそしんでいる永年の会員である橋都に対するご褒美と考え、ありがたく頂戴する事にしました。この本を参考に新しいレシピに挑戦して、Facebook?にアップしたいと思います。

とりあえず2021年3月までは、イタリア研究会例会はオンラインで開催されます。毎回申し込みが必要ですのでご注意下さい。次回は11月7日(土)16時から、押場靖志さんによる「フェリーニとは誰だったのか?」です。ご期待ください。

(橋都浩平)

 

イタリア 都市の郊外住宅(サバービア)映画「ゴモラ」の舞台”Le Vele”を中心に

イタリア研究会第6回オンライン講演会

・日時:915日(火)2100~2230JST 質疑応答含む)

・ビデオ会議システム:Google Meet

・講師:二宮大輔氏(翻訳家・通訳案内士)

略歴:1981年 愛媛県生まれ。 2004年に関西学院大学文学部西洋史学科を卒業 後イタリアに留学し、 2012年にローマ第三大学文学部「現代文学と言語」学科を卒業。卒論のテーマはレオナルド・シャーシャの『モーロ事件』。ローマ大卒業後は京都で 全国通訳案内士として 観光ガイドをする傍ら、株式会社 Japanissimoで翻訳・通訳業に従事。キネマ旬報、月刊 Latinaなどに寄稿するほか、株式会社京都ドーナッツクラブを通してイタリア映画上映会の企画・配給にも携わる。

2016年、青年座で上演された戯曲エドゥアルド・デ・フィリッポ『フィルメーナ・マルトゥラーノ』を翻訳。 2018年、ガブリエッラ・ポーリ +ジョルジョ・カルカーニョ『プリーモ・レーヴィ 失われた声の残響』(水声社)を翻訳 など 。

・演題:イタリア 都市の郊外住宅(サバービア)映画「ゴモラ」の舞台”Le Vele”を中心に

概要:「レ・ヴェーレがなぜそう呼ばれているかは知らない。おそらくは、岸から見放された船の帆に見えるからだ」シドニー五輪柔道で金メダルを獲ったピーノ・マッダローニの実話に基づく映画『スカンピアの黄金』の冒頭のナレーションです。ナポリ市北部に位置し、ヨーロッパ随一の麻薬市場と呼ばれるスカンピア。 ナポリを拠点とする犯罪組織、 カモッラが抗争を繰り返してきたその地にそびえたつのが、「帆」の複数形を意味するレ・ヴェーレ (Le Vele)という集合住宅です。名前の通り、帆のように三角形に広がるこの異様な建築物は、荒廃した郊外住宅の象徴として君臨しています。イタリアは敗戦後、1950年代から 60年代にかけて経済成長を見せ、人口 が右肩上がりになった 70年代、郊外型集合住宅を各地に建てられました。そして 90年代には、レ・ヴェーレのように、「見放された」失敗例が散見するようになります。一方的にネガティブなイメージを持たれがちなスカンピアですが、『スカンピアの黄金』そして大人気ドラマ『ゴモラ』など、たびたび映画や小説の舞台になる強力な磁場でもあります。

今回は関連する映画、文学作品に触れつつ、レ・ヴェーレを中心にイタリア都市の郊外住宅の魅力

をさぐります。

 

活火山とともに生きる エトナ火山とワイン

イタリア研究会第5回オンライン講演会 

・日時:8月22日(土)17:00~18:30(JST 質疑応答含む)

・講師:中台 Cornelissen 暁子氏(ワイナリー共同経営者 カターニャ県在住)

講師略歴:上智大学経済学部卒。大学卒業後、都内にてWeb プロデューサーとして活動する傍ら、レシピや郷土料理などの記事を雑誌およびウェブサイトなどに寄稿。2006 年に初めてエトナを訪れ、2009 年よりイタリア・エトナ山北麓在住。夫のフランク・コーネリッセンとともに農業法人であるAz. Agr. Frank Cornelissen を経営し、ワインおよびオリーブオイルを生産。畑の総面積は約24ha、生産量10-12 万ボトル/年。近年の受賞歴等は、International Wine Report 誌: “2019 Top 100 Wines” 8 位 (99 Pt) - Magma2016、“2016 Top 100 Wines” 2 位 (99 Pt) - Magma2014、

Wine Enthusiast 誌: Munjebel Rosso VA 2016 (97 Pt)、MunJebel Bianco Classico 2017 (92 Pt)、La Repubblica 誌: Miglior Vino 2018 - Munjebel Rosso、Slow wine: Grande vino-Magma 2014 及びChiocciola など

・演題:活火山とともに生きる エトナ火山とワイン

概要:欧州で最も標高の高い活火山である、シチリア島のエトナ山(3320m)。古代から火山活動を続け,時には街や人の生活を破壊する脅威である一方、地元の人たちには「母なるエトナ」「美しい山」と呼ばれ親しまれてきました。特異な地理的条件と豊かな自然は多くの恵みをもたらし、ふもとには葡萄、オリーブ、ピスタチオなどの畑が広がります。とりわけ、近年ではエトナ山で生産されるワインが世界的に注目を集めています。新規ワイナリーも多く、山麓では次々とセラー建設が進み、放棄されていた葡萄畑は整備され、新たなレストランやホテル数も大幅に増加。ここ数ヶ月はCovid の影響で動きが鈍くなってはいるものの、世界各地からワイナリー関係者、ジャーナリスト、そしてワイン愛好家達が多く訪れています。エトナ北山麓で実際に生活し、その地のワインメーカーの妻であり、ワイナリーの共同経営者として、エトナ山の自然や山麓で生産されるワインの特徴や魅力を、それを取り巻く人々のエピソードなど交えながら、ご説明できればと思います。

 

生誕100周年の孤高のピアニスト アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの芸術

イタリア研究会第4回オンライン講演会

・日時:721日(火)2030~2200 

・講師:吉川隆弘氏(ピアニスト ミラノ在住)

講師略歴:兵庫県西宮市出身。東京藝術大学卒業、同大学院修士課程修了後1999年よりイタリア・ミラノ在住。2000年~2002年にミラノ・スカラ座アカデミーで学び、イタリアの4つの国際コンクールに優勝。ミラノ・スカラ座での演奏を多数行ない、2015年3月にはスカラ座管弦楽団首席クラリネット奏者

ファブリツィオ・メローニとのCD「Vif et Rythmique」が、ドイツ・グラモフォンより発売される。

イプシロン・インターナショナルよりベートーヴェン、ドビュッシー、シューマン、リストの CDを

発売。レコード芸術誌上で特選盤となるなど高評を得ている。2019年11月「TAKAHIRO YOSHIKAWA -WOLFGANG AMADEUS MOZART」を発売開始。 同月ミラノ・スカラ座のバレエ公演 PeNte mort にてモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏(8公演)。イタリア国営放送RAI(TV,Radio)やCorriere della sera、La Repubblicaなどイタリアの有力なメディアにも度々取り上げられ、高く評価されている。

 

・演題:生誕100周年の孤高のピアニスト アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの芸術

概要:1920年ブレーシアに生まれ、1995年に他界した偉大なピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリは、イタリアのみならず、20世紀を代表するピアニストの1人で、マウリツィオ・ポリーニやマルタ・アルゲリッチも彼の指導を受けています。徹底的に磨かれた音色と、完璧主義者とまで称された厳しい自己鍛錬、楽器へのこだわり、スタイリッシュかつ個性的な彼の芸術は、

没後25年を経た今も、全世界の音楽ファンを魅了し続けています。

私は日本の大学での勉強を終えたのち、ベネデッティ・ミケランジェリの愛弟子に師事するために1999年にミラノに渡り、現在に至るまでイタリアの多くの演奏家と共演してきました。これまでに実

感した音楽におけるイタリアらしさ、所謂"italianità"の典型の一つとして、彼のいくつかの演奏をご紹介しながら、皆様と今一度私が魅了され希求してきたベネデッティ・ミケランジェリの芸術と20年以上にわたるミラノでの音楽家としての活動を振り返りたいと思います。

 

アートのマイクロバイオーム「フィレンツェ・美の番人たち」

イタリア研究会第3回オンライン講演会

・日時:625日(木)2100~2230(日本時間 質疑応答含む)  

・講師:大平美智子氏(コーディネーター・ライター フィレンツェ在住)

講師略歴:武蔵野美術大学造形学部油絵科卒。商社内グラフィックデザイナーを経て渡伊。TV、雑誌など

メディアや企業の現地コーディネイターを専門業務に、食分野からアートもファッションもリンクするライフスタイル全体をテーマに執筆も手がける。文藝春秋「クレア・トラベラー」、小学館「メンズ・プレシャス」、朝日新聞出版「アエラスタイルマガジン」、ハースト婦人画報「ELLE」、マガジンハウス「PEN」、NHK出版「旅するイタリア語」などコラボ媒体多数。

 

・演題:アートのマイクロバイオーム「フィレンツェ・美の番人たち」

概要:不意打ちのごとく陥ったロックダウンから起死回生しつつあるイタリアですが、その爪痕は深く、影響は長く続きそうです。それでもなお古都フィレンツェは、変わらず燻し銀のツヤのような個性ある輝きを放ち続けています。それはなぜか。多くの芸術作品は古の時代に完成したものですが、それを愛し

生かし続ける人々が今でもここに集結し、あたかも森の古木の根元の若芽がまた成長してより豊かな森を形成していくような、アートのマイクロバイオームとも比喩できる制作保存環境が出来上がっているからです。その核となるものは何か。

フィレンツェ独特の「2つのこだわり」です。私はこれを「B&B戦略」と呼んでいます。

一つはソフトである美意識 (Senso della Bellezza , Senso Este8co)。

これはイタリア人が頻繁に口にするbello, bellezzaなどの表現に象徴される「美しさ」が何よりも善であるという各時代の市民の本能レベルの美意識です。

そしてもう一つはハードにあたる職人工房( Bo<ega )。フィレンツェの文化遺産を作り続けてきたのは各分野の地元の職人工房です。

そして驚くことに今も古来よりの伝統と技が要になっているミクロ工房が点在しています。長い取材人生で見聞きした、アート都市フィレンツェの屋台骨を支える工房やクリエーター達のよもやま話をご紹介したいと思います。

 

シュールなローマ、コロナショック没後500年の「ラファエッロ展」

イタリア研究会第2回オンライン講演会

・日時:530日(土)17:0018:30(日本時間・質疑応答含む)

・ビデオ会議システム:Google Meet

・講師:上野真弓氏(美術史研究家・翻訳家 ローマ在住)

講師略歴:1959年生まれ。大分県別府市出身。成城大学文芸学部芸術学科(西洋美術史専攻、千足伸行先生ゼミ)卒業。英国留学後、1984年よりローマ在住。イタリア語とイタリア美術史を学ぶ。2016年、『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密 天才の挫折と輝き』(河出書房新社)で翻訳家デビュー。2017年の『カラヴァッジョの秘密』、2019年の『ラファエッロの秘密』と続く。

2020年、APU(立命館アジア太平洋大学)学長・出口治明氏の推薦を受け、長野恭紘市長よりツーリズム別府大使に委嘱される。ローマの生活や芸術を紹介する人気ブログ「ローマより愛をこめて」の管理人。

 

・演題:シュールなローマ、コロナショック没後500年の「ラファエッロ展」

概要:私たちは今、試練の時にあります。新型コロナウイルスが多くの人の命を奪いながら、世界中の経済活動や日常生活をストップさせ、世界を分断しています。2020年はラファエッロ没後500年記念の年で、ローマは、本来なら華々しい展覧会や特別展示で盛り上がる予定でした。それなのに北イタリアの感染爆発が原因で、スクデリア・デル・クィリナーレで3月5日に開幕した「ラファエッロ展」は4日後の9日には閉館となり、翌10日にはイタリア全土が都市封鎖という事態になってしまいました。騒々しいローマが誰もいないシュールな街となってしまったのです。辛い時期を乗り越えて5月4日より段階的解除が始まり、美術館も5月18日から開館します。イタリアのコロナ禍を振り返りながらローマの現状をお伝えするとともに、開幕初日に見学したラファエッロ展のお話をさせて頂きます。辛い時や悲しい時には美しい音楽や綺麗な絵や彫刻が心を癒してくれます。文化芸術の花は、生活必需品ではなくても、生きていくために必要なものなのです。

 

 

迷宮都市ヴェネツィアの至宝『フェニーチェ劇場』

イタリア研究会第1回オンライン講演会

・日時:2020516日(土)1600~1800(途中休憩、質疑応答含む)

・講師:新井巌氏(フェニーチェ劇場友の会代表 イタリア研究会会員) 

講師略歴: 

1943年東京生まれ。成城大学文芸学部卒。レコード会社勤務を経て、広告界に転じコピーライターへ。1970年東京コピーライターズ・クラブ新人賞を受賞。以後、数多くの広告制作に携わる。1996年「ラ・フェニーチェ再建募金友の会」を立ち上げ、募金した約500万円を同劇場に寄付。再建後も毎年観劇ツアーや毎月開催の「日比谷オペラ塾」などにより募金活動を続けている。現在、新国立劇場オペラ・プログラム編集に携わっている。著書に『日めくりオペラ366日事典』『文人たちのまち 番町麹町』(以上言視舎)、編共著に『知識ゼロからにオペラ入門』(幻冬舎)、『日本映画黄金期の影武者たち』(彩流社)など。

 

・演題:迷宮都市ヴェネツィアの至宝『フェニーチェ劇場』

概要:1000年続いたヴェネツィア共和国の崩壊のわずか5年前の1792年に、当時最大の劇場としてフェニーチェ劇場が開場しました。その誕生とその後の発展の歴史は、ヴェネツィア音楽史という文脈の中でこそ語られなければなりません。1637年の商業劇場としてのオペラハウスの誕生は、その後のヴェネツィアをめぐるオペラ発展史の中でも特筆すべきことでした。フェニーチェ劇場の歴史は、共和国崩壊という、いわば「滅びの美学」の中で多くの音楽家や文人たちに愛され語り継がれてきました。“不死鳥”という名のオペラハウスを生み出した迷宮都市ヴェネツィアの魅力を、劇場というフィルターを通しながらお話できればと思います。

 

ガリレオ・ガリレイと宇宙像を描くイタリア文学(概要)

2月例会(475回) 

・日時:2020年2月10日 (月) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:小林 満(こばやしみつる)氏(京都産業大学教授) 

略歴:島根県出身。1961年生まれ。京都大学大学院出身。同大学助手を経て、現在京都産業大学教授・外国語学部長。また、実用イタリア語検定協会会長も務めている。専門はイタリア語学・イタリア文学。特にガリレオ・ガリレイの言語表現・言語戦略やイタリア文学における宇宙のイメージを研究してきた。

・演題:ガリレオ・ガリレイと宇宙像を描くイタリア文学

概要:ダンテからガリレオまでを貫くイタリア文学の使命の一つは文学的言語を通して宇宙像を構築することだと、かつてイタロ・カルヴィーノは語りました(「科学と文学に関するインタビュー」1968年)。実際、イタリア文学の起源の1つである聖フランチェスコ『被造物の賛歌』を始め、ダンテ『神曲』は言うまでもなく、ペトラルカ『カンツォニエーレ』、アリオスト『狂えるオルランド』、タッソ『エルサレム解放』においても、宇宙像や世界像が描かれています。イタリア文学史ではしばしばその一章を割かれるガリレオも、当然ながら例外ではありません。今回は、イタリア文学の中にガリレオを位置づけた上で、天文学的発見をめぐる書簡や自然学と信仰の関係について論じた書簡を中心にガリレオの論理と表現に直接触れたいと思います。(小林 満)

 

2月10日(月)にイタリア研究会第475回例会が開かれました。講師は京都産業大学教授の小林満先生、演題名は「ガリレオ・ガリレイと宇宙像を描くイタリア文学」でした。

ガリレオは一般的には科学者と考えられており、科学史の上ではその通りですが、当時は哲学と科学とは分かれておらず、ガリレオを哲学者あるいは文筆家と考える事もできます。ですから彼の名前はイタリア文学史の教科書に必ず登場するのです。そもそもイタリア文学がいつから始まったかが問題ですが、ローマ帝国の崩壊後に公用語であったラテン語と地方ごとの言語とが混じり合って、イタリア語と呼んでよい言語が成立したのが1200年前後と考えられます。そしてイタリア語による文学の最初期に位置するアッシジの聖フランチェスコによる「被造物の賛歌」に、すでに宇宙像の記載が認められます。

その後も、ダンテはもちろんのこと、ペトラルカ、アリオスト、タッソの作品にも宇宙像の記載が認められるのですが、それはもちろん中世の宇宙観に基づいています。アリストテレス哲学、トマス・アクイナスによって集大成されたキリスト教哲学、プトレマイオスの天文学を基礎とする宇宙像は当然のことながら地球中心説すなわち天動説でした。地球には地獄から地上の楽園へと続く階層があり、その上には煉獄があり、さらに天空にも階層があって至高天に天国があるという考え方です。彼らの作品に登場する宇宙像は、もちろんこれに従っているのですが、中でも注目すべきはアリオストによる「狂えるオルランド」です。ここにはオルランドの友人であるアストルフォが、オルランドの狂気を治療するために月に行く場面があります。ガリレオはアリオストを愛読し、高く評価していました。

さてガリレオは自作の望遠鏡による天体の観察を行って、次々に新しい発見をするわけですが、その中で彼による月の表面のスケッチは、アリオストによる月世界の描写の影響を受けているのではないかと小林先生は指摘します。もちろんそれを証明することは不可能ですが、きわめて魅力的な仮説です。ガリレオは自分の発見を「星界の報告」としてラテン語で発表し、さらにイタリア語で「天文対話」を出版しました。その内容が聖書の記載と矛盾するとして裁判が行われたことはどなたもご存じでしょう。ガリレオの主張は、地動説の方が観察結果をより合理的に説明しやすいという現代的に言えば一つの仮説の主張に過ぎず、彼が裁判で敗れたのは、周囲の人間の嫉妬によるという説もあります。じつは地球の自転と公転が科学的に証明されたのは、はるか後の時代になってからのことでした。

元宇宙好き少年で、本当は宇宙の研究をやりたかったという小林先生のお話は明快でしかも熱気に溢れており、高度な内容の講演にもかかわらず、聴衆は皆さん熱心に聞き入っていました。小林先生ありがとうございました。(橋都浩平)

 

南北アメリカにおけるイタリア移民の世界(概要)

1月例会(474回) 

・日時:2020年1月28日 (火) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:北村暁夫氏(日本女子大学文学部教授) 

略歴:1959年東京生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。東京大学文学部助手、三重大学助教授を経て、現在日本女子大学文学部教授。専門はイタリア近現代史、ヨーロッパ移民史。著書・編著に『ナポリのマラドーナ』(山川出版社)、『近代イタリアの歴史』(ミネルヴァ書房)、『イタリア史10講』(岩波新書)、訳書にルーポ『マフィアの歴史』(白水社)、ベヴィラックワ『ヴェネツィアと水』(岩波書店)など。

・演題:南北アメリカにおけるイタリア移民の世界

概要:イタリアは、国家統一後の1870年代半ばから1970年代半ばまでの100年間に、統計資料によると2700万人もの膨大な数の移民を国外に送り出しました。その多くは出稼ぎ的な性格を持ち、一定期間を国外で働いたのちに帰郷することを目的としていました。しかし、他方では最初から永住を決めて移動した人々も相当数存在しましたし、郷里と移民先を行き来しているうちに移民先での定住を決断する人々も存在しました。その結果、ヨーロッパ諸国や南北アメリカ、オセアニアにイタリア系のコミュニティが形成され、受入国の政治・経済・社会・文化に影響を与えるようになりました。

 

本講演では、アメリカ合衆国、アルゼンチン、ブラジルの三国を主たる対象として、イタリア移民が何ゆえに移民を決断したのか、移民先でいかなる活動に携わったのか、そして、これらの国々の社会・文化にいかなる痕跡を残してきたのかをお話ししたいと思います。また、膨大な数の移民が流出したことでイタリア社会はいかに変容したのか、イタリアとこれらの国々が移民を介していかなる関係を結んできたのかについてもお話ししたいと思います。 (北村暁夫)

 

1月28日あいにくの天候の中、第474回イタリア研究会例会が開かれました。第475回とお知らせしてありましたが、前回の474回が講師の急病で中止になっていますので、今回を474回と訂正させて頂きます。さて今回の講師は日本女子大学教授の北村暁夫先生、演題名は「南北イタリアにおけるイタリア移民の世界」でした。

イタリアからの南北アメリカ、ヨーロッパ諸国への移民は19世紀後半から盛んになりますが、それには2つの世界史的な状況が影響していました。一つが奴隷制の廃止、一つがヨーロッパ全体における人口の急増でした。イタリアからの主な移住先は、アメリカ合衆国(以降アメリカ)、フランス、アルゼンチンですが、今回の講演の内容はアメリカ、アルゼンチン、ブラジルに限られます。イタリア移民というと南部とくにシチリア出身者のアメリカへの移民のイメージが強いのですが、これは20世紀以降の特徴で、それまでは北部の山岳地帯からのヨーロッパへの移民も多かったのです。

アメリカではすでにWASPによる支配が確立していましたので、イタリア移民は最底辺からのスタートを余儀なくされました。そのために本来の人種とは関係なく黒人として扱われるあるいはオリーブ(褐色人種?)というカテゴリーに押し込められることもありました。また同じ時期に移住したユダヤ人と較べて、イタリア人の社会階層の上昇は遅かったのですが、それは教育に対する態度と女性の労働に対する態度の差によるものだという事です。しかしやや遅れながらも第2次世界大戦以降には社会階層の上部にも属するようになって来ています。政治への参加に関しては、同じ移民であるアイルランド系に較べて熱心でなく、それは現在も続いているようです。

アルゼンチンではこれとは状況が違っていました。元々の人口が少なかったところに大量のイタリア移民が流入したために、イタリア移民は最底辺からのスタートをする必要がなく、一緒に国を作るという意識が強かったのです。そのために文化もスペイン系文化とイタリア文化とが混じり合い、言葉においてもブエノスアイレス方言はスペイン語とイタリア語のハイブリッドのような言語だという事です。しかし逆にイタリア移民の子孫がイタリア語を学習しようという傾向は乏しいということです。

ブラジルでは最初イタリア移民はサンパウロ周辺の珈琲プランテーションに入植しましたが、奴隷制の名残があり、ひどい扱いを受けたため、イタリア政府が方針を変更して、以降は南部3州に入植することになりました。ここは混血国家ブラジルには珍しい白人の多い地域で、イタリア人は完全に現地に同化しており、人数の割には独自の文化を築くには至っていないようです。

こうしてお話を聞くと、人間の移動には制度の裏付けも必要ですが、それがなくても押しとどめることは難しく、これからの日本の少子高齢化の時代に、移民をどう受け入れるのか、歴史を勉強する意義が大いにありそうです。今回のお話から、移民の同化に言葉が果たす役割は非常に大きく、アメリカがヒスパニックを元の言語を認めたまま受け入れているのには問題があるようにも感じました。懇親会では今回のお話と関連するシチリア、カラブリア、アルゼンチンのワインを飲みながらさらに話が盛り上がりました。北村先生、面白いお話をありがとうございました。(橋都浩平)