2022年講演会レポート

魅惑のイタリア・ルネサンス庭園−水の庭園ヴィッラ・ランテを中心に−(概要)

502回例会 ※Google Meetでオンライン開催

日時:2022123日(土)15:0017:00(質疑応答含む) 

演題:魅惑のイタリア・ルネサンス庭園 ー水の庭園ヴィッラ・ランテを中心にー

概要:西洋の視覚芸術の歴史において、燦然と輝く「ルネサンス美術」──従来の美術史においては 、もっぱらルネサンス期の絵画・彫刻・建築の展開に注目が集まってきたが、同時代には 庭を丹精するアート、すなわち造園術もまた、高度な発展をみせていた 。中世まで、庭といえば一般に、高い壁で囲われた小規模なものか、 あるいは薬草や果樹や蔬菜を栽培する実用的な空間として機能してきた。

ところがルネサンス時代を迎えると、とりわけイタリアの地において、古典建築の復興運動とともに、古代風の作庭術もまた復活を遂げ、独創的な発展を遂げてゆく。周囲の壁を取り払い、傾斜地にテラスを重ねて軸線を通し、多彩な斜路や階段で高低差を吸収しつつ 、噴水やカスケードを設けて、審美と快楽を追求するための空間へと庭は生まれ変わったのだ。今回の講演では、上記の流れを追いかけつつ、イタリア・ルネサンス庭園の傑作 と名高いヴィッラ・ランテ庭園を詳しく取り上げ、その美しき空間を 図面や写真、動画などを通じて、追体験してみたい。(桑木野幸司)

講師:桑木野幸司氏(大阪大学人文学研究科教授)

略歴:1973 年東京生まれ。ボローニャ大学イタリア文学科で博士号取得。20 世紀初頭のイタリアと日本の前衛研究に従事。単著に Interlinee: studi comparati e oltre (Cesati, 2021)(『インターライン―比較文化その他』)、L’esperienza friulana di Pasolini. Cinque studi (Cesati, 2011)(『パゾリ

ーニのフリウリ体験』)、共編著に『教養のイタリア近現代史』(ミネルヴァ書房、2017 年)がある。

 

12月3日、第502回イタリア研究会例会がオンラインで開かれました。演題名は「魅惑のイタリア・ルネサンス庭園−水の庭園ヴィッラ・ランテを中心に−」、講師は大阪大学大学院人分研究科教授の桑木野幸司さんです。桑木野さんのお話は前半がルネサンス庭園の発展の歴史とそこに包含されるコンセプト、後半が代表的なルネサンス庭園であるラツィオ州にあるヴィッラ・ランテの解説でした。

 

15世紀から17世紀にかけて、イタリアでは芸術とくに美術が黄金期を迎えた事はどなたもご存じと思います。この時期に同時にイタリアでは庭園も急速に発展し、その後に多くの国で作庭術のモデルとなりました。庭園は空間芸術ですが同時に工学、植物学、造園術の知識を必要とする総合芸術であり、英国の哲学者フランシス・ベーコンは庭園こそが最大の文化的創造であると述べています。ただし庭園の造営には巨額の費用を要するだけではなく、その維持にも巨額の費用が必要で、それが絵画や彫刻とは異なります。そのために庭園は荒廃しやすく、しかもその後の趣味の変化による改変も受けやすく、庭園史の研究は他の美術史研究とは違った困難を伴います。また庭園は季節や天候によってその状況が極端に変化するので、庭園の真の姿を知るためには、同じ庭園を何度か訪れる必要があります。

 

ヨーロッパにおいて庭園は何よりもエデンの園の再現という意味を持ってきましたが、ルネサンスになるとさらに古典の復活によるギリシャのコンセプトも導入され、オウィディウスの「変身物語」のエピソードも取り入れられるようになります。争いがなく調和した黄金時代の後に大洪水による世界の破壊があり、その後に人間の叡智によって文明が築かれるという時代の流れです。ヴィッラ・ランテの庭園はまさにこのエピソードに従って作られています。ルネサンス期には中世と異なり、建築は特定の建築家の明確な意図に従って造営されるようになりましたが、建築家は同時に建築だけではなく、庭園と周囲の風景も意図的に造営し取り入れるようになりました。その代表がイタリア各地に作られたヴィッラなのです。後半のヴィッラ・ランテの紹介では、建設当時の絵図を元に庭園のコンセプトが説明されると共に、動画によってあたかも僕たちが庭園を回遊しているような体験をする事ができました。庭園を訪れて美しさを堪能するだけでも充分に楽しいと思いますが、そこに含まれているコンセプトを意識しながら回遊すれば、その面白さは何倍にもなる事でしょう。 

桑木野さん、大変刺激的で面白いお話をありがとうございました。前回の例会での講演は記憶術がテーマでした。今後さらなる多面的な研究の発展を期待したいと思います。(橋都浩平)

 

Pasolini 100(チェント)−いまなぜパゾリーニか(概要)

501回例会  ※ハイブリッド開催

日時:20221115日(火)19:0021:00  (質疑応答含む)時間にご注意ください。

場所:東京大学本郷キャンパス 文3号館 8階 南欧文学演習室

  (東京都文京区本郷7丁目3−1) 

演題:Pasolini 100(チェント)いまなぜパゾリーニか

概要:パゾリーニ生誕 100 年にあたる 2022 年、昨年のダンテ没後 700 年を凌ぐ盛り上がりを全世界でみせているとまでいわれるパゾリーニ・ブーム、その理由を、文学者としてのキャリア、映画監督としてのキャリアを振り返りながら考える。9 月に経験したイタリア、スコットランド、アルゼンチンでのパゾ

リーニ・イベントの報告も交える。(土肥秀行)

講師:土肥秀行氏(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)

略歴:1973 年東京生まれ。ボローニャ大学イタリア文学科で博士号取得。20 世紀初頭のイタ

リアと日本の前衛研究に従事。単著に Interlinee: studi comparati e oltre (Cesati, 2021)(『インター

ライン―比較文化その他』)、L’esperienza friulana di Pasolini. Cinque studi (Cesati, 2011)(『パゾリーニのフリウリ体験』)、共編著に『教養のイタリア近現代史』(ミネルヴァ書房、2017 年)がある。現在は東京大学大学院人文社会系研究科准教授。

 

第501回イタリア研究会例会が開かれました。パゾリーニ生誕100年を記念してのテーマは「Pasolini 100(チェント)−いまなぜパゾリーニか」、講師は東京大学文学部南欧学科准教授の土肥秀行さんです。講師の希望により講演はオンラインではなくハイブリッドで行われました。 

日本ではパゾリーニは変人で同性愛者の映画作家として捉えられることが多いのですが、イタリアでは多面的な知識人として、左翼右翼という区別を超越したある意味での予言者的知識人として捉えられており、そのために混迷を深めるヨーロッパで今年の生誕100年が盛り上がっているのだという事です。土肥さんはつい先日、パゾリーニイベントをたどってボローニャからエジンバラ、そしてアルゼンチンへと世界一周の旅をしてきたところで、その経験を踏まえてのお話しでした。こうしたアニバーサリーイヤーの意味は、それを記念した新しい出版、展覧会、上映が行われることですが、イタリアでは未完の小説「石油」の新版の他に書簡集の新版の出版、映画の修復、彼自身の絵画の展覧会「造形のひらめき」などが行われましたが、日本でもこれまで観る事のできなかった作品も含め多くの映画の上映が行われ、とくに旧版に較べて字幕が格段に改善されていたという事です。

 

パゾリーニは没落貴族の家系の出身で、父親はそうした家系の常として軍人への道を選び、彼はそのために成人するまでに父親の勤務に従って引っ越しを何度も繰り返しました。それが彼に言葉に対する関心を呼び起こし、後にフリウリ方言による詩集を出版することとなり、彼のアイデンティティの確立にも大きな影響を与えました。彼の初期の短編映画は日本ではなかなか観る機会が無いのですが、中にはあの喜劇俳優トトが主演する作品もあるのだそうです。その後に彼は「奇跡の丘」「アポロンの地獄」「王女メディア」「テオレマ」、そしてやや傾向の異なる作品群「デカメロン」「アラビアンナイト」「カンタベリー」を制作しました。そして1975年に話題作「ソドムの市」を撮影した直後に謎の死を遂げます。公式には同性愛のもつれからの殺人とされましたが、「ソドムの市」に反発したネオファシストたちによる犯行の疑いが強いようです。 

パゾリーニは殺害当時、映画制作は一段落させて、文筆に集中しようと考えていたようで、それが成就されなかったのは本当に残念です。土肥さんによれば彼の最後の評論「ホタルをめぐる記事」は必読だという事です。それがまもなくヨーロッパ文芸フェスティバルのHP上で土肥さんによる翻訳が読めるようになるそうですのでご期待下さい。。土肥さんの希望により講演時間を短めにして、その後の質疑応答の時間が長く確保されましたが、多くの質問、議論があり目的が果たされたと思います。土肥さん、興味深い刺激的なお話をありがとうございました。例会後には近くのイタリア料理店で、実に2年半ぶりの例会後懇親会が開かれました。例会会場のサイズの問題から参加者は少なかったのですが、談論風発楽しい会となりました。今後も少しずつこうしたハイブリッドの例会も増やして行きたいと考えています。

(橋都浩平)

 

作家とイタリアの街を旅して−私の半世紀(概要)

500回記念例会および記念プランツォ(ハイブリッド開催)  

日時:20221023日(日)12:0013:45  (質疑応答含む)

   ※講演終了後記念プランツォ13:5015:30(中締め予定時刻)

場所:レストランアラスカ日本プレスセンター店

   東京都千代田区内幸町2-2-1 日本プレスセンタービル10           

オンラインはGoogle Meetで開催

演題:作家とイタリアの街を旅して ー私の半世紀

概要:

今春放送された NHKカルチャーラジオ「作家と旅するイタリアの街」(全 13回)の書籍化に向けて手を入れていたとき、この旅が街を歩くという空間の移動をしていたようにみえて、じつは時間の中を歩いてきた、時間旅行をつづけてきたのではないかとあらためて感じました。また個人的にも、イタリア語を学びはじめたのが大学 2回生だった1972年秋のことですから、今年で半世紀になります。

そこで今回は、私自身の軌跡も重ね合わせつつ、作家と作品を携えてイタリアを旅すると見えてくる風景について、放送内容の総括と併せてお話ししてみることにします。ここ数年、通史的な『イタリア文学案内』、対訳による 100篇のアンソロジー『イタリア名詩選』(共に岩波文庫別冊)の仕事を進めていることもあって、全体を眺望する視 点に立って考える機会が多いものですから、今回のお話もそうした 俯瞰 的視点と、町をみずから歩く地上の視点を併用して進めていければと考えています。(和田忠彦)

講師:和田忠彦氏 東京外国語大学名誉教授)

講師略歴:

1952年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。専攻はイタリア近現代文学・

文化芸術論。著書に『遠まわりして聴く』(書肆山田)『タブッキをめぐる九つの断章』(共和国)『声、意味ではなく──わたしの翻訳論』(平凡社)『ヴェネツィア 水の夢 』(筑摩書房)『ファシズム、そして』(水声社)ほか。

ウンベルト・エーコ、イタロ・カルヴィーノ、アントニオ・タブッキをはじめ、イタリア近現代文学の訳書多数。NHKEテレ『 100分 de名著』では 2018年 9月「ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』」、 2020年 4月「コッローディ『ピノッキオの冒険』」で講師を務める。

 

10月23日イタリア研究会第500回例会と記念祝賀会が12時から内幸町の日本プレスセンタービルの「アラスカ」で開かれました。久しぶりの好天に恵まれ、日比谷公園と皇居を見渡すことのできる会場には48人が集まりました。皆さん久しぶりのパーティーでうきうきした様子です。何よりもこうして実際に集まることができた事を喜びたいと思います。講演は現地とオンラインのハイブリッド形式で行われました。講演者は東京外国語大学教授でイタリア現代文学研究者・翻訳家の和田忠彦さん、演題名は「作家とイタリアの街を旅して−私の半世紀」でした。

 

フランス文学を目指して京都大学に入学した和田さんは2年生でイタリア語と出会い、イタリア文学へと進むことになります。当時、イタリア現代文学が次々と翻訳されており、イタリア文学への関心の波が高まっていたという事です。その後、ボローニャに何度も滞在し、そこでエーコを初めとする多くの文学者と出会うことになりますが、イタリアの多くの文学者は、特定のイタリアの都市との強い結びつきを持っています。そうした結びつきをイタロ・カルヴィーノの著作「見えない都市」を手がかりとして探ろうというのが前半のお話しでした。この小説は元の大都を訪れたマルコ・ポーロが皇帝フビライと架空の都市について語り合うという物語です。最後にフビライからお前は多くの都市について語ったが、自分の故郷のヴェネツィアについて語らなかったではないかと言われたマルコ・ポーロは、それはどの都市について語っていたとしても、何かしらヴェネツィアについて語っているからなのですと答えます。都市は訪れる場所というよりも記憶の集合体であり、ある都市に滞在している時には、空間的のみならず時間的な旅を体験していることになるのです。 

後半ではタブッキの直筆メモや和田さんが収集を続けているアントニオ・ブエノ作のリトグラフなど半世紀の間に体験したさまざまなイタリアと関連するエピソードが語られました。実際には半世紀よりも前になりますが、和田さんが最初にで会ったイタリア文学である、少年時代に読んだ少年少女世界文学全集の中の「クオレ」と「ピノッキオ」のお話が印象的でした。こうした翻訳によって自分たちの知らない世界に子どもたちが触れることには大きな意味があり、後にイタリア文学翻訳者となる自分と、この時の少年和田忠彦とがどこかで繋がっているのではないかとの指摘は大変印象的でした。現在は「イタリア文学案内」と「イタリア名詩選」を準備中だそうです。上梓が楽しみです。和田さん、幅広い教養と経験とに支えられた興味深いお話しをありがとうございました。

(橋都浩平)

 

 

ローマにある食料・農協関係の国連機関の活動と各国の思惑   ーイタリア生活の体験談を交えてー (概要)

499回例会  

日時:2022924日(土)17:0019:00  (質疑応答含む)

演題:ローマにある食料・農協関係の国連機関の活動と各国の思惑

    ーイタリア生活の体験談を交えてー

概要:あまり日本では知られていませんが、イタリアのローマには食料や農業を対象とする3 つ の国連機関が存在して い ます。私が働く国連食糧農業機関FAO)に加え、食料支援を主たる業務とする世界食糧プログラム WFP)、各国の農業開発事業に資金を提供する国際農業基金( IFAD)があります。これら

の国際機関では、毎年多くの会議が開催され、様々な決定や各国の意見交換が行われています。各国の大使館でも、農業省からの職員を外交官として配置し、こうした国連機関専用の大使ポストを設置する国もあります。こうした情報はあまり日本のマスコミに取り上げられないのですが、今回の講演では、 FAOを中心にこれらの国際機関の主たる活動や、生物多様性・気候変動・SDGs等の最近国際的な関 心を集めている地球期的規模での諸課題、さらにはその背後にある各国の国益や思惑について簡単に説明し、食と農業の外交舞台というローマの別な姿を紹介したいと思います。最後に時間があれば、少しだけイタリア

で暮らしている感想なども話せたらと思っています。(遠藤芳英)

講師:遠藤芳英氏 FAO世界農業遺産コーディネーター(GIAHS Coordinator  

講師略歴:

1959年山梨県甲府市生まれ( 63歳)。京都大学農学部農業経済学科及び同大学院修士卒。 1984年農林水産省入省。カナダ・トロント大学人事院留学、 OECD専門官、在イタリア日本大使館書記官(日本政府 FAO常駐副代表)、FAOコーデックス食品規格委員会事務局出向、国際開発課国際農業機関調整官など、主として国際業務を中心に35年間勤務。 2015年 7月より、農水省からの出向で FAOの世界農業遺産( GIAHS)コーディネーター(実質的な事務局の長)として、 GIAHSの運営・管理にあたる。 2018年に農水省を退職し、現在に至る。イタリア滞在歴は、大使館、FAOコーデックス事務局員、今回を含めて計 3回、 15年。現在はローマ市の北東部で家内と 2人暮らし。趣味は旅行と食べ歩き。 

 

 

9月24日、イタリア研究会第499回例会が行われました。折しも東京では雷鳴が鳴り響いていましたが、講師の居るローマは快晴だったそうです。 

講師はかつて熱心なイタリア研究会会員でもあった遠藤芳英さん、現在はローマにある国連食糧農業機関(FAO)で世界農業遺産コーディネーターを務めています。ローマにはFAOの他に世界食料プログラム(WFP),国際農業基金(IFAD)があり、関連する各国の外交官が滞在しています。人間の生存にとって食料が何よりも重要ですので、食料とその元となる農業を統括するFAOの重要性はどなたも理解できると思います。FAOは1945年に設立されましたが、すでに1943年からその準備が進められていたそうで、日本との世界情勢把握の差に驚かされます。FAOの分担金は各国のGDPに応じて配分されていますが、日本はかつては約20%を分担していたのに現在は8.6%で、失われた20年による凋落は他国には見られないものです。

 

FAOの業務は多岐にわたりますが、大きく分ければ、1。世界の農業、食料の情勢把握、2。各国間の対話の促進とくに食料安全保障、3。農業、食料関連統計データの提供、4。途上国への農業支援、5。農産物、食品に関連する条約、協定、指針、企画の作成という事になります。食糧不足は政情不安の原因になりやすく、また食品の安全規格の不一致は輸入差し止めなど貿易紛争の種になりますので、食料、食品を扱うFAOは世界の平和にも大きく貢献していることになります。最近ではウクライナ紛争によるウクライナ、ロシアからの小麦の輸出減少による価格上昇が日本のマスコミでも大きく取り上げられましたが、その今後の成り行きが注目されます。また当然ながら地球温暖化の農業への影響、逆に農業や牧畜が地球温暖化に与える影響が注目され、途上国と先進国、農業国と牧畜国の思惑も絡んで議論が盛んになっています。 

遠藤さんが担当する世界農業遺産は、世界各地の持続可能性の高い特色ある農業を指定して、その維持をエンカレッジすると共に、その伝統知識や文化、景観を世界に広めて、観光資源としても活用しようという活動です。その例として砂漠のオアシス農業、タンザニアの山岳地帯の農業、中国南西部少数民族による棚田などが挙げられますが、いずれも地域の地形や気候に合った混合栽培がその特徴になっています。遠藤さんの故郷に近い山梨の果樹栽培もそのひとつに選ばれているそうで、その選出にはまったく関与していないと強調しながらも、自分が子どもの頃から見慣れていた風景が先人たちの工夫の賜物であると知って感慨深いという事でした。 

さて最後にイタリアに永年暮らしての印象を幾つか話されましたが、一番強い印象を受けたのは1998年顔見知りだった北朝鮮大使館員がローマにある韓国大使館に亡命を求めた事件だったそうです。直前にあった懇親会で彼が「Mother」という歌を熱唱し、彼が北朝鮮に残さざるを得なかった母親を思って歌ったのかと亡命後に納得したそうです。またイタリア研究会会員の皆さまへのお願いとして、鹿児島とナポリとが姉妹都市になった時に作曲された「鹿児島ナポリターナ」という曲をかつての名テノール歌手五十嵐喜芳さんが歌っている音源の存在をご存じの方は連絡して欲しいということでした。もしご存じの方が居られたら、イタリア研究会運営委員会へご連絡ください。遠藤さん、たいへん中身の濃いお話をありがとうございました。(橋都浩平)

 

ファシズム時代の映画を訪ねて−ロベルト・ロッセリーニの三つの《三部作》−(概要)

 第498回例会  ※ZOOMで開催 

日時:2022826日(金)20:0022:00  (質疑応答含む)

演題:ファシズム時代の映画を訪ねて ー ロベルト・ロッセリーニの三つの 《三部作》

講師:押場靖志氏日伊協会イタリア語講座主任・学習院大学・法政大学講師

 

8月26日、第498回イタリア研究会例会が行われました。講師は皆さまお馴染みの日伊協会イタリア語講座主任で、イタリア映画の伝道師とも言うべき押場靖志さん、演題名は「ファシズム時代の映画を訪ねて−ロベルト・ロッセリーニの三つの《三部作》−」でした。 

僕たちの世代はともかく、若い世代にはロベルト・ロッセリーニの名前は、イタリアの映画監督としてあまり馴染みがないようです。彼は1906年生まれで、ルキノ・ヴィスコンティと同い年なのですが、代表作が1950年代で、その後も映画制作を続けましたが、残念ながら評判となった作品が少なく、知名度に大きな差がついてしまいました。しかし脚光を浴びたのはロッセリーニが先で、代表作「無防備都市ローマ」などの制作プロセスから、彼は「ネオレアリズモ」の父と呼ばれています。またその後にイングリッド・バーグマンを主演女優として撮影した作品は、フランスの若い映画監督達に大きな影響を与え、その一つである「イタリア旅行」なくしてはフランスのヌーベル・バーグは生まれなかったとも言われています。

 

さて押場さんはロッセリーニのもっとも有名で一般的には戦争三部作と呼ばれている「無防備都市ローマ」「戦火のかなた」「ドイツ零年」をその内容から戦後三部作と名付け、戦争中にプロパガンダ映画として制作された、それぞれ海軍、空軍、陸軍をテーマとした「白い船」「ギリシャからの帰還」「十字架の男」を本来の戦争三部作としています。この三作のハイライトが映像として示されましたが、軍の全面的な協力で制作されただけに、臨場感や迫力だけではなく、プロパガンダ映画とは思えないヒューマニズムの溢れた内容で、驚かされました。 

ロッセリーニの父親は有名な建築家で裕福でしたが、ロッセリーニが若い頃に亡くなっています。彼は定職に就かずに趣味の映画を撮影している内に、本物の映画監督になったのですが、その生涯に多くの女性達と出会い、彼女たちから精神的、金銭的な援助を受けています。しかも彼女たちと別れた後にも、友好的な関係を亡くなるまで保ち続けたというのですから、魅力的で人柄も良かったのでしょう。その一人が先ほど名前を出したスウェーデン出身ですでにハリウッドで大女優であったイングリッド・バーグマンでした。ロッセリーニの名作の一つである「ストロンボリ」をご覧になった方もあるかと思います。さらにロッセリーニが若い頃に彼が影響を受けたマルチェラ・デ・マルキスという女性と共に制作したもっとも初期の作品が「海の底のファンタジー」「横暴な雄鳥」「小川」で、押場さんはこれらを寓話三部作と呼んでいます。残念ながら最初の作品以外はフィルムが残っていないのですが、「海の底のファンタジー」はデジタル化されており、これに押場さんが字幕を付けたものを鑑賞する事ができました。大きな水槽にたくさんの魚を入れて長時間の撮影を行い、それを編集してストーリー仕立てにした作品で、ある意味で非常に実験的な作品と言えるでしょう。 

彼は1977年に亡くなる直前まで、カール・マルクスの伝記映画の構想を練っていたそうです。その前にはキリストを主人公とした映画を撮影しており、やはり彼は20世紀のヨーロッパ文化を体現した映画監督であったと言えるのではないかと思います。押場さん、面白いお話をテンポ良く語ってくださり、ありがとうございました。(橋都浩平)

 

『天国への電話』のテーマと意図ー死者の世界と生者の世界をつなぐ鍵としての想像力ー(概要)

497回例会  Google Meetで開催

日時:2022730日(土)17:0019:00  (質疑応答含む)

演題:『天国への電話』のテーマと意図

    ー死者の世界と生者の世界をつなぐ鍵としての想像力ー

概要:

この度、拙著Quel che affidiamo al ventoの日本語訳『天国への電話』(粒良麻央訳、早川書房)が出版されることになりました。本作に登場する「天国への電話」は、岩手県大槌町の庭園に設置され、3.11以後開放された電話ボックス「風の電話」に着想を得ています。「風の電話」の電話線は繋がっていませんが、今も失った人と話をしに訪れる人が後を絶たないといいます。『天国への電話』は、イタリアのPIEMME社から2020年に出版されて以来、30の言語に翻訳されています。その先々で、著者の想像以上の反響がありました。今回、本作の舞台でもあり、著者自身が長年暮らす日本で翻訳が出版されたことを受け、この小説を書くことになった経緯や、作品が世界中で多くの人の共感を得た理由などについて、私の考えるところをお話ししたいと考えています。(今井メッシーナ)

私も、『天国への電話』を読み、著者の死者と生者への眼差しに強く心を打たれた一人です。一読者として気になる疑問を著者にぶつけつつ、イタリア語で日本のことを題材に書くという営為について、皆さんとご一緒に考えてみたいと思います。(柴田)

講師:ラウラ 今井 メッシーナ氏(作

   柴田瑞枝氏(東京外国語大学講師)

講師略歴:

ラウラ今井メッシーナ  イタリア・ローマ出身。2005年に来日し、国際基督教大学で修士課程を、東京外国語大学で博士課程を修了。博士(学術)。2014年に文壇デビューし、これまでに小説4冊、エッセイ2冊を発表。作家として活動するかたわら、都内の複数の大学でイタリア語講師としても教鞭を執る。

 

柴田瑞枝  仙台市生まれ。ボローニャ大学、東京外国語大学博士後期課程修了。現在、東京外国語大学ほかで講師を務める。共著に、和田忠彦編『イタリア文化55のキーワード』(ミネルヴァ書房)、共訳に、和田忠彦監修『ウンベルト・エーコの世界文明講義』(河出書房新社)などがある。2022年4月より、NHKラジオまいにちイタリア語テキスト「長靴の中をのぞいてみたら」を今井メッシーナと共に連載中(翻訳・解説担当)。

 

7月30日、イタリア研究会第497回例会が行われました。

演題は「『天国への電話』のテーマと意図―死者の世界と生者をつなぐ想像力」。

2005年に来日したローマ生まれの作家ラウラ今井メッシーナさん(以下ラウラと表記)が、2011年の3.11をテーマにした自著『天国への電話』粒良麻央訳 早川書房 2022年6月刊(原題Quel che affidiamo al vento 私たちが風に託すもの 2020 PIEMME, Milano刊)を著者自らが語る、という贅沢なものでした。

原作は発売と同時にイタリアで、大べストセラーとなり、30にのぼる言語に翻訳されて著者ラウラが戸惑うほどの反響を呼んだそうです。

自著を語るのはやはり母国語で、と言うラウラのこだわりを受けて、イタリア語による解説の日本語訳を担当したのは、ラウラが自らの文学世界の最もい良き理解者と折り紙をつける若きイタリア文学研究者、柴田瑞枝さん。今回はラウラの解説の日本語訳がメインの役割となりましたが、それに先立つ作品紹介で彼女が指摘したのは、この作品の〈構成〉のユニークさでした。

プロローグ+第I部(全51章)+第II 部(全22章)+エピローグという構成をなす各章のうち、かなりの数の何章かが、地の文とは文体の異なる断章として挿入されている点でした。断章の形をとりながら、しかし小説の流れにはみごとにのって、ときにはまるで「風の電話」が運んでくる声ででもあるかのように、すっぽりとそこにはまっているのです。例として柴田さんが紹介したのは、第25章〈死〉にまつわる記述の一部「一方、ゆいは自分なりの理論を構築していた。命は一部の人に対してだけ、生まれたときから体のつなぎ目を緩くしておく。」[以下略…]の部分でした(早川書房版pp.103-104)。 続く第26章では、その実例がいくつか紹介されます。「長い間にゆいが託していった体のパーツ 右手の小指を、小学校で隣の席だったクラスメイトに。(六年後にきれいなまま返ってきた)[…略…]右乳房と膀胱と頬の内側を、娘の父親に。(放置されてしなびて行き、自分の元にないことがつらくなったので、取り返した) […略…]心臓を、父に。(その人が再婚した時、しわくちゃになって帰って来た。治るまで何年もかかった―彼にはもうそれ以上何も預けなかった)(同pp.105-106)でした。(早川書房版pp.103-104) 作者の溢れんばかりのイマジネーションが、主人公〈ゆい〉の言葉となってたっぷり伝わってくるこの箇所に読者とジャーナリストの多くが注目したそうですが、ラウラは「他人に自分の身体の部分をゆだねる(貸与する)自らの〈癖〉について、講演のなかで明かしてくれています。「身体の関節がゆるい生き物が体としてのまとまりを保つには、自分の身体の一部を他人に預けるしかない、そんな発想から、ラウラ自身が幼いころにしていた〈遊び〉だそうです。「一人では、人はなにものにもなりえない」といった想いが、幼いイタリアの少女のなかでこのような形をとるとは、なんとも興味深いものがあります。

  ラウラの講演は、『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルの言葉「人間は困難に直面すると、未来の展望の中に心の支えをみいだそうとする」から始まりました。「失った誰か」は未来にはもはや存在しない、そうした未来をじっと見据えるために求められるもの、それは幼いころから培われた豊かな想像力というわけで、そこで語ってくれるのは『天国への電話』執筆のきっかけとなった「風の電話への旅」。ご主人亮介さんとともに訪れた岩手県大槌町をさまよったあげく、ようやく見つけたベルガーディアの庭園に設置されたガラス張りの電話ボックス。中には電話線がなくてどこにもつながっていない黒のダイヤル式電話機が一台置いてあります。3.11以来一般に開放され、現実世界では会えなくなった相手と言葉を交わすために訪れる人が今も絶えることのない「風の電話」です。

創案者であり現在は管理人をしている佐々木さん夫妻との出会いも、ラウラにとってかけがいいのない意味を持つものでした。鎌倉の自宅に戻ったラウラは、さっそく Quel che affidiamo al vento の執筆にとりかかります。

講演の結びとなったのは、日本の「喪」の精神についてのコメントでした。先祖の思い出を呼び起こす「お盆」「元旦」「彼岸」少なからぬ家に存在する「仏壇」。日本人は愛する人の「思い出」を大切にする、死よりも生ばかりをひたすら重んずるのでなく、死を「生に水をたっぷり与えてたくましく育てる太陽」、あるいは「滋養豊な土壌」のようにとらえている、すばらしい考え方だと思う」との言葉を最後に残しました。

続く質疑応答では、母親と娘を同時に津波に奪われた主人公「ゆい」の名前についての質問がでました。日本人なら「ゆい」→「結い」と漢字の連想をします。生者と死者を結びつける、といった発想からつけた名前なのか、という疑問。会場には、きっとほかにも同じ疑問を抱いていた方がいらしたのではないでしょうか? イタリア語で執筆したラウラは、単に〈音〉から「ゆい」を選んだだけで、「結ぶ」には考えが及んでいなかったようですが、偶然の思いがけない成果を喜んでいました。

その後、懇親会開始までの短いタイムブレークには、イタ研スタッフが選んだ岩手県大槌町の「風の電話」実写の動画が流れました。NHKで放映されたものだそうですが、電話ボックスの扉から、満ち足りた様子で出てくる若い母親と小さなこども、ひとり黒電話の受話器をしっかり握りしめ、「今日はな…」と必死に語りかける老人男性の映像は、目に焼き付きました。

オリジナリティあふれる豊かなイマジネーションと見事な構成力を備えるラウラ、

彼女の文学世界のよき理解者としてラウラ文学の持ち味をあますところなく伝えてくれる実力派柴田瑞枝さん、

正確かつ簡潔でウィットの利いた訳文を早川書房版に提供しラウラ世界を読者の身近なものにくれた粒良麻央さん。

3人のフレッシュな才能が結集して実現した、作家ラウラ今井メッシーナの日本デビューを、皆さんとともに、心から祝福したいと思います。

 

(2022年8月6日 イタリア研究会・運営委員  白崎容子)

 

啓蒙期イタリアの演劇改革−ゴルドーニの場合(概要)

496回例会  ※Google Meetで開催

日時:2022624日(金)20:0022:00  (質疑応答含む)

演題:啓蒙期イタリアの演劇改革 ーゴルドーニの例を中心に

概要:

2022年 3月、博士論文をもとに執筆した『啓蒙期イタリアの演劇改革―ゴルドーニの場合』(東京藝術大学出版会)を上梓しました。ゴルドーニとは、18世紀ヴェネツィアの劇作家、カルロ・ゴルドーニ (Carlo Goldoni, 1707-1793)のことを指します。日本では、ミラノ・ピッコロ劇場の来日公演『アルレッキーノ、二人の主人を一度に持つと』の作家として知られているのではないでしょうか。または三谷幸喜が翻案上演した、『抜目のない未亡人』で名前を聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。ゴルドーニは、イタリアではその作品が学校の教科書に取り上げられ、常にどこかの劇場で上演されているような、国民的劇作家です。講演では、コンメディア・デッラルテの即興仮面劇 中心だったイタリア演劇を

変えていった、ゴルドーニの演劇改革を中心に、啓蒙期イタリアの演劇についてお話しさせていい

ただければと思っています。(大崎さやの)

講師:大崎さやの氏(東京藝術大学非常勤講師・イタリア演劇研究家 

講師略歴:専門はイタリア文学・イタリア演劇。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京藝術大学、東京大学、明治大学、法政大学、東京音楽大学、早稲田大学、放送大学にて非常勤講師。著訳書に、『啓蒙期イタリアの演劇改革 ―ゴルドーニの場合』(単著、 2022年、東京藝術大学出版会)、『アルフィエーリ 自伝』(共訳、 2001年、人文書院)、『オペラ学の地平』(共著、 2009年、彩流社)、『イタリアのオペラと歌曲を知る 12章』(共著、 2009年、東京堂出版)、『西洋演劇論アンソロジー』(共訳・共著、 2019年、月曜社)、『ベスト・プレイズⅡ―西洋古典戯曲 13選』(共訳・共著、 2020年、論創社)、『演劇と音楽』(共著、 2020年、森話社)、他。

 

第496回イタリア研究会例会が行われました。演題名は「啓蒙期イタリアの演劇改革−ゴルドーニの場合」、講師はイタリア演劇を専門とするイタリア文学研究者の大崎さやのさんです。

カルロ・ゴルドーニは18世紀イタリアの劇作家で、イタリアではその作品が教科書に載るほど有名ですが、日本での知名度は必ずしも高くありません。唯一彼のコンメディア・デラルテの作品「二人の主人を同時に持つと」のミラノ・ピッコロ座による3度の公演、日本の劇団による何度かの公演でその名が知られている程度です。そのために彼はコンメディア・デラルテの作者と考えられがちなのですが、決してそうではありません。むしろ旧来の喜劇を近代的な演劇へと変革し、イタリアだけではなくヨーロッパ全体の演劇にも影響を与えた偉大な改革者だったのです。

 

ゴルドーニは1707年、ヴェネツィアのブルジョアの家庭に生まれました。もともと芝居好きでしたが法学を勉強して弁護士となり、弁護士として活躍していましたが、やがて芝居やオペラの台本を書くようになり、1748年以降は劇作家専業となります。1750年には彼の演劇改革宣言ともいえる「喜劇集序文」を書き、その後は驚異的なペースで数多くの作品を発表します。しかし彼の作品は多くの批判にさらされ、とくに彼のライバルだったピエトロ・キアーリとの論争は激烈で、ゴルドーニは追われるようにして1762年以降はフランスで活動することになりました。フランスでもそれなりに活躍していましたが、フランス革命を経験して王からの年金を失い、困窮の中で1793年にパリで亡くなりました。

ゴルドーニはフランス啓蒙思想の影響を受けており、それまでほとんど存在しなかったブルジョアのための喜劇を作り出したという事ができます。彼の主張する喜劇のあるべき姿は1。道徳の手本を示す、2。自然な描写、3。散文で書く、の3つが中心となります。果たして彼の作品がこれらの目標に達していたのか、またどのように近づいていったのかを、大崎さんは公演のユーチューブを交えながら示してくれました。ヴェネツィアの支配層である貴族におもねない彼の作品は、登場人物の活き活きとした描写と相まって、近代演劇と呼ばれるにふさわしい域に到達したのだと思います。大崎さん、分かりやすく楽しいお話しをありがとうございました。それにしてもイタリア人役者達の、公演での機関銃のような猛烈な早口の台詞を理解するのは容易ではないと心底思った次第です。(橋都浩平) 

 

イタリア語の叙法と文法(概要)

495回例会 

日時:2022516日(月)20:0022:00  (質疑応答含む)

演題:イタリア語の叙法と文法

概要:

直説法を超えて条件法や接続法を使った表現を習得することは、母語でない言語としてのイタリア語を学ぶ上で初心者から中級者へと踏み出すための重要な一歩であるように思います。こうした叙法の違いはしばしば、個別の法が適切に用いられるケースを可能な限り網羅的に記述することで説明されています。

一方で、例えば条件法であれば「願望を柔らかく言う」「助言をする」といった用法の羅列は、母語話者が持っている知識としての文法を必ずしも直接に反映しているとは限りません。これは、文法を前提にしたコード解読によって伝達が保証された意味と、そ こから文脈を考慮した推論によって聞き手が実際に得る解釈の間にはしばしば(あるいは、常に)ずれがあるからです。このような言語学の立場からみた文法観を前提に、叙法が持つ機能とそのおもしろさを探ってみたいと思います。(土肥 篤)

講師:土肥 篤氏(どひ あつし 日本学術振興会海外特別研究員 フィレンツェ在住)

講師略歴:

東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。専門は言語学、イタリア語学、ロマンス語学。 2018年から 2020年まで日本学術振興会特別研究員 DC2。 2021年より Università degli Studi di Firenze

 

イタリア研究会第495回イタリア研究会例会が行われました。演題名は「イタリア語の叙法と文法」、講師は日本学術振興会海外特別研究員で現在はフィレンツェ大学に滞在中の土肥篤さんです。外国語を習得するのに躓きとなる事項は幾つかありますが、母国語にない言語の使い方はとくに大きいと思います。言語学者である土肥さんによるこの講演は、条件法、命令法、接続法といった叙法を言語学的に解明して、イタリア語学習の手助けにしようというものです。 

一般的には叙法はイタリア語文法の一部と考えられていますが、言語学的には文法(普遍文法)ではありません。言語学でいう普遍文法は人間が生まれながらに持っている言語能力とその構造を指します。いわゆる文法(イタリア語文法や日本語文法など)は、この人間が持つ普遍的な言語能力が特定の環境の中である言語として表れた表現系という事ができます。このあたりは、言語学の素養がないとなかなか理解しがたいのですが、とくに叙法は、いわば話し手の心の状態を反映したものであって、世界の状況を単に記述するものではありません。ですから基本的な文法よりも高次の存在という事もできます。土肥さんの考えでは哺乳類や鳥を含む他の生物にも文法はあると考えられますが、叙法はヒトにしかないだろうということです。

 

さて人間は言語を習得する能力を先天的に持ち、そのスピードには驚くべきものがあります。しかしこうした叙法は、言語のルールというよりも、社会的なルールであり、経験を積み重ねなければ習得することができません。子どもが叙法の使い方を間違えることはしばしば観察されますが、それと同様に一般的な文法と較べて、外国人学習者にとっては躓きとなりやすいと考えられます。しかも社会の構造や状況によって叙法の使い方は変化して行く事が多いのです。最近のイタリア語では以前と比べて接続法が使われなくなっているのは、そのひとつの例と考えられます。しかし相手の心の状態を推し量るたぐいまれな能力を進化の過程で獲得してきた人間のポテンシャル、それが表れた叙法を使うことによって、無限のニュアンスを言語で表現することが可能になるのです。 

土肥さん、ありがとうございました。今回の講演を聴いた皆さんが叙法の使い方の達人になれる訳ではありませんが、少なくとも毛嫌いしないようにしようと思われたのではないでしょうか。

(橋都浩平)

 

イタリアのテリトーリオ戦略ー農業による地域活性化ー(概要)

第494回 例会(オンライン開催)

日時:2022年4月18日(月)20:00~22:00  (質疑応答含む)

演題:イタリアのテリトーリオ戦略ー農業による地域活性化ー

概要:2022年3月、『イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流』を出版しました。学際的な共同研究で、9名の執筆者のバックグラウンドは多様ですが、イタリアの素晴らしさを、料理、ワイン、芸術、ファッションなど、何か1つのことがらに理由を求めるのではなく、都市と農村のテリトーリオの視点から説明しています。担当した第2章の基礎となった社会背景や価値観を説明しながら、21世紀の「豊かな生活」を皆様と考えてまいりたいと思います。私たちを取り巻く環境は、経営にかかわる課題、人々の生きがいや歓びといった社会的な課題、そして戦争、COVID19、原発といった環境に関わる課題といったように複合的な課題に直面しています。そのような中でもなぜイタリアは輝きを取り戻す

ことができたのでしょうか。テリトーリオとコモンズというキーワードによって、都市と農村の交流をよみがえらせるダイナミックなプロセスを解明します。

講師:木村純子氏(きむら じゅんこ 法政大学経営学部 教授)

講師略歴:

神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了 .博士 (商学 ).パドヴァ大学大学院客員講師 ,フランス農業専門職大学院 (École Supérieure d Agriculture)客員講師 ,2012年から 2014年までヴェネツィア大学客員教授 .専門はテリトーリオ ,地理的表示 (GI)保護制度 ,地域活性化 ,SDGs.農林水産省の地理的表示登録における学識経験者 ,財務省の国税審議会委員 ,日本マーケティング学会理事他 .

近著:木村純子・陣内秀信編著(2022)『イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流』白桃書房 。 

木村純子・中村丁次編著 (2022)『酪農と社会の持続可能性: SDGsへの貢献』中央法規 .

木村純子 (2021)「セッジャーノ・オリーヴオイル PDO/アミアータ・テリトーリオ」田 中洋編著『ブランド戦略ケースブック 2.0』同文舘出版 。

木村純子 (2021)「地理的表示」野林厚志編著『世界の食文化百科事典』丸善出版 。

 

4月18日に第494回イタリア研究会例会が行われました。演題は「イタリアのテリトーリオ戦略−農業による地域活性化−」、講師は法政大学経営学部教授の木村純子先生で、陣内秀則先生と協同編著で今年の3月に「イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流」を上梓しています。 

さてイタリア語のテリトーリオは英語のテリトリーと同じですが、単なる領土の意味ではなく、都市とそれを取りまく農村地域が密接に関連しながら自然環境と農業を守る概念を指しています。イタリアの農業においてもともかく増産という時代がありましたが、元々平地が少なく大規模農業に適さないイタリアでは、アメリカ式の農業に価格で対抗する事は不可能です。じっさいにフランスとは異なりイタリアの食糧自給率は現在でも低いのです。そこで1980年代、90年代から農業政策を変更し、持続可能な伝統的農業を守ることで環境・景観を守り、伝統的な作物や品種を守ることを目指すようになりました。その結果、農村の価値・魅力が高まり、特産品の生産や農村での観光が盛んになってきたのです。その点で原産地呼称や地理的表示を保護するGI制度の発足は大きな役割を果たしました。また農村においては競合ではなく、お互いに助け合い、協同で牧草地やそこから産まれる製品を守るコモンズの精神も大きな役割を果たしています。また生産者と消費者がダイレクトに繋がることが難しい現代では、その間に介在するファシリテーターの存在も重要になります。

 

木村先生はこうしたテリトーリオ戦略のひとつの例として、トスカーナのアミアータ山西麓の栗栽培を挙げて解説しました。アミアータ山の東はオルチャ渓谷でその美しい景観がブランド化され人気を呼んでいますが、西側は忘れ去られた地域でした。小麦の生産にはむかない地形と地質のため、この地域の人びとは栗を乾燥させた粉を主食として生き延びてきました。かつて「貧者のパン」と呼ばれた栗ですが、現在ではその特産の栗から多種の食品や化粧品を生産して、ブランディングを行っています。こうした例は日本の農業にも参考になると考えられますが、日本の農業はまだ効率化の呪縛から逃れておらず、成長から成熟という根本的な価値転換が必要と考えられます。 

木村先生の関西アクセントの快調な講演は分かりやすく刺激的で、多くの会員にとって大変参考になったのではないかと思います。木村先生ありがとうございました。(橋都浩平)

 

 

イタリア語の語源を探る(続編)(概要)

第9回オンライン講演会(会員・非会員ともに参加費無料)

日時:2022年3月29日(火)20:00~21:30 (質疑応答を含む)

演題:イタリア語の語源を探る(続編)

講師:民岡順朗氏(東京都市大学工学部 客員准教授)

概要:

人類の文化・文明の痕跡をもっとも留めているのは、建築・美術でも考古学遺産でもなく「言語」です。たとえば、イタリア語 ciao の原型は schiavo で、ラテン語 sclavus に由来し、「奴隷」の意。英語の slave も同様。つまり「チャオ」という挨拶は、「私はあなたの奴隷。あなたのいうなりに」というローマ人のコミュニケーションに発祥。これらはすべて、古代ローマから 3,000年ほど遡った印欧祖語 * to hear 聞く)に由来。スラヴ人を Slavic といいますが、「奴隷」が語源なので はなく、ロシア 語 слово/slovo 言葉 )、 слушать/slushat 聞 く が 示 すように 、「 言葉を使う民」が原義。そして *kleu- は、英語やドイツ語では k が脱落して、loud、 laut(大きな音)になりました。 今回はとくにイタリア語学習者向けに、「基本動詞、前置詞」の語源について詳しくお話します。(民岡)

講師略歴:

1963年生まれ。早大理工学部建築学科卒業。都市計画・建築キャリア3 6 年。 1998-2003年、イタリア(フィレンツェ、ローマ、サン・クイリコ・ドルチャ)にて美術修復(レスタウロ)に従事。「都市を癒す-イタリアに学ぶ修復型まちづくり」(イタ研、 2007/8/30)のほか、 Temple University (Japan Campus)、 横浜国立大学、学習院女子大学、星美学園短期大学などで講演。著書に『「絵になる」まちをつくる-イタリアに学ぶ都市再生』 2005年、『イタリア映画 BEST50』 2011年、『東京レスタウロ 歴史を活かす建築再生』 2012年など。正統的な比較言語学に準拠しつつ、建築工学的 なロジックを活用し、 2016年より、印欧祖語( Proto-Indo-European Language)を軸に、マルチリンガル領域(英独仏伊西露)で語源・形態分析を行なっている。

 

日本と比較したイタリアの感情的コミュニケーション(概要)

493回例会  

日時:2022319日(土) 17:0019:00  (質疑応答含む)

演題:日本と比較したイタリアの感情的コミュニケーション

概要:日本独特と見える「建前」というコミュニケーション様式は、他の国には存在しない文化的な現象なのか。イタリアと日本の精神科医療に携わるものとして、私たちの精神健康度に影響を与える対人関係におけるコミュニケーションの本質を分析してみたい。

文化のるつぼであるヨーロッパ、イタリアのコミュニケーション様式は、日本と根本的に違うのか。コミュニケーションにおいて十分に感情の伝達が行なわなければ、他者との距離が大きくなり、コミュニケーションの満足度が下がる。「他者に助けてほしい」、「愛されたい」、「認められたい」などの普遍的欲求が、日本より、ヨーロッパのフラットなコミュニケーション様式に満たされているのか。「お節介」はイタリアではポジティブなニュアンスを持つが、他者のために他者のパーソナルスペースに侵入するイタリア人は精神健康度が高いのか。

コミュニケーションは特定の文化、社会の慣習行動でありながら、人類普遍の感情的なニーズでもある。

社会精神医学の観点でイタリアと日本のコミュニケーションを論じてみたい。(パントー・フランチェスコ)

講師: パントー・フランチェスコ(Francesco Pantò 精神科医)

講師略歴:

シチリア州メッシーナ出身。サクロ・クオーレ・カトリック大学医学部卒業後、ジェメッリ総合病院(ローマ)で研修しイタリアの医師免許取得後来日。斎藤環氏の指導の下、筑波大学大学院医学博士課程に学ぶ。日本の医師免許を取得後慶應義塾大学病院で初期研修、現在慶應義塾大学病院および他の国内の病院・精神科クリニックにて精神科医として勤務している。文化医学、社会精神医学、人類学に興味を持ち、文化比較分析に基づき異なる文化における精神症状の表現の仕方など日本に特有な感情的コミュニケーションについての著書を福村出版から 2022 年 4 月に出版予定。また研究中の療法「アニメ療法」に関する著書を光文社から 2022 年秋に刊行予定。日本の文化のひとつと言えるオタクカルチャーを若者のメンタルヘルスの支援ツールにするため、心をケアできるオリジナル作品を開発検討中。 

↓講師の紹介記事です。 

https://www.businessinsider.jp/post-205459

 

3月19日にイタリア研究会第493回例会が開かれました。演題名は「日本と比較したイタリアの感情的コミュニケーション」、講師は精神科医のパントー・フランチェスコさんです。パントーさんはシチリア出身でイタリアと日本の医師免許を取得して、現在は実際に診療を行いながら日本とイタリア、東洋と西洋の文化、コミュニケーションの違いを研究しています。 

日本のアニメから日本の文化に関心を抱き来日したパントーさんは、日本人独特の「タテマエ」と「ホンネ」に関心を抱き、それが時には精神的な不健康行動に繋がる可能性があるのではないかと考えて研究を始めました。現在では人間の行動を遺伝的要因から説明しようとする動きが盛んですが、環境要因も大きくこの国際化の時代には、それを充分に理解しないとすれ違いが起こります。文化と関連したこころの疾患は文化結合(文化依存)症候群と呼ばれ、特定の民族、特定の地域に診られるという特長があり、日本の対人恐怖症、イタリアのマンマ依存症(mammoni)はその一例と考えられています。そもそも文化はその中に居るから文化であり、中にいる人たちにとっては自明のもので、客観視することは困難です。その意味で、文化論においてはその文化の外に居る部外者が重要であり、パントーさんはその役割を果たしたいと考えています。

 

パントーさんは、人称代名詞、自己言及、感情的知性、集団主義と個人主義を手がかりに日本人とイタリア人の違いについて解析を行いましたが、日本人は個人の主観性を重んじた属性(正直である、・・・に関心を持っている)よりも客観的な属性(会社員である、母親である)を大事にしており、自らの好き嫌いを率直に述べることが少ない、また集団の満足が個人の満足に繋がるという意識が強く、社会がまとまりやすい反面、個人が抑圧されやすい特長があります。それに対してイタリア人は自分の独自性、自分の評価を何よりも大切にしています。その結果として社会が渾沌に陥る可能性があっても、それを個人主義に伴うやむを得ない代償として受け入れる傾向があります。 

パントーさんはそれは優劣の問題ではないとしながらも、日本人にさらに次のような意識を持ってはどうかと勧めています。“他者に嫌われてもよい”“他の人に自分の落ち込んでいる姿を見せてもよい”“自分の意見を言ってみよう”“断る勇気を持とう”“自分のユニークさに自信をもって、自分を苦しませない行動を”。

パントーさん、大変面白い示唆に富んだお話しをありがとうございました。さらに研究を続けて、文化交流に貢献すると共に、異文化の狭間で悩む患者さんたちの治療に当たってもらいたいと思います。 

(橋都浩平)

 

イタリア歴史都市の半世紀ー観光客と移民(概要)

492回例会  

日時:2022219日(土) 17:0019:00  (質疑応答含む)

演題:イタリア歴史都市の半世紀ー観光客と移民

概要:

イタリアのコロナ禍は中国人観光客から始まった。観光客も増加したが、中国人労働者はもっと多い。中国以外からの移民はさらに多い。 2015年シリア内戦が激化した後 100万を超える難民が押し寄せ、イタリアに限らず EU全体が難民問題で苦しんでいた。この大混乱の最中、 COVID19が世界を変えた。日本人が初めてインバウンド急増を体験していた同時期、イタリアは観光客急増も去ることながら、難民とやはり急増した移民という外国人に直面していた。ブレグジットや独仏の移民政策は日本でもよく紹介されるが、 2013年の「ランペドゥーザの悲劇」以後のイタリアの移民政策、外国人問題が語られることは少ない。実際は一昔前と違いイタリア社会はすっかり変わった。コロナ後はさらに変わる。

一方、イタリアの大小の歴史都市保存は半世紀を超え、ローマやボローニャの下町公営住宅や丘陵部の中世城壁都市にも多様で大勢の移民が暮らし、他の EU諸国とは違う地域社会を形成している。日本同様に深刻な人口減少と低い出生率に悩む現在のイタリアでは、急増したインバウンドを迎え入れるビジネスを急増した移民が支えている。イタリアの外国人と日本の外国人、その違いと受入れ方の違いを考えてみたい。(宗田 好史)

講師:宗田 好史氏むねた よしふみ 京都府立大学教授)

講師略歴:

法政大学工学部建築学科卒,同大学院修修了。イタリアのピサ大学・ローマ大学大学院で都市計画学専攻,京都大学で工学博士。国際連合地域開発センターを経て,京都府立大学助教授,教授。副学長・和食文化研究センター長歴任。国際記念物遺跡会議( ICOMOS)日本委員会理事,京都市景観まちづくりセンター理事,(特)京都府地球温暖化防止活動推進センター理事,(特)京町家再生研究会理事。著書に『インバウンド再生-コロナ後への観光政策をイタリアと京都から考える』 2020年、『なぜイタリアの村は美しく元気なのか-市民のスロー志向に応えた農村の選択』 2012年、『町家再生の論理-創造的まちづくりへの方途』 2009年、『にぎわいを呼ぶイタリアのまちづくり-歴史的景観の再生と商業政策』 2000年 等。

 

2月19日、第492回イタリア研究会例会がオンライン開催されました。講師は京都府立大学教授で和食文化研究センター長を務める宗田好史先生です。先生は法政大学で建築を学ばれた後、イタリアで都市のレスタウロの研究に従事しました。その中で歴史都市の保存と観光とが緊密に結びついていることに気づき、まちづくりと観光との関係を研究し、帰国後は京都において町屋の保存や観光政策に携わっておられます。イタリアにはグランドツアーの時代から多くの観光客が訪れていますが、そのほとんどは英国か西ヨーロッパ諸国からでした。それが戦後は大きく変わります。アメリカ人、日本人、東ヨーロッパ諸国人、そして中国人が増加しましたが、彼らのイタリアでの行動はそれぞれ異なっており、それに応じてイタリア人の側も変化を余儀なくされています。観光が文化に関心を持つ一部のエリートのものではなくなり、大衆化したのです。そこには「ローマの休日」など映画も大きく影響を与えています。 

 

イタリアでは戦後、チェントロと呼ばれる町の中心にある古い建物の残る地区がレスタウロされ、それが市営住宅となりました。ボローニャを嚆矢として行われたこうした事業が、行政から民間へと受け渡され、魅力的な街並みが生まれ、それが観光客を引きつけるようになりました。これは日本にとっても大いに参考になる事例で、とくに京都では古くて暗いと敬遠されていた町屋の再生へと繋がっています。その結果、町屋をそのまま使ったり、町屋に似せた建物が建てられレストランやショップ、ホテルとして使われています。こうした事業には住民の協力が重要であり、とくに女性の力を活用することが重要であることを宗田先生は強調されました。 

 

一方で、イタリアを含むヨーロッパ諸国は多くの移民を受け入れており、その同化も大きな問題です。イタリアの移民は西欧諸国からがもっとも多いのですが、ルーマニア、アルバニアを代表とする東欧諸国、アフリカからも移住があります。最近では中国からの移民が増加していることも注目されます。元の国の文化を背負って移住してきた人たちをどのようにイタリア市民として教育するかは大きな問題であり、最近イタリアでは、パキスタン移民の若い女性が、親の決めた結婚相手を拒否して家族に殺害されるという悲劇も起こっています。こうした教育には時間とステップが必要で、移民と名付けずに多くの外国人労働者を受け入れている日本にとっても大いに参考になるのではないかと思われます。 

現在コロナ禍で、日本でもイタリアでもインバウンド観光客は激減していますが、いずれは回復するし、そうした流れは留まることがないと考えられます。観光先進国イタリアから学ぶところは大きいのではないかと考えられます。宗田先生ありがとうございました。懇親会では国際結婚論が大いなる盛り上がりを見せていました。(橋都浩平)

 

ポンペイの発掘品とその魅力−特別展『ポンペイ』の見どころ(概要)

491回例会  

日時:2022118日(火) 20:0022:00  (質疑応答含む)

演題: ポンペイの発掘品とその魅力ー特別展「ポンペイ」の見どころ

概要:紀元 79年、イタリアのナポリ近郊にあるヴェスヴィオ山で大噴火が発生し、ローマ帝国の都市であったポンペイが火山噴出物に飲み込まれました。火山灰などで埋没した古代の遺跡には当時の生活空間がそのまま残されています。この「タイムカプセル」ともいえる遺跡の発掘品をご紹介するのが特別展「ポンペイ」です。

今回の講演では展覧会の見どころと展示品が物語るポンペイ市民の豊かな生活について、担当した学芸員が裏話を交えつつご紹介します。ポンペイ遺跡の魅力と重要性、ヴェヴィオ山の噴火とポンペイの埋没、都市の構造と公共施設、裕福な市民の生活、ポンペイの社会で活躍した女性や解放奴隷、住民たちの食と仕事、展覧会で注目 の 3つの邸宅(「ファウヌスの家」、「竪琴奏者の家」、「悲劇詩人の家」)についてお話しします。特に、ポンペイ最大の邸宅として知られる「ファウヌスの家」の装飾品は詳しくご紹介します。(小野塚 拓造)

講師:小野塚 拓造氏(おのづか たくぞう 東京国立博物館研究員)

講師略歴:1980年 埼玉県生まれ。筑波大学大学院人文社会科学研究科博士課程単位取得退学。 2014年より東京国立博物館に勤務。西アジア・エジプト分野の コレクションを中心に、ヨーロッパから中央アジアまでの所蔵品の調査研究と展示を担当。また、エジプト、ギリシャ、アフガニスタン、サウジアラビアなどの古代文化を紹介する特別展にも関わ る 。ライフワークは東地中海地域の考古学 で、 イスラエル /パレスチナを主なフィールドとしながら考古学の立場から東地中海地域の古代史を研究。これまでにテル・エッ・サッフィ遺跡、エン・ゲヴ遺跡などの発掘調査に参加。現在はイスラエルのテル・レヘシュ遺跡の考古学プロジェクトに従事している 。

 

1月18日にイタリア研究会の今年はじめての例会第491回例会が行われました。演題名は「ポンペイの発掘品とその魅力−特別展『ポンペイ』の見どころ」、講師はこの展覧会を担当している東京国立博物館研究員の小野塚拓造さんです。 

特別展「ポンペイ」は1月14日に開幕したばかりで、4月3日まで開かれています。これまでにも何度か日本でポンペイ展は開かれていますが、今回のポンペイ展の特徴はナポリ国立考古学博物館の全面的な協力によって、“大盤振る舞い”と言ってもよいほどに貴重な発掘品が展示されていることです。それというのも、ポンペイを訪れる日本人観光客は多いのですが、ほとんどはポンペイ考古学公園だけを訪問して、ナポリの国立考古学博物館までは足を運びません。それを残念がった同博物館が、そこの貯蔵品だけで展覧会を行って知名度を上げたいとのことで、これまで貸し出したことがないくらいのスケールで、展示品を提供してくれたからです。 

 

展覧会は第1章から第5章までに分けて展示が行われています。公共施設と宗教、社会と人びとの活躍、食と仕事、繁栄の歴史、発掘の今むかしの五つです。さて皆さまご存じのようにポンペイは紀元79年10月のヴェスヴィオ山の大噴火とそれに伴う数回の火砕流によってほぼ一瞬のうちに当時の生活がそのまま土砂の下に飲み込まれてしまいました。当時はローマの1都市だった訳ですが、もともとはローマとは別の独立した都市国家と呼べるような存在で、民族的、言語的にもローマとは異なっていたようです。直径1キロメートルほどの町は城壁に囲まれており、2万人を収容する円形闘技場は城壁の外にありました。ポンペイ人は生活をエンジョイし、身の回りや邸宅を美しく装飾する術を知っていました。彼らはギリシャ文化に強い憬れをいだいており、それをテーマにした装飾が多いということです。またポンペイでは、女性や解放奴隷といった人びとが活躍できる場も用意されていたようです。 

今回展示されている素晴らしいモザイク、彫刻、日用品などの数々をここで述べるわけには行きませんが、目玉の中の目玉は「ファウヌスの家」と呼ばれるポンペイ最大の大邸宅の再現です。もちろんすべてが再現されているわけではありませんが、その一部がオリジナルのモザイクや彫刻と共に再現されており、ぜひ見てもらいたいとの事です。この家にあったかの有名なモザイク「アレクサンドロス大王とダリウス3世の戦い」を展示する可能性がありましたが、その大きさと重さとから断念せざるを得なかったそうです。しかしそれがオリジナルの床の装飾として再現されています。小野塚さんの意見では、このファウヌスの家は、ローマ以前の都市国家時代の支配層の宮殿であったと考えてもおかしくない規模であるという事です。 

このポンペイ特別展、講演のプレゼンテーションを見ながら、「えっ、これも来ているの」と驚くほどの逸品ぞろいです。新型コロナウイルス感染症の状況は気になりますが、僕もぜひ会期中に見に行きたいと思います。(橋都浩平)