イタリアにおける吉本ばなな現象

第219回 イタリア研究会 1998-12-07

イタリアにおける吉本ばなな現象

報告者:東京経済大学講師、翻訳家 ALESSANDRO. G. GEREVINI


司会 それではお待たせしました、第219回のイタリア研究会の例会を始めたいと思います。今日はアレッサンドロ・ジョヴァンニ・ジェレヴィーニさん、吉本ばななさんはアレちゃんと呼んでかわいがっているようですけれども、そういう方です。ヴェネツィア大学日本語学科で、東洋文学日本語専攻それから日本文化を専攻されまして、日本に92年名古屋大学に留学をされています。93年にヴェネツィア大学を卒業後、94年東京大学大学院で総合文化研究科超域文化科学を専攻されまして、95年から博士課程で98年に東京大学修了です。翻訳、日伊協会で講師などをされてます。吉本ばななさんの最初の「白河夜船」というのを訳された後、「TUGUMI」もそうですね、最近では「Sly」と書いたスライという本を出しまして、これもやはりイタリアではベストセラーになっているということです。


ジェレヴィーニ  ブオナ・セーラ、本日は誠にありがとうございます。こんなに大勢の方にお越しいただけるとは思っていませんでした。緊張しているところです。高橋さんのご紹介にもありましたが、イタリアではちょうど吉本ばななの「Sly」という小説がベストセラーとなっているんですが、10月末に本が出版されてから2週間ですぐ本がベストセラーのランキングに上がったということを聞いております。こちらの本なんですね。日本語版と表紙は変わりませんが、少し色が鮮やかになっているだけなんですね。私が訳させて頂いたものなんです。今まさにイタリアでこの本が話題となっておりまして、本が出てまもなくいろいろな新聞に批評が出るようになって、2つぐらい皆さんにご紹介したいと思います。ひとつはコリエレ・デッラ・セーラという新聞、皆さんご存知かと思いますが、イタリアで一番読まれている新聞のひとつです。「ばななはピラミッドの麓へ」というような感じの批評なんですが、「Sly」という本の舞台はエジプトなんですね。エジプト旅行の話なんです。ここに引用させて頂きますが、「今回は吉本ばななはナイル川に沿った長い旅行を見事に語っている」という評価をされています。次はプロヴィンチャという新聞なんですが「エジプトの魔法に包まれた吉本ばなな」と書いてあります。「最初から最後まで本を読ませるような、ばななさんの能力が本の中にあります。未知が含まれているかのような文章の流れがとても魅力的だ」というように評価されています。これだけ本が話題になれば吉本ばななという作家の日本人としての知名度が高いということになるんですが、去年の11月TBSの番組で「イタリア人が知っている日本人」というランキングが紹介されました。一番人気の高い日本人がサッカーの三浦知良でした。今は中田でしょうけど。2番目はF1の片山右京でした。3番目が吉本ばななでした。4番目が黒沢明監督です。なので女性で1番知られている日本人であると言っても過言ではないと思います。ではなぜイタリアでこれだけ吉本ばななの人気が出てきたかと申しますと、まずひとつの本の訳がきっかけだったと思います。1991年に「キッチン」がジョルジョ・アミトラーノ先生の訳によって、初めてイタリアに紹介されました。イタリア語版の装丁がこちらです。森田義光監督の「キッチン」という映画に出ていた川原亜矢子という女優でありながらモデルでもある方が載っています。イタリアではこの本が出版されるようになり、あまりにも成功したので次々に他の国、ヨーロッパの国々にも紹介されるようになりました。

 イタリアの成功が他の国々にどのくらい影響を与えたかと言いますと、他の翻訳を見て頂ければお分かりになると思います。装丁を持って来ました。これはスエーデン語版、装丁は絵になっていますが雰囲気は川原亜矢子と同じ感じですね。次はフィンランド語、ドイツ語、ノルウェー語、ギリシャ語、アメリカの英語版です。ですから先にイタリアのこのような表紙があって、他の国々も同じ成功、売れ行きを狙ってたんでしょうけど、それだけイタリアでの成功が認められたということが言えると思います。もちろん表紙が違うところもあるのですが、ちなみに「キッチン」が訳されている国の数が25カ国で、ちょっとインパクトがありますので国名のリストを読ませて頂きます。アイスランド、アメリカ、アルバニア、イギリス、イスラエル、イタリア、オランダ、ギリシャ、スイス、スエーデン、スペイン、タイ、チェコ、デンマーク、トルコ、ノルウェー、フィンランド、フランス、ブラジル、ポルトガル、メキシコ、リトアニア、韓国、中国、香港です。同じ言葉が使われている国もありますが、その場合は訳が異なります。例えば、こちらは香港版です。「我愛厨房」というなんて分かりやすい。次はイギリスで出版された英語版で(英語訳はひとつだけですけれども)、本人は,これを見て、あまりにも内容とかけ離れているために、悲しみました。芸者の後ろ姿ですね、ちょっと関係ないように思いますが。で、オランダはこけし。これは貴重なリトアニア語版です。次は中国、同じく「我愛厨房」。韓国「キッチン」。次はデンマーク語。スペイン語、裸の女性が冷蔵庫を覗いている、これはまだまだ良いと思います。あとめずらしいヘブライ語、お箸が写っています。ポルトガルのポルトガル語、ブラジルのポルトガル語。面白いことなんですが、ブラジルで出されたものはイタリア語から重訳されました。英語から訳されたのがかなりあるのですが、今回に限ってイタリア語から訳されたということです。チェコ語のシンプルな表紙です。イタリアに関してはキッチンが成功してから次々にいろいろな作品が訳されるようになりまして、現在は7冊出ています。「キッチン」「Sly」「N.P.」「とかげ」(ルチェルトラ)「TUGUMI」「白河夜船」(ソンノ・プロフォンド)「アムリタ」です。「TUGUMI」と「Sly」と「ソンノ・プロフォンド」のふたつの短編は私が訳しましたが、それ以外はジョルジョ・アミトラーノ先生がお訳しになっています。7冊全て100万部売れているそうです。

 ではなぜイタリアで吉本ばななが受けたかという質問をよくされるんですが、一番大きい理由はやはり名前にあるのではないかと思います。イタリア人に最初に読まれるきっかけとなったのは名前の印象だと私は思います。ばななという名前がそのままローマ字に直せば意味を持つ名詞ですし、なかなか変わった名前なので一度聞いたら忘れることはないと思います。あとは、イタリア人はお茶目なところがありますから、男性の持つ物を表す俗語を名前にするというのは勇気のあることですので、それで笑いながら最初本を手にしたのではないかと思います。あと他にたくさんの理由があると思いますが、今は名前だけにとどめておいて、次に具体的にイタリアで吉本ばななが起こした現象と言っても過言ではないものをお話します。「白河夜船」がベストセラーになった当時に「ア・トゥット・ヴォルーメ」という番組がイタリアにありまして、いろいろな話題となっている本が紹介されていたのですが、面白いのが、冷たい雰囲気のスタジオで本を次々に紹介するのではなく、一般の人の中へ入って、たとえば博物館や学校等いろいろなところへ行って、本の紹介をするという番組です。その時「白河夜船」がビデオ化されたのです。これからご紹介しますが、もちろん作品はイタリア語で引用されているんですが、まず皆さんには、日本語でそれらをご紹介をしてからご覧頂きたいと思います。テーマは夜です。いくつかの部分の引用ですから繋がってはいません。

「夜の庭では木々が光って見える。

なぜなんだろう。夜はゴムのように長くのびて果てがなく甘い。そして朝は情け容赦なく鋭い。その光は何かをつきつけるようだ。固くて透明で、押しが強い。嫌いだ。

窓の外じゅうが光る夜の粒々で圧倒された。車の列は夜をふちどるネックレスだった。

潮が満ちるように眠りは訪れる。

夜が好きだ、好きでたまらない。夜の中では何もかもが可能になるように思えて、私はちっとも眠くならない。

彼といると時折、「夜の果て」を見てしまうことがあった。私のとってそれは、これまでに見たことのない光景だった。

彼といると、ただでさえ、無性に淋しかった。どうしてだろう、いつも何だか悲しくて、青い夜の底にどこまでも沈んでゆきながら、遠く光る月を懐かしむような、爪の先までただ青く染まるような想いがつきまとった」

というところがこれからお見せするビデオに紹介されています。音楽は坂本龍一、映像が村上龍の「トパーズ」という映画、それから「ミシマ」というアメリカ人監督、ポール・シュレーダーの映像が利用されまして、それに「白河夜船」の内容が引用されています。


「ビデオ鑑賞」


あまり普段、本に手を触れない若者でさえ、こういうビデオを見れば読む気になるでしょう。それから新聞での紹介です。いくつかの記事をお持ちしましたが、どれだけ大きくばななさんのことが取り上げられたかをご覧頂きたいです。こちらはラ・レプブリカという新聞で「ばなながおもむくままに」。次はコリエレ・デッラ・セーラの「日本、ばななジェネレーション」。同じくコリエレ・デッラ・セーラ「<未来のない>私の日本」。次はリンフォルマツィオーネ、これは拡大したわけではないですよ、このままのものです。「ライジング・サンの少女」。イル・メッサジェーロ、(このタイトルはでたらめだと思いますが)「まんが生涯」。このように大きく取り上げられて、少しずつ人気が出てきたのです。ただし本が紹介されるだけではなく、結果として吉本ばななという日本人が日本の代表のひとりというようになったのです。たとえば、一番驚いたのは大江健三郎がノーベル賞を受賞した時に、コリエレ・デッラ・セーラにはもちろん大江健三郎の名前が大きく書かれていますが、あまりにも知られていませんでしたので、なぜか隣に三島と吉本ばななの写真が載っているのです。ですから日本の現代を語る時は吉本ばななを入れなければならない、というところまで来ています。まあ向こうが勝手にやっていることではあります。

日本語で書かれているものをイタリア語に直すことしかありませんでしたが、驚くべきことにあまりに人気が出ましたので、今度イタリアのために書くようになりました。これがラ・レップブリカ・デッレ・ドンネ、女性共和国という雑誌なんですが、これはラ・レップブリカ紙を土曜に買えばおまけにくれるんです。この中にこれはちょうどクリスマスの前の週の版ですが、「ようやくクリスマス」という短編のようなエッセイのようなものをばななさんが書いているのです。イタリアのクリスマスを語るためにこの雑誌が日本人の作家に依頼したというのが、私にとって極めて面白いことだと思いました。皆さんイタリアのことはよくご存知かとは思いますが、カトリックの国のイタリアがこの離れた日本の作家にイタリアのクリスマスの思い出を語ってもらったとういうことです。ここに次々に吉本ばななの思い出が語られております。もうひとつの面白いことなんですが、ある日コリエレ・デッラ・セーラにはこのような記事が出ました。これはイタリア人作家の批評です。パオロ・ディ・ステファノという作家で「バーチダ・ノン・リペーテレ」という小説です。イタリア人がイタリア語で書いたイタリアの小説を論じるのに、吉本ばななの名を出して「吉本の文体を思い出させる」。吉本ばななという作家がもうイタリアの中に、もちろん日本の代表でありながら彼女自身は国籍を越えた存在になって、イタリアのことを論じる時にも基準となる作家となっています。もちろんこれだけの評価をされれば文学賞を受賞するということもあります。1993年6月には「N.P.」という小説で第21回文学スカンノ賞を受賞しています。5つの作品が最後まで残りまして、マイケル・クライトンの「ライジング・サン」ですとか、イタリア人作家のフランコ・フェルッチとスペイン人のマヌエル・ベスケス・モンタルバンヌとフランス人のミシェル・トルニエ、そして吉本ばななの「N.P.」が最後まで残りました。この中で彼女が受賞しました。その授賞式がRAI1、国営のテレビ局で放送され、そのビデオを持ってきました。これは文学、医学そして情報の賞なんですが、授賞式を見て頂く前に、どういった基準で吉本さんの作品が選ばれたかという理由について簡単に説明します。委員の先生が述べる言葉なんですが、彼はなぜ吉本さんの作品を選んだかという質問に対して、「まず感動する作品を紹介して、それに自分たちが紹介した作品がなぜ面白いかという疑問に対して、自分たちで答えようとする。大きな恐ろしい疑問が、なぜ人間がものを書くか、なぜ人間がものを読むかというところまでいって、それに答えようとする」。彼がいうには、「今イタリアで優れた作品が書かれていないとしても、日本の優れた作品がイタリア語で読めるなら、それはそれでいいです。国籍は問いません」という基準で吉本ばななの作品が選ばれたと言っています。

 余談ですが吉本さんの衣装はコムデ・ギャルソンです。これから彼女がお礼をイタリア語で述べます。それからインタビューです。


「ビデオ鑑賞」


 これはテレビで紹介された授賞式の一部でした。それに続きまして、今年1月にトリノで行われましたグリツァーネ・カブールのアジア学会にも参加されました。

その次に現象をを起こしている分野は音楽の世界です。次に聞いて頂きたい曲は、イレーネ・グランディという歌手の歌なんですが「ラ・クチーナ」(キッチン)という曲なんですね。これを簡単に訳しましたのでご紹介します。


私は自分の城の女王様、

そして私の王国はキッチンなの。

廊下は長いトンネル、

その果てにキッチンがあるの。私につき合ってくれるキッチンが。

ああ今日もついてないわ、でもキッチンが慰めてくれるので、私は今元気なの。

私は自分の城の女王様、

そして私の王国はキッチンなの。

たった一人っきりで掃除もしない、料理もしない、洗濯もしない。

腰を下ろしてたばこをふかし、ケーブルの映像を貪るの。

ああ今日もついてないので、ぐっとすくったヌテッラは我慢できない。

ああなんて暑いんでしょう。

冷蔵庫に閉じこもってしまいたい。いちごとサクラのオリーブの間にね。

もうこの世にキッチンほど

私を元気にしてくれる場所なんてないわ。

吉本ばななの「キッチン」という作品の中には、「私はこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」というふうになっていたのですね。明らかに引用されています。

今もし全てが私の上に崩れ落ちても、

キッチンはすっくとたっているわ。

私はひとりじゃないの。


小説には「私と台所が残る。自分しかいないと思っているよりは、本の少しましな思想だと思う」。続きまして、


私は自分の城の女王様、

そして私の王国はキッチンなの。

そこに私の夢を見つける。多分つまらない夢だけど、

好きな人なら誰でも捜せるはず、それが醍醐味よ。

ああ時は流れる、でもついてないわ。

沈黙は頭痛の種。

神様、私はもう抗いません。

ああ一体誰が慰めてくれるというの。私の冷蔵庫の音かな。

汽車よりうるさいシュウシュウ言う。音はガスの上で焼けこげているコーヒーの音だ。


 小説には「冷蔵庫のブーンという音が、孤独な思考から守った」。もちろん引用されていると言ってもヌテッラがあったりエスプレッソがあったり、それなりにイタリアのものになっているんですね。これから歌を聞いて頂きたいと思います。CDの中の歌詞の書いてあるところにはイレーネ・グランディが「吉本ばななの<キッチン>という小説からインスピレーションを得ている」というふうに書いてあります。


「音楽鑑賞」


次は映画です。日本では吉本ばななの作品が2回も映画化されているのです。最初は

1989年「キッチン」を森田義光監督が撮った映画で、先ほどご覧頂いた川原亜矢子が出演する映画です。次は1990年の「つぐみ」です。市川準監督のです。先ほど写真家の篠利幸さんに頂いた写真ですが、伊豆半島松崎の映画の舞台となった旅館です。最初のふたつは日本で作られたのですが、去年香港のイム・ホー監督で「キッチン」の広東語バージョンが作られているんです。富田靖子という日本人女優が出ていました。イタリアでも日本語版の「キッチン」が上映されたのですが、小説とあまりにも筋が変えられていましたので全然うけませんでした。でもイタリアから映画化の話が次々に出てきています。例えば、ばななさんの好きなダリオ・アルジェント監督からです。彼が「N.P.」の映画を撮りたいと言っていまして、彼の娘の女優、アージア・アルジェント、「王妃マルゴー」をご覧になった方は分かると思います。その彼女が日本に来たときに次のように言っています。「吉本ばななの作品が好き、彼女の<N.P.>を一緒に映画化する話もあるの」。具体的にこう述べます。「日本の芸術はあまり知らないの。でも吉本ばななは好き。彼女は父の大ファンで、彼女の本には父への献辞が入っているの。父に会うためにイタリアまで来たのよ。彼女の著書「N.P.」を一緒に映画化するかも。日本には、熱狂的な父のファンの(若い女性の)グループがいて、みんなで父の映画を見に行くと聞いてるわ」と書いてあります。で、近いうちに「N.P.」がイタリア人の監督で映画化される話も出ております。

 続きましてファッション界に起こした現象について一言いわせて頂きたいと思います。1996年3月に吉本ばなながフェンディッシメ・アンダー・サーティファイブ賞を受賞してます。この賞は文学賞でありながら、ファッションのフェンディ社が主催しているものです。アンダー・サーティの企画となっていたのですが、彼女はすでに31歳となっていました。どうしても吉本さんにあげたいという主催者の強い意志によって彼女が受賞したのです。私も一緒にイタリアへ参りましたが、すごい人気で、ローマのコンドッティ通りのフェンディッシメは数百人の若者が列んで、非常に騒いでました。今年の9月ですが、日本の新聞でもご覧になってるかも知れませんが、ブルガリの広告もばななさんが書きました。書いたというのは、ブルガリが新しく出した鞄のシリーズをテーマとした短編「持ち物はその人を表す」というものを彼女が書きました。ですからイタリアの会社が日本で広告するにあたって、イタリアにも人気のある日本人に依頼したのです。先日11月30日ですが、マリクレールの企画でキーソ・エトロさんとの対談がありまして、エトロさん夫妻がばななさんのことが大好きで、自分たちの仕事にも大きな影響を受けているとおっしゃってました。来年のベネトンの広告キャンペーンにもばななさんが協力することが決まりました。

 駆け足ではありましたが各分野における現象について皆さんに報告してまいりましたが、最初の質問に戻りたいと思います。なぜイタリアで吉本ばななが受けたか。名前が大きかったということをさきほどお話ししました。その他、彼女の作品にはいわゆる「日本文化」に精通しないと解読しにくいという内容が少なく、無国籍のサブカルチャーが生み出した登場人物を通して筋が織り込まれているように思います。主人公たちが主に若い女性であって、「ことば」よりも「からだ」で外界とコミュニケーションしようとしている。身体をめぐって画期的な表現があふれている中、さまざまな身体像が描かれていると思います。自己を発見するために、食す身体、あるいは性行為する身体が語られています。極めて面白いのが「食す身体」だと思います。食べ物などを口に入れたり、体内を通されることによって外界と認識する行為が非常に面白いと思います。つまり社会的コミュニケーションとしての食、そして食の共有、食の空間、エロティシズムと食物摂取といったテーマを作品の中に確認することが出来ます。フランスの記号学者のローラン・バールトがフロイトの経験に基づいて、人間が幼少期から外界を認識するために口が優れた器官であると述べています。彼が指定する口を使用して出来る行為が3つです。ひとつは言語を発すること、もうひとつは食すということ、3つ目は性的行為をするということ。イタリアの文化を考えますと、3つとも非常に重要です。口を使って何かを経験する行為というのはイタリアではよくされていることだと私は思います。

 現代の20代の若い女流作家の書いているものを読むと、私の印象ですが、言葉を使わずに言葉の代わりになるものでコミュニケーションをとりたがる。言葉を失った若者たちがどうやってコミュニケーションをとるかと言うと、食べ物を通して、あるいは性を通していると思います。これがイタリア人にとって親しまれていることで、あまり会話のない恋愛小説が紹介されると、意外な発見、感激が受けられると思います。もちろんイタリアだけでなく、西洋では経験出来ることだと思います。つまり西洋で受けた理由はこれらではないかと私は思います。なぜ特にイタリアということになりますと、先週エトロさんがおっしゃった言葉をお借りして最後にしたいのですが、彼がおっしゃったのは「やはりイタリアにはブオン・グスト、趣味の良さ、あるいは美的センスの良さが存在します。ブオン・グストを持っている人がいれば誰だろうが、イタリア人だろうが日本人だろうが関係なく素直に受け入れられ、評価することが出来る」。例えばエトロさんの言葉ですよ、「例えばドイツには存在しないことです。あるいはフランスにも有ることは有るのですが、フランス人によって作られたブオン・グストしか評価しない、というちょっと視界が狭い感じ。外のものをあまり評価したくない。ですから開けた世界、イタリアで、吉本ばななを受け入れることが出来た」。もちろん日本で吉本ばななの作品を読むのと、イタリアで読むのでは何が違うかと聞かれたら、日本で読むのは彼女のお父さんである吉本隆明さんのイメージがどうしても先にあるということがいえると思います。その彼のイメージをもって吉本ばななさんの作品を読むとどうしてもギャップがあまりにも大きいので、なかなか素直に感激、感動することは出来ないと思います。感動したとしても、女子高生が読んでいるもので感動したとは素直には言えないと思います。イタリアではそういったことが完璧になかったので、素直に読むことが出来たと思います。あとはアジアの作家がたくさん紹介されていたのですが、女性は少なかったのです。読者がそれを求めていたのかも知れませんが、その時に、彼女がタイミング良く紹介されてそして評価された。ですからイタリアにいらっしゃれば、日本では若者が読むものと見られていますが、イタリアでは決してそうではありません。女性だけではなく男性も読みますし、高校生から働くOLまで幅広く読まれていることは事実だと思います。以上です。


司会 ご質問ある方いらっしゃいますか。吉本さんのことでもいいと思います。彼女、自分のこと「俺」っていうんですよね。

質問者1 イタリアに3年ほど赴任していましたが、吉本ばなながそれほど人気が有るとは知らなかったのですが、読者層が幅広いというお話でしたが、どういった人たちに最も人気が有るのかということ。もうひとつ聞きづらいことを伺いますが、例えばアメリカあたりでバナナという表現を使いますと、表は黄色で中は白。すなわち東洋人でありながら考え方は白人であるというシニカルな捕らえ方をアメリカ人にされるんですが、イタリアではそういった形では解釈されなかったんでしょうか。

ジェレヴィーニ 読者で一番多いのは働く女性だと思います。でも高校生にも読まれていると聞いています。それでも日本人作家として、日本文学として初めて読んだ人がたくさんいると思います。バナナという言葉の意味ですが、イタリアではそういうふうには解釈されなかったと思います。なぜかと言いますと、アジアというのはイタリア人にとっては未知の世界なのです。アメリカにはいろいろな民族がいて皆さん意識されていると思いますが、イタリアではアジアに関しても意識はまだ薄いと思います。ですからひとつの単語にそこまでの深い意味を込めることは今まではなかったと思います。もうちろん肯定概念が有ることは有りますが、イタリアでいうバナナはやはり違う意味です。

質問者2 私もイタリアに6年ほど住んでいて、吉本さんの作品が本屋に並んでいるのは見たことが有るんですが、非常に不勉強で、今日ここに来る途中で「ハチ公の最後の恋人」なるものを読み始めたら、93ページ目でアレッサンドロ・ジョヴァンニ・ジョレヴィーニという人物が登場するんですが、これはモデルとかなにか関係があるんでしょうか。名前だけでしょうか。

ジェレヴィーニ そうですね、名前だけです。本が出る前に「アレちゃんの名前使いましたよ」、とは聞いていたのですが、まさか全部本名を使われちゃうとは思いませんでした。今は光栄だと思いますが、それを本屋さんであの目立つカタカナの一行を見たときには泣きました。聞いてはいましたが、あんなふうに使われるとは知りませんでした。で、彼女に聞いてみたら、あくまでも長いイタリア人の名前がほしかったのだということでした。そしていつまでもフルネームで繰り返されるんですね。それは漢字のページの中浮かび上がるカタカナの長い一行が大きなインパクトを持つんですね、ですから彼女のやりたかったことはよく分かります。

質問者2

 たとえばアレッサンドロ・ジョヴァンニ・ジェレヴィーニだ。

 彼はひげ面の大きなおじさんで、イタリア人だ。大金持ちで、ローマに帰れば大邸宅に住んでいるそうだ。

 70年代はずっとインドに住んでいて、その頃ハチと知り合ったそうだった。

 ここ4年くらいは、日本に住んでいる。私は彼の長い名前が気にいって、いつも「じゅげむ」のことを思いながらフルネームで呼んだ。彼は喜んだ。

 彼はだいたい渋谷の決まった店にいる。狭くて、暗くて、長居できる店。決まって赤ワインを飲んでいる。彼に会いたければ自宅に電話するよりそこの方がつかまる。そこで彼はいろいろな人に会うのだ。

 彼は知恵の樹だった。どんどん根を広げる。その樹の下ではあらゆるジャンルの人が、みんな何とかして自分の場所を見つける。養分を吸い取られまいとして、必死でいい実をつける。


ジェレヴィーニ 良く書いてあるところは、モデルになったと言いたいですが、実は私もばなな現象に落ちてしまった一人の被害者なのです。

質問者2 もうひとつお聞きしたいんですが。翻訳をなさるきっかけはどういったことだったんでしょうか。

ジェレヴィーニ 私が初めて日本に来た時にホームステイをしまして、ホームステイ先のお姉さんがばななさんの「キッチン」を読んでいたということがあり、それを勧められました。その時期はちょうど卒論のテーマを探していた時期で、帰国して指導教官に相談したら、たまには新しいものもいいでしょう、ということになり、まだその当時はイタリアでは紹介されていなかった若手の作家について論文を書くことになったのです。ちょうど資料を集めている最中にフェリトリネッリという出版社から訳が出るというような噂を聞きまして、その時点でジョルジョ・アミトラーノ先生と連絡をとりまして、彼が結局論文を見てくれることになったのです。「キッチン」はあれだけのベストセラーでしたので、出版社もそのあとがほしかったというのがきっかけでした。タイミング良く、彼女の人気と私の訳が合ったということですね。

質問者2 私も翻訳をしておりますが、海外に日本のものが紹介されるというのは、翻訳者の力量によるところが非常に多いと思うんですね。逆も言えますが。圧倒的に日本のものが海外に紹介されるという方が少ないと思いますので、このケースはジェレヴィーニさんとの出会いがあったので紹介された例だと思いますが、他にもこういった例で日本の作家なり、研究論文がイタリアに紹介されているのでしょうか。

ジェレヴィーニ 私は吉本ばななの他に松浦理英子の小説を訳しました。「ナチュラルウーマン」という小説です。それがマルシリオ社から出たものなんですが、ラ・レプッブリカに大きな批評が出たのですが、「すばらしい官能小説だ」と書いてありました。が、それでも一部の読者にしかその本を知られることはなかったです。今までイタリアで紹介されている日本文学が、あくまでもエリートが読むものであって、一般の人々にまで出回らないというのが現状でして、この枠組みから出られたのが吉本ばななだけなんですね。紹介されている作家はたくさんいますよ。特にマルシリオが力を入れているとこですが、山田詠美ですとか、松浦理英子ですとか、小川洋子。女流作家で言えばこのようなところが紹介されているんです。村上春樹、村上龍も訳されています。村上春樹の「ノルウェーの森」に関しては、それなりに成功したと聞いていますが、他は出ただけで反応があまりないという悲しい状況です。

質問者3 歳をとった者にとっては若い人の言葉のリズム感が違うので、その点をあなたがどう捉えてイタリア語で日本の若い世代のリズム感を伝えたのでしょうか。

ジェレヴィーニ 今は日本だろうがイタリアだろうが、若い世代は同じ音楽を聞きながら、同じアニメを見、同じ映画を見ながら、良いことでもあり、悪いことでもあるんでしょうが、同じものを見ながら大きくなっていますから、その言語の特殊性はあるでしょうけれども、なんとなく流れているものが共通していると思います。もちろん人物が話す時はそれなりにイタリアの若者が話すようなイタリア語に直すんですが、強烈にスラングを入れたりはしません。逆に、日本人が話していることですので、力入れすぎると違和感を感じてしまうのです。

質問者3 川端康成と吉本ばななはどちらが読みやすいですか。

ジェレヴィーニ 日本のことを分かる人には川端康成の文章を理解することは出来るんですね。ただし、「千羽鶴」でもなんでもいいんですが、お茶碗の描写とか畳とかを説明されると、ある程度日本に対して知識のある人なら感動出来るんですが、まったく知らない人には頭の中で想像は出来ませんから、吉本ばななの作品はそう言ったところが少ないので、入りやすいと思います。

質問者3 リズムで受け取っているところがないですか。

ジェレヴィーニ あります。特に台詞の部分は、短いところは短めに、長いところは長めに。ただし、皆さんイタリア語はご存知かと思いますが、厳しい文法の言語ですから。日本語のあいまいなところは吉本さんにたまに確認したりすることもあります。私が聞くと必ず予想外の返事が返ってきます。

質問者4 私も吉本隆明が邪魔をして、「キッチン」には拒否反応を起こした世代ですが、「TUGUMI」を読んで、あれは大変面白いと思いました。あの中でつぐみが男言葉を使っていますが、それがつぐみの特徴でもあり、小説全体の青春の象徴でもありますね。先ほどイレーネ・グランディの作品をお訳しになった時も女言葉にお訳しになりましたね。そういう言葉の使い分けは日本語の特徴だと思うんですけれども、例えば「TUGUMI」をお訳しになった時にあの子の言葉をどう訳されたんでしょうか。

ジェレヴィーニ 非常に難しいところでした。例えば、「私帰るわ」、「俺帰るぞ」、という言葉はイタリア語にはひとつしかないですね、「TORNO A CASA」。他に訳はないです。不可能です。この場合は諦めたのですが、もう少し台詞が長くなると、例えばちょっと下品に話させたりします。俺帰るぞの日本語には周辺の言葉に副詞を入れるとか、台詞を通してはニュアンスを伝えられませんが、その近くにあるもので無理をせずに、バランスを崩さずにしかも同じ効果と気持ちを読者に経験させることが、大変難しいことでした。実例は今用意がないので、言えませんが。

質問者5 質問が3つあります。吉本文学を訳す時に一番気をつけていること。それから彼女の作品は全体を通して、生と死がテーマになっていると思うんですが、イタリア人にとっては食の部分が興味を引かれるところとおっしゃってましたが、その生と死に対する観念はどのように捉えられているのか。ジェレヴィーニさんが訳されて、一番訳しにくかったのはどれか教えて頂けますか。

ジェレヴィーニ 出来るだけ原文に近い、無理せずに日本語に近いイタリア語に直すという基準に従いました。ですから原文と比較して頂いても、ほとんど同じだと思います。台詞のところも同じ気持ちになるようなイタリア語に訳しました。これが訳す時に基準としたことです。訳しにくかった作品は、全てと言いたいですね。例えば最後の「Sly」の舞台はエジプトで、古代エジプト文化の名前がたくさん出てきますし、そのつづりが大変で、カタカナはなんて便利なものだろうと思いました。イタリアにおけるエジプト学は古いので、英語とイタリアで使われている表記が違うんですね。翻訳の作業以外に一番難しかったことです。生と死については、良く言われているのは死が軽く、さりげなく描かれているのが評価されているんですが、イタリア文学にもテーマとしてはたくさん出てくるんですけれども、さりげなく、軽く扱われていることはない」と思います。仏教から来ているのかもしれませんが、生のサイクルをそういうふうに語れるというのが、また日本的なものとして受け入れられたのかも知れません。

質問者6 イタリア人に質問されて困ったことが、あなたの宗教はということなんですが、仏教と言いますが、日本人にとって仏教とは単なる習慣でありまして、12月はクリスマス、お正月になると対象は何でもかまわない神社へ行く。お葬式になると大部分はお坊さんを呼ぶとかお寺へ行く。日本を研究している人に、あなたはどうなんだ、と突っ込まれましてね、非常に困る。ジェネレーションが違うんですが、あなたから見た日本人の宗教観をどう思いますか。

ジェレヴィーニ 吉本さんもイタリアへ行く時ときによく質問されるんですね。あなたの作品の宗教的概念とか、訳の分からない質問をされるんですけど。やはりイタリアにおける、あるいはイタリア人にとっての宗教観は東洋人のそれとは違うもので、向こうにとっては宗教はひとつでないとそれだけでもおかしいと思われますし、たまにお寺に行けば良いという、あまり厳しくないところが不思議に映るらしいんですね。人間がひとつのことを判断するには、自分の頭の中に有るものを基準として判断します。その基準にずれがありますので、日本なりアジアに一度来て、実際に身体で経験しないと、そのズレは頭では理解出来ないと思います。私も初めて来た時にはよく分かりませんでした。今でも言葉ではうまく言えませんが、身体で少し分かってきた気がします。

質問者7 先ほどから日本の女流作家が何人も紹介されているのに、ベストセラーにはならないと伺っていますが、吉本ばななさんの作品は何冊も紹介されてベストセラーということですけれども、名前が非常に親しみやすかったですとか、登場人物が無国籍で受け入れやすかったなどを伺いましたが、ジェレヴィーニさんは吉本さんの魅力をどう言ったところに感じていらっしゃいますか。

ジェレヴィーニ 今は客観的には言えません。初めて読んだときには、初めて読めた日本語でしたので大きな感激がありました。それは漢字が少なかった、話し言葉がたくさん使われていたということでした。1ページを最初から最後まで読めてしまった時には幸せでした。今は個人的にも親しくなってますので、吉本ばななという作家の作品ではなくて、吉本ばななという友人の作品として読んでいますので、客観的にはなんとも言えないですね。

質問者8 個人的な友人というお話が出ましたので、あえて伺いたいんですが。私は「キッチン」や「TUGUMI」は非常に日本的な作品だと思っているんですね。ところが彼女はその後、エジプトやバリ島にも行かれてますよね。非常に精神的にオーラの強いところに行かれて、吉本ばななの文章は変わったとお感じになりますか。

ジェレヴィーニ 日本の出版界は非常に速いですので、出版界の速度に合わせて書いたものがあったのです。ご本人も前の作品を読むと恥ずかしいとおっしゃっているのですね。今は年齢も重ねていますし、一つの作品に時間をかけて書いているという感じなのですね。例えば「ハネムーン」が新作ですが、新聞で高い評価を得たと読みました。今は安定して居ますし、それが一番大きな変化なのではないかと思います。

質問者9 吉本ばななさんの作品と出会われたのも日本語の勉強のために日本にいらした時ということでしたけれども、どうのようなきっかけで日本語を学ぼうと思われたのか、それとどうしたらそんなに日本語が上手になるのかを簡単にお教え下さい。

ジェレヴィーニ 高校の時に谷崎の「細雪」を読みました。非常に良かったです。「細雪」を読んで受けた感激がきっかけとなりました。谷崎の多くの作品をを訳した先生がヴェネツィア大学に居ると聞いたので、ヴィネツィア大学に行きました。まだ高校生でしたがアドリアーナ・ボスカロ先生にお会いして、お話出来たのですね。彼女が、是非高校を出たらヴェネツィア大学に来なさい、と言われたのでそうして、そして彼女の指導のもとで卒論を書きました。

質問者9 まず、大学に入ると日本語を読むようになるためにヴェネツィア大学ではどのような授業をするんですか。

ジェレヴィーニ 11月に授業が始まって、クリスマスまでにひらがなとカタカナ。そして「日本語初歩」という教科書を使って、普通に授業をします。ひとつ大きかったのは、日本に来た時に私はホームステイをしました。家庭の中の日本語を毎日聞いて、そしてそれは大変きれいな美しい日本語でしたので、その家族のお陰だと思います。

質問者10 日伊協会のイタリア語講座のテキストに「キッチン」を使ったことがあります。吉本ばななの作品を日本語で読んだことはない」のですが、「キッチン」をイタリア語で読んで非常に面白いと思いました。これを日本人の学生が読んだら、まさに生きたイタリア語の勉強になると思いました。身の回りの品物、環境などの表現がたくさん出てきます。このような目的でテキストとして使うとしたら、「キッチン」以外に何か翻訳があればご紹介下さい。

ジェレヴィーニ 長いものを使うのはやはり難しいと思いますので、短編集があります。「LUCERTOLA」(とかげ)という短編集がありますので、数ページの短編が収録されています。あとは「SONNO PROFONDO」(白河夜船)ですね、少し長くなりますが、このどちらかだと思います。

司会 今日はジェレヴィーニさん本当にありがとうございました

著者プロフィール 


ALESSANDRO.G.GEREVINI


 クレモナ生まれ。ヴェネツィア大学日本文学科卒業。98年3月東京大学総合文化研究科博士課程修了(日本文学専攻)。

 吉本ばななさんの「白河夜船」「TUGUMI」「SLY」「ハチ公の最後の恋人」、松浦理英子さんの「ナチュラル・ウーマン」をイタリア語に訳しイタリアで紹介。

 翻訳家、東京経済大学講師(海外文化、イタリア語)。





この講演内容は印刷物としても発行されています。


イタリア研究会報告書No.79

1999年6月30日発行

企画編集 イタリア研究会

発  行 スパチオ研究所・伊藤哲郎

     (目黒区青葉台4-4-5渋谷スリーサムビル8F)

事 務 局 高橋真一郎

     (横浜市青葉区さつきが丘2-48)