2014年 講演会レポート

イタリア料理人OTTIMO育成法(概要)

第414回例会

・日時:2014年12月16日(火)19:00-21:00

・場所:東京文化会館4F大会議室

・講師:長本 和子 イタリア食文化研究家 リストランテ カシーナ カナミッラ経営

・演題:イタリア料理人OTTIMO育成法

 

 イタリア研究会の第414回例会が行われました。講師はイタリア食文化研究家で中目黒の「リストランテ・カシーナ・カナミッラ」を経営している長本和子さん,演題名は「イタリア料理人OTTIMO育成法」でした。長本さんはピエモンテ州のドモドッソラで料理学校ICTを運営し,有名シェフを多数育ててきていますので,多くの方が彼女の弟子ともいうべきシェフたちの料理を食べたことがあるはずです。長本さんは,そもそもイタリア料理とは何であるか,イタリア料理とフランス料理の違いは何なのか,という基本的なテーマから話を始めました。そしてカテリーナ・ド・メディチがフランスへと持ち込み,フランス料理の元となったとされている料理は,あくまで「クチーナ・リッコ」すなわち貴族料理であり,現在のイタリア料理は「クチーナ・ポーヴェラ」すなわち庶民料理であると喝破し,その事を押さえるのが重要であると強調しました。したがってイタリア料理の基本はマンマの作る料理であり,「そこにある物」を用いるので,そこからイタリア料理の基本である郷土性と季節性が生じてくると解説してくれました。そして料理人の育成においても,料理の背後にある文化を学んでもらい,実際に現地で料理や食材を体験することにより,料理人の卵たちが大きく成長して行く事を明らかにしてくれましたが,こうした技術に偏らない教育は,料理人に限るものではなく,人材育成法としてもっとも重要な点であり,多くの聴衆に感銘を与えたことと思います。講演終了後には,多数の質問があり,懇親会でもいつまでもイタリア談義,イタリア料理談義が続きました.長本さん,面白いお話しをありがとうございました。(橋都)

盛装アマゾネス −サルッツォのマンタ城壁画「9人の英雄と9人の女傑」の紋章と服飾−(概要)

第413回例会

・日時:2014年11月17日(月)19:00-21:00

・場所:南青山会館2F大会議室

・講師:伊藤亜紀 国際基督教大学

・演題:盛装アマゾネス −サルッツォのマンタ城壁画「9人の英雄と9人の女傑」の紋章と服飾−


 11月17日に,イタリア研究会第413回例会が開かれました。

 講師はイタリア服飾史の研究家で国際基督教大学教養学部教授である伊藤亜紀さんです。演題名は「盛装アマゾネス−サルッツォのマンタ城壁画《9人の英雄と9人の女傑》の紋章と服飾−」でした。サルッツォはピエモンテ州にある都市で,かつては独立した都市国家でしたが,サヴォイア公国に取り囲まれていたため,それに対抗しなければならない意味もあり,フランスとの関係が大変深い国家でした。そこにあるマンタ城のサーラ・バロナーレの壁面に描かれた壁画の,文化史的な解析が主題です。この壁画にはヘクトール,アレキサンダー大王,アーサー王など9人の英雄も描かれているのですが,それよりも興味深いのが,9人の女傑たちです。彼女たちは英雄たちに較べると知名度が低いのですが,その典拠はフランスのバラードにあります。伊藤さんは,彼女たちの服装や紋章を分析することによって,この城の持ち主であったヴァレラーノ・ディ・サルッツォの教養や文化的な背景がイタリアよりもフランス的であることを示しました。また彼女たちが女傑と呼ばれながら,武装した姿では描かれておらず,きわめてフェミニンに描かれていることから,この時代(15世紀前半)の女性の社会的な位置づけについても考察されました。こうした美術史的に必ずしも有名ではない作品の分析からも,多くのことが見えてくる文化史の面白さを味わうことのできた講演でした。伊藤さん,ありがとうございました。(橋都)

初期近代イタリアの百科全書的庭園(講演記録)

第412回 イタリア研究会 2014-10-15

初期近代イタリアの百科全書的庭園

報告者:大阪大学文学部准教授 桑木野幸司

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初期近代イタリアの百科全書的庭園(概要)

第412回例会

・日時:2014年10月15日(水)19:00-21:00

・場所:南青山会館2F大会議室

・講師:桑木野 幸司 大阪大学文学部准教授

・演題:初期近代イタリアの百科全書的庭園 

 

 第412回イタリア研究会例会の演題は「初期近代イタリアの百科全書的庭園」,講師は大阪大学文学研究科准教授の桑木野幸司さんでした。桑木野さんは,建築史の研究者ですが,単なる構造物としての建築の歴史ではなく,知の表れとしての建築,庭園に興味を持っており,それが現在の研究テーマであるヨーロッパとくにイタリアの初期近代の庭園の研究に結びついているという事です。


 初期近代とは,15世紀末から17世紀初頭を言い,この時期には,古典文明の再発見(いわゆるルネッサンス),新大陸の発見,印刷術の発明などにより,ヨーロッパ人の持つ知識・情報量が飛躍的に増加しました。それにより,彼らはその知識・情報を何らかの形で整理する必要に迫られました.そのひとつの手段が記憶術ですが,桑木野さんは,記憶術と当時の庭園との間に関連があるのではないかという未開のテーマに挑んでいます。庭園と記憶術との関連としては,記憶術に用いられる記憶を載せる場(ロクス)としての庭園の役割と,人間の頭脳の内容を投影し,他の人たちにも見える形にするための庭園という2つの役割があります。桑木野さんは,後者の例として,アゴスティーノ・デル・リッチョの庭園論を取り上げ,彼の描く庭園が百科全書的な拡がりと構造を持っている事を示しました。そして一般には記憶と創造性とが相反するもののように考えられているが,記憶なくして創造性はないと,講演を締めくくりました。


 参加者も,このテーマには非常に興味を覚えたようで,講演後には,さまざまな質問が出ました.桑木野さん,刺激に満ちた講演をありがとうございました。今後もさらに研究を続けて頂きたいと思います。 (橋都)

はじめにリブレットあり(概要)

第411回例会

・日時:2014年9月24日(水)19:00-21:00

・場所:南青山会館2F大会議室

・講師:辻 昌宏,明治大学文学部教授

・演題:はじめにリブレットあり


 第411回のイタリア研究会例会が開かれました。講師は明治大学教授でイタリア研究会会員でもある辻昌宏さん,演題名は「はじめにリブレットあり」でした。辻さんはイタリアの詩の研究者でもあり,オペラのリブレット(脚本)のとくにアリアの部分が,詩としての定型や韻律を守っている事から,リブレット,リブレッティスタにも興味を持つようになったという事です。元々はオペラの制作において,作曲家よりも脚本家が主導権を握っていたのが,ヴェルディのキャリア後半あたりから作曲家の力が上回るようになり,とくにプッチーニは作曲に時間をかけ,ときには脚本家が書いた脚本を自分で修正してしまう事もあったようです。そのひとつの理由として,オペラ制作のプロデューサーが劇場支配人から楽譜出版社へと変わり,作曲家に時間的,金銭的余裕ができた事が大きいという事です。辻さんは,プッチーニの「ラ・ボエーム」の第1幕で歌われる有名な2つのアリア「Che gelida manina(冷たい手を)」と「Mi chiamano Mimi(私はミミ)」を例に取り,歌詞で韻を踏んでいる部分をプッチーニがいかに印象的に曲を作っているかを示してくれました。オペラを鑑賞するにあたって,曲だけではなく,リブレットにも関心を持てばさらに面白さが拡がりそうです。辻さん,どうもありがとうございました。(橋都)

イタリア外交の秘話(概要)

第410回例会

・日時:2014年8月22日(金)19:00-21:00

・場所:南青山会館2F大会議室

・講師:小林 明 日本経済新聞編集委員 

・演題:イタリア外交の秘話


 8月22日にイタリア研究会第410回例会が開かれました。講師は日本経済新聞ミラノ支局長を長く務めた,現編集委員の小林明さん,演題名は「イタリア外交の秘話」でした。小林さんは留学期間を含めると6年間ミラノに滞在しており,その間にイタリアの政治・外交のさまざまな変動にも立ち会ってきました。そしてイタリアが他国はできないような外交上の役割を果たすのを目撃したのですが,そのひとつが対北朝鮮外交でした。イタリアは2000年1月に,他のヨーロッパ諸国に先がけて北朝鮮と国交を樹立しました。それにはさまざまな理由があるのですが,ローマにある国際連合食料農業機関(FAO)に北朝鮮が代表を常駐させていたことが,大きく影響していると考えられます。もしこの年のアメリカ大統領選挙で民主党の候補ゴアが勝っていたら,北朝鮮を巡る世界情勢は大きく変わっていたかもしれません。またもう一つの話題は,イタリア財界の陰の立て役者であったエンリコ・クッチャに関するものでした.彼は2000年に亡くなっていますが,亡くなる直前まで「株は数ではない,重さである」という信念の元,クモの巣のような持ち株組織を作り出し,イタリア経済を裏から牛耳っていました。彼はそれにより,イタリアの企業を外資から守っていると自負していました。しかし現在ではグローバル化により,イタリア企業もよりオープンな形で世界市場で勝負するようになってきました。その意味でクッチャの死は,ヨーロッパでも特殊な位置を占めていた。ファシズム時代から連続する,完全な自由市場とは異なった戦後イタリア経済の終焉を象徴していたと考えられます。(橋都)

EXPOとイタリア(概要)

第409回例会

・日時:2014年7月25日(金)19:00-21:00

・場所:南青山会館2F大会議室

・講師:彦坂 裕 ミラノ万博日本館企画委員長 

・演題:EXPOとイタリア

 

 イタリア研究会第409回例会のテーマは「EXPOとイタリア」,講師は建築家でミラノ万博日本館の企画検討委員会の座長を務めておられる彦坂裕さんです。彦坂さんは,2005年の愛・地球博でも,2010年の上海万博でも,日本館で中心的な役割を果たされた経験をお持ちです.彦坂さんは,万博というものが,現在では近代オリンピック,FIFAワールドカップ,F1と並ぶ国際的なイベントシステムとなっていること,その中でも参加の意思さえあれば,どこの国でも,どの企業でも参加が可能という点で,特異な位置を占めていることを示されました。そしてかつては先進的な技術やものを展示するのが,第一の目的であった万博が,インターネットで誰でもが世界の情報を得られるようになった現在では,参加者が地球の共通の問題点を共に考えるというメディアに変化してきていることを示されました。2015年のミラノ万博は,「食」が取り上げられる最初の万博ですが,食といっても美食だけではなく,食物の廃棄や食物の流通,さらには気候変動による食糧不足や飢餓といった食の負の部分も取り上げられるはずということです.彦坂さんの見るところでは,日本館のライバルはドイツ館,サウジアラビア館だそうです。どんな万博になるか,大いに期待されます。彦坂さん,ありがとうございました。 (橋都)

デューラーとイタリア(概要)

408回例会

・日時:2014年6月11日(金)19:00-21:00

・場所:南青山会館2F大会議室

・講師:秋山 聰(あきら) 東京大学文学部教授

 

 イタリア研究会第408回例会が開かれました。演題は「デューラーとイタリア」,講師は東京大学大学院人文社会系研究科教授の秋山聰(あきら)先生です.秋山先生はデューラー研究の日本の第一人者で,多くの賞を受賞されています。デューラーは若い頃の修業時代と,ある程度の名声を得てからの2度,ヴェネツィアを中心として,イタリアを訪れています。秋山先生は1505年から1507年にかけての2度目のイタリア旅行を中心として話を進めました。そのお話のひとつのテーマが,デューラーの描いた“蠅”です.デューラーはこのイタリア滞在中の1506年にヴェネツィアの教会に祭壇画「ロザリオの祝祭」を描きました。この絵の中には,デューラーの自画像とともに,聖母子の膝の部分に,なんと蠅が描かれていました(その後の修復で消失)。秋山先生は,この蠅が単なるテクニックの誇示や,観客を楽しませるためのだまし絵ではなく,デューラーの自意識の表れではないかとの考えを述べられました。そしてデューラーが自分の早描きの能力を誇示するような作品を残している事とその絵の中のラテン語碑銘の文体を考慮すると,遅描きで有名であったため,古代の画家の中では遅筆で有名であったプロトゲネスに擬されたレオナルド・ダ・ヴィンチに対する対抗意識をデューラーは持っていたのではないかという説を提示されました。そうするとデューラーは,同じく古代の画家の中では速筆で有名であったアペレスに自らを擬していた可能性があります。そう考えると,デューラーは天才的なデッサン力だけではなく,プロモーターとしても高い能力を持っていた事になります。それを強調しすぎると,デューラーが嫌みな人間に思われてしまいますが,当時の画家は,職人であると同時にプロデューサーでもあったことを忘れると,芸術というものを誤解する可能性がある事を,秋山先生は強調されたました。秋山先生,大変面白いお話をありがとうございました。 (橋都)

ことばの窓から見える世界-須賀敦子の場合(概要)

407回例会

・日時:2014年5月23日(金)19:00-21:00

・場所:南青山会館2F大会議室

・講師:和田 忠彦 東京外国語大学

・演題:ことばの窓から見える世界-須賀敦子の場合

 

 5月23日(金)にイタリア研究会第407回例会が行われました。演題名は「ことばの窓から見える世界−須賀敦子の場合」でした。じつはこれまでにもイタリア研究会会員から,ぜひ須賀さんの話をして欲しいという要望が多くよせられていましたが,残念ながら適当な講師が見つからず,見送られてきました。ところが今回,東京外国語大学の和田忠彦教授が,須賀敦子について話をしてくださることになったので,会にとっては画期的なことです。和田さんは,自分の母国語以外で創作を行う“エクソフォニー”をキーワードに須賀の創作に迫りましたが,須賀がタブッキを敬愛し,彼の作品の邦訳を多数手がけたのも,この点での共通性が影響していると考えられます。また時代として,学生紛争が社会全体に影響を与えた1960年代のイタリアに身を置いたことが,須賀のやや年上の同時代人ナタリア・ギンズブルグに対する生涯変わらぬ敬愛の念の元となったと思われます。日本でカトリック教育を受けて受洗し,フランスに渡ったものの違和感を感じて,イタリアに移り,そこで伴侶を得て多数の日本の文学作品のイタリア語訳に携わり,伴侶が亡くなった後,日本に戻ってイタリア文学の翻訳と,本格的な創作活動を行ったという,日本人としては珍しい須賀の特異な経歴は,日本とヨーロッパとの関係を考える上で大きな示唆を与えるものと思われます。和田先生は,彼女が亡くなる直前に「私は死ぬときには,何語で死ぬのかしら」と語ったというエピソードを披露されましたが,そのようにして彼女が感じていたある意味の居心地悪さこそが,貴重なものであり,須賀が現在でも広く読まれている大きな理由であるとも考えられます。いずれにしても,須賀敦子という存在は,日本とイタリア,日本とヨーロッパを考える上で,かけがえのないものであるといえるでしょう。今回の講演を聴いて,また須賀敦子の著作,翻訳を読み返してみたくなった会員も多かったのではないでしょうか。和田先生,たいへん面白い示唆に富むお話しをありがとうございました。 (橋都)

ファシズムと「不完全な全体主義」(概要)

406回例会

・日時:2014年4月21日(月)19:00-21:00

・場所:東京文化会館4F大会議室

・講師:小山 吉亮 神奈川大学

・演題:ファシズムと「不完全な全体主義」

 

 4月21日,イタリア研究会第406回の例会が開かれました。講師は新進気鋭の政治学者,小山吉亮(おやまよしあき)さん,演題名は「ファシズムと『不完全な全体主義』」でした。ムッソリーニによるイタリアのファシズムは,ナチスドイツやスターリンのソ連に較べると,全体としては中途半端であり,その理由を,ムッソリーニ個人の資質やイタリア人の気質に帰する傾向があります。しかし小山さんは,そもそも完全な全体主義が実際に成立することはありえず,それは単なる目標に過ぎないこと,イタリアのファシズムも完全な全体主義を目指していた点では,変わりがないことを示されました。そしてそこには限定的ではあっても,自由な議論を推進しようという考え,一気に変革を行うのではなく,青年を教育することによって,長いタイムスパンでファシズムを定着させようとする考えがあったことを指摘されました。結局,イタリアのファシズムは議会制度の改革に失敗し,国王の権限をコントロールできずに,破滅への道をたどります。しかし誰もムッソリーニが権力を握るとは思っていなかったのに,議会での膠着状態から,どの党派も政権を確立することができず,ファシストの台頭と権力の掌握を許してしまったことは,われわれにも大きな教訓となるように思われます。小山さんのお話は,じつに明快で,またわれわれのこれまでのファシズム概念を覆すような,じつに興味深いものでした.小山さんありがとうございました。 (橋都) 

壁画保存修復の世界―イタリア芸術の偉大さとルネッサンス(概要)

405回例会

・日時:2014年3月24日(月)19:00-21:00

・講師:前川佳文氏(壁画保存修復士)。

・演題:壁画保存修復の世界―イタリア芸術の偉大さとルネッサンス

・会場:南青山会館2F大会議室

 

 3月24日の第405回イタリア研究会例会のテーマは,フレスコ画修復のお話でした。講師は15年をイタリアで過ごし,修復学校を卒業した後には,日本人として初めてのプロの壁画修復士として,多数のフレスコ画修復に携わった前川佳文さん,演題名は「壁画保存修復の世界—イタリア芸術の偉大さとルネサンス」でした。かつて日本のテレビ会社がスポンサーとなって,ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画と壁画の修復が行われ,話題になったことは,多くの方が覚えておられると思います。前川さんは,中学生の時にそのテレビ番組を見て感激して,その気持ちをそのままに保ち,大学卒業後にイタリアに渡ってプロの壁画修復士となったという,すばらしく感動的な経歴の持ち主です。前川さんは,壁画の歴史,フレスコが生まれることになった経緯とその科学的な根拠から話を始めましたが,とくに初期ルネッサンスの画家ジョットが果たした大きな役割を強調されました。かれがフレスコの技法を完成したことによって,イタリア全土で共通の技法が用いられるようになり,現在の修復もそれによって可能になったという事です。イタリアでは修復の倫理も研究されており,恣意的な修復はきびしく諫められ,修復を行う場合にも,後世の人間がオリジナル部分と修復部分とを区別できるようにすることが求められ,そのための特殊な技法も開発されているということです。またフレスコ画のいちばんの敵は水分とそこに含まれる塩素だそうです.それを除去する方法も編み出されており,まさに人間の病気の診断・治療と同じだと,前川さんは言っていましたが,まさにそのとおりだと思います。現在の最大の問題点は,イタリア経済の不調で,そのために美術修復の予算が付かず,前川さんも,仕事があっても給料未払いが続いたために,後ろ髪を引かれる思いで日本に戻ったという事ですが,ラファエロが関与している可能性を指摘されているフレスコ画の修復のため,今年は戻る予定だとのことで,その話をする前川さんは本当に楽しそうでした。たいへんな仕事だとは思いますが,好きなことを仕事として行うことのできる喜びが,聴衆にも伝わってくる,素晴らしい講演であったと思います。 (橋都)

イタリアのDOPの歴史と仕組み,その実際(概要)

404回例会

・日時:2014年2月7日(金)19:00-21:00

・場所:東京文化会館4階大会議室

・講師:粉川 妙(イタリアの食・スローフード研究家,ライター)

・演題:イタリアのDOPの歴史と仕組み,その実際

 

 2月7日(金)にイタリア研究会第404回例会が開かれました。今回のテーマはDOP(畜産,農業の産物と加工品の原産地呼称制度)で,講師はスポレートに在住のイタリアの食研究家・粉川妙さんでした。DOPという言葉をご存じない方でも,チーズのパルミジャーノ・レッジャーノやパルマの生ハムといった代表的な例を挙げれば,なるほどと分かると思います。特定の産地で伝統的な作り方を守って制作されている食品を守るための制度です。これにより生産者も消費者も守られ,伝統的な製法が保存されることになるのです。現在ではEUによって規定されていますが,イタリアはフランスをしのいで最大の品目数を持っています。粉川さんは,このDOPの歴史や機構とともに,それが実際にどのような人たちによって作られ,守られているかを,Balze Volterrane のペコリーノ・チーズ,Colonnta のラルド,Monteleone di Spoleto のスペルト小麦といった,ご自分が実際に現地を訪れて見聞したDOPの例を挙げてお話しをしてくださいました。これらの地域での,官と民とが共同して,特産品を守り育てようという姿勢は,日本の農業の今後に対しても大きな示唆を与える様に思われました。粉川さん,面白く美味しそうなお話しをありがとうございました。 (橋都)

支倉常長の旅,肖像画の謎(概要)

403回例会

・日時:2014年1月17日(金)19:00-21:00

・場所:東京文化会館4階大会議室

・講師:石鍋 真澄 成城大学

・演題:支倉常長の旅,肖像画の謎

 

 イタリア研究会第403回の例会が開かれました。演題名は「支倉常長の旅,肖像画の謎」で,講師は成城大学教授である美術史家の石鍋真澄先生でした。支倉常長が,伊達政宗の命を受けてヨーロッパに向けて,牡鹿半島の月浦を出航して昨年で400年でした。それを記念して,さまざまな催しが行われましたが,じつはこの慶長遣欧使節団については,資料が少なく,分からない点も多いのです。それは使節団が送られたのが,家康によるキリスト教禁教令の前年というきわめて微妙な時期であり,帰国した時にはすでに日本は鎖国へと向かっており,諸手を挙げて歓迎されたわけではなかったという事情によります。石鍋先生は,豊富なスライドで支倉の旅をたどるとともに,彼の置かれた微妙な立場,その中で誠実に任務を全うしようとした姿を生き生きとよみがえらせてくれました。また仙台市とローマにある彼の肖像画について,その作者を同定するとともに,とくに仙台市の肖像画に見られる特殊性について,解説をしてくださいました。当日は支倉常長の末裔に当たる支倉さんも仙台から駆けつけてくださり,講演会の後の懇親会でも,遣欧使節団について,また東西文化交流について,遅くまで話の輪が広がっていました。石鍋先生,ありがとうございました。 (橋都)