2011年 講演会レポート

イタリア学習社会の歴史像(概要)

第378回例会報告

・日時:2011年12月21日(水)19:00-21:00

・場所:東京文化会館4階大会議室

・講師:佐藤 一子

・演題:イタリア学習社会の歴史像

    アソチアツィオニズモを基盤とする学習文化活動の展開


 イタリア研究会第378回のテーマは「イタリア学習社会の歴史像:アソチアツィオニズモを基盤とする学習文化活動の展開」,講師は法政大学キャリアデザイン学部教授,東京大学名誉教授の佐藤一子先生でした.いささか舌を噛みそうな題名でしたが,じつに明快で面白いお話でした。佐藤先生は,ご自分がなぜ成人教育の主流と考えられている英米ではなく,イタリアを研究されるようになったか,という点からお話をされ,アソチアツィオニズモがイタリアの地域社会と密接に結びついており,リソルジメントよりも古い歴史を持つことを示されました。そしてそれがヨーロッパの中では低学歴社会であったイタリアにおいての識字運動,社会的弱者のサポートや社会への受け入れといった,重要な役割を果たしてきたこと,しかし経済のグローバル化や移民の流入によって,地域社会が崩壊するとともに,その将来が危ぶまれていることを,広い知識と資料とによって語って下さいました・比較的地味なテーマかと思いましたが,参加者の関心は高く,質問が続出して,非常に熱い例会となりました.佐藤先生ありがとうございました。   (橋都)

欧州債務危機(概要)

第377回例会報告

・日時:2011年11月17日(月)19:00-21:00

・場所:東京文化会館4階大会議室

・講師:古澤 智裕 

・演題:欧州債務危機


 東京経済大学の藤沢房俊教授のご講演を予定していましたが,先生が入院されたため,急遽講師と演題を変更・選定することになりました。急なお願いにもかかわらず,ご講演を準備し,見事なお話をして下さった野村アセットマネジメント・経済調査部,シニア・エコノミストの古澤智裕さんにまずは御礼を申し上げたいと思います。演題は「欧州債務危機」です。ギリシャの債務危機に端を発したヨーロッパの債務危機は,EU中央銀行とドイツ,フランスを中心とした大規模な介入にもかかわらず,まだ収束の気配が無く,それどころはイタリアにも飛び火をして,ついにベルルスコーニ首相の辞任に至ったことは,どなたもご存じと思います。古澤さんは,GDPに関しては,ユーロ圏全体のわずか2.6%を占めるに過ぎないギリシャの債務危機が,なぜEUの存続を危ぶませるほどのインパクトを持つに至ったかを,多数のグラフや図表を駆使して,分かりやすく説明して下さいました。この限られたスペースで説明することは困難なのですが,各国の財政赤字だけではなく,金融の健全化のために規定されている,ユーロ圏の銀行の自己資本比率の縛りが,ジレンマを生んで,この債務危機への対策を難しくしているということです。しかしギリシャがEUを離脱することも,EUが崩壊することもなく,ヨーロッパは今後もさらに一体化を強めて行くだろうというのが,古澤さんの読みです.われわれもイタリア新内閣の動向に注目して行きたいと思います。 (橋都)

ヴェネツィアをマーケティングする(概要)

第376回例会

・日時:2011年10月25日(火)19:00-21:00

・場所:東京文化会館4階大会議室

・講師:栗林 芳彦(くりばやし よしひこ)

    名古屋文理大学情報文化学部教授、PR学科学科長 

・演題:ヴェネツィアをマーケティングする


 イタリア研究会第376回の例会が開かれました。演題名は「ヴェネツィアをマーケティングする」,講師は名古屋文理大学情報文化学部教授・PR学科学科長の栗林芳彦さんです。栗林さんはもともと広告業界におられた方で,マーケティングの専門家ですが,ヴェネツィアには50回以上行かれており,ヴェネツィア人よりもヴェネツィアに詳しい日本人です。栗林さんは,多くの日本人がそこを訪れながら,本当の意味でその魅力を味わうことなく,慌ただしく立ち去って行く現状を踏まえて,ヴェネツィアの魅力,弱点などのSWOT分析から,そのマーケティング戦略を語ってくれました。ヴェネツィアの魅力のすべては,その特徴的な街の構造と歴史とに根ざしています。もともと堅固な土地がない場所に建設された水上都市,1100年間一度も外国に侵略されず,内乱も経験していない堅固な政治制度,これらの要因がヴェネツィアの街,美術,音楽を形作りました。ヴェネツィアを楽しむためには,共通の目的を持ったグループがエキスパートとともに,ある程度の期間滞在して,その目的を集中して探求する事が,必要であり,それはいわばマニアの先導によって,新しい観光のスタイルを創造する事である,という栗林さんの言葉に共感した聴衆が多かったのではないでしょうか。さっそくヴェネツィアに出かけたくなった方もたくさんおられた事と思います.栗林さん,ありがとうございました。 (橋都)

オペラの解釈と準備(概要)

第375回例会

・日時:2011年9月19日17:00~18:30

・場所:三笠会館5階(銀座5-5-17 TEL: 03-3571-8181)

・演題:オペラの解釈と準備

・講師:Dimitra THEODOSSIOU(ディミトラ・テオドッシュウ)

・通訳:高田 和文 静岡文化芸術大学教授 前ローマ日本文化会館館長


 今回の講師は、なんと現在来日中のボローニャ歌劇場のプリマドンナ、ソプラノのディミトラ・テオドッシュウさんです。演題は「オペラの解釈と準備」でした.講演に先立ち、この会の創始者のお一人である田辺健さんが名誉会員になられたとの報告があり,会員一同から盛大な拍手が送られました。さて講演は静岡文化芸術大学教授である高田和文先生の通訳で行われましたが、お二人の打ち合わせにより、最初のテオドッシュウさんのお話は短くして、主に聴衆からの質問に対する回答の形で行われました。ギリシャに生まれたテオドッシュウさんは,音楽好きの父親に初めてオペラ劇場に連れて行ってもらった6歳からオペラ歌手になりたいとの強い決意を持ち続けました.家庭の事情で音楽学校には行けませんでしたが、自分なりの訓練は続け、母親の母国であるドイツを訪問中に偶然、音楽教師と出会い、それから本格的な勉強を開始、デビューしたのは29歳の時でした。テオドッシュウさんはオペラ歌手になるには、才能も必要だが、たゆまぬ努力と訓練が何よりも重要であることを強調されました。現在でも教師に付いての定期的なチェックとトレーニングを欠かさないとのことです。また自宅で150%の力が出せていなければ、実際の舞台ではそれが80%くらいになってしまうため、聴衆を魅了する演技にはならない、という言葉には世界の一流歌劇場での経験場豊富な彼女ならではの説得力がありました。

 引き続いて行われた懇親会では、誰もが彼女と話をしたり、一緒に写真を撮ったりしたがるため、テオドッシュウさんはほとんど食べ物や飲み物を口にする時間がありませんでしたが、90分を超えるパーティーの間じゅう、終始にこやかに対応してくださり、感謝の念に堪えません。テオドッシュウさん、本当にありがとうございました。(橋都)

ダンテにおける《4項類推》と《空間転写》(概要)

第374回例会

・日時:2011年7月28日(月)19:00-21:00

・場所:南青山会館2階大会議室

・講師:藤谷 道夫(ふじたに みちお)

・演題:ダンテにおける《4項類推》と《空間転写》


 7月28日(木)にイタリア研究会第374回例会が開かれました。演題名は「ダンテにおける《4項類推》と《空間転写》」,講師は帝京大学准教授で,現在日本で最高のダンテ研究家として知られる藤谷道夫さんです。じつは演題名を見ても,司会者の僕にもどういった内容になるのか,皆目見当がつかなかったのですが,実際にはじつに興味深くまた分かりやすいお話で,まさに目から鱗でした。ダンテは最初のルネッサンス人とも言われていますが,その心情はあきらかに中世人であり,近代の人間とは思考の回路が異なっていること,彼は神が作り給うた世界の秩序を,自分の作品の中に模倣しようとしていたことを,藤谷先生は多くの神曲からの文例を挙げて説明されました。しかもこうした神曲の構造が明らかになってきたのは,何と彼の生誕700年が過ぎた1960年以降で,本格的に研究されるようになったのが1980年代になってからだということです。しかもダンテの用いた技法のほとんどは,翻訳によって消えてしまうために,なかなか日本人には理解しにくいことを,藤谷先生は示してくれました。ダンテの偉大さ,神曲の巨大さをあらためて知ることができた講演であったと思います。いつか藤谷先生による「神曲」の翻訳を読んでみたいものです。藤谷先生,ありがとうございました。(橋都)

創造都市ボローニャへの招待(概要)

第373回例会

・日時:2011年6月7日(月)19:00-21:00

・講師:佐々木 雅幸 大阪市立大学創造都市研究科教授

・演題:創造都市ボローニャへの招待

・場所:東京文化会館4階大会議室

 

 6月7日(火)第373回のイタリア研究会例会が開かれました。演題名は「創造都市ボローニャへの招待」,講師は大阪市立大学創造都市研究科教授で同大学の都市研究プラザ所長も務める佐々木雅幸先生です。ボローニャはみなさまご存じのようにヨーロッパ最古といわれるボローニャ大学がある街として有名ですが,同時に中世から続くギルドの伝統が生きている職人の街でもあります.この街で協同組合が中心となって,町並みの保存,芸術の振興,ホームレスの自立支援などさまざまな事業がおこなわれ,街の活性化に寄与しています。なぜボローニャでこうした取り組みが成功しているのか.それは演題名の副題であった「街と大学と文化政策」とに表れているように,住民と大学人とコムーネとがお互いに協力をして,徹底的に話し合うことによって,本当の意味での住民主導の事業がおこなわれている事によっています.佐々木先生は実際の多くの事例を挙げながら,分かりやすくまた活き活きとボローニャにおけるさまざまな事業を解説して下さいました。地方都市の衰退,東京中心の文化の一元化が大きな問題となっている日本においても大いに参考になる講演でした。講演後には質問が続出しましたが,ご多忙な先生がその日のうちに大阪にお帰りになるということで,懇親会でのさらなる議論ができなかったのがいささか残念でした。佐々木先生,お忙しいところ本当にありがとうございました。(橋都)

古代ローマ時代のガラス(概要)

第372回例会

・日時:2011年5月30日(月)19:00-21:00

・講師:藤井 慈子(ふじい やすこ)ローマ在住ガラス研究家

・演題:古代ローマ時代のガラス

・場所:東京文化会館4階大会議室


 昨日,第372回のイタリア研究会例会が行われました。講師はローマ在住のガラス研究家藤井慈子(やすこ)さん,演題名は「古代ローマ時代のガラス」です。もともと古代ローマの文献的な研究をおこなっていた藤井さんは,たまたまバチカン美術館で目にした古代ローマの金箔ガラスに魅せられて,その研究を始めました。そのおしとやかな外観とはそぐわないオタク的エピソードも交えながら,ローマ時代のガラスの歴史,技術,ローマ人の生活に与えた影響など,広範な知識を情熱を込めて語ってくれました。エジプトあるいはパレスチナで発明されたと考えられるガラスが,ローマ時代に吹きガラスという画期的な方法を得たことにより,自由な造形が可能となり,大量生産による値段の低下も相まって,窓ガラスも含めて庶民が用いることのできる素材となりました。そしてそれはイタリア半島から帝国各地に拡がり,ゲルマニアのケルンでひとつの技術的な頂点を形成するまでになったのです.それがさらに朝鮮や日本にまで,その技術が伝わったと考えられ,われわれに人間の営みの壮大さを思い起こさせてくれます。また藤井さんの関心の中心である金箔ガラスが,真っ暗なローマのカタコンベにおいて,肉親の墓を見つけるための目印としても用いられたのではないか,というお話は,世の東西を問わない先祖への思いの深さを伝えるものでした.藤井さん,興味深いお話をありがとうございました。(橋都)

ベルルスコーニ現象:イタリア戦後政治の終結と民主主義の危機(概要)

第371回例会報告

・日時:2011年4月22日(金)19:00-21:00

・講師:松浦一樹 読売新聞社元ローマ特派員

・演題:ベルルスコーニ現象:イタリア戦後政治の終結と民主主義の危機


 イタリア研究会第371回例会が開かれました。講演に先立ち,今回の東日本大震災の犠牲者に黙祷が捧げられた後,会が始まりました。講師は昨年まで読売新聞ローマ支局にお勤めで,現在は英字新聞部の主任を務める松浦一樹さんです.演題名は「ベルルスコーニ現象:イタリア戦後政治の終結と民主主義の危機」です。この演題名はいわく付きで,講演をお願いした時に,一度はこの題名に決まったのですが,例会期日が4月になったため,それまでベルルスコーニ政権は持たないだろうと,別の題名に変更しました。ところがあに図らんや,彼がしぶとく延命しているために,元の題名にもどったという次第です。さて松浦さんのお話は,記者会見場でベルルスコーニが発するオーラの話など,現地で記者をされていた松浦さんならではのビビッドな印象も含めて,なぜ彼がスキャンダルにまみれながら,ヨーロッパでもトップの人気を保っているのかを,彼の生い立ち,手法,戦略などから分かりやすく解説してくれるものでした。結局は彼の最大の特徴は,史上初めて国中のメディアを手中に収めた権力者であることで,これをネオ・ファシズムと見るかどうかは,今後の経過を見なければならないが,それに関して重要なのは,北部同盟とフィーニ党首との関係ではないかということ,われわれがイタリアを見る時には,いくら批判はあっても,この国がベルルスコーニを支持している国であるという観点も忘れてはならないということが強調されて,講演は終わりました。講演後には質問が続出して,時間が足りなくなるほどで,例会後の懇親会でも,松浦さんを中心に,遅くまで議論が花咲いていました。松浦さん,本当にありがとうございました。(橋都)

女性にとって数学はどのような意味があるのか?18世紀イタリアの女性と数学(概要)

第370回例会報告

・日時:2011年3月9日(水)19:00-21:00

・講師:三浦 伸夫 神戸大学教授

・演題:女性にとって数学はどのような意味があるのか? -18世紀イタリアの女性と数学

・場所:東京文化会館4階大会議室


 講師は神戸大学国際文化学研究科教授の三浦伸夫先生です。中世数学史がご専門の三浦先生は、18世紀のミラノで生まれ活躍した女性数学者アニェージの生涯をたどりながら,当時のイタリアの女性を取り巻く文化的雰囲気をフランスや英国との比較をしながら描き出し,女性が学問を行うことが決して例外的なものではなかったことを示されました。ボローニャ大学の数学教授になったアニェージだけではなく、同じくボローニャ大学の物理学教授になったラウラ・バッシ、詩人から数学研究に転向したフィーニなど、他にも当時、女性科学者が活躍しており、これには初期カトリック啓蒙主義ともいうべき運動がその支えとなっていたことを、先生は示されました。この時代には、科学が宗教と対立するのではなく、むしろ信仰の一形態としての数学研究という面があり、後半生は数学の研究を放棄して貧者の救済に身を捧げたアニェージの生涯からもその事が分かります。われわれがまったく知らなかった科学史、イタリア史の一側面を鮮やかに示して下さった三浦先生,ありがとうございました。 (橋都)

イタリアにおける中国企業の台頭(概要)

第369回例会報告

・日時:2011年2月15日(火)19:00-21:00

・講師:松本 敦則 法政大学准教授

・演題:イタリアにおける中国系企業の台頭

・場所:東京文化会館4階大会議室

 

 講師は法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究家准教授の松本敦則さんです。松本さんはミラノ領事館の経済担当・専門調査員として,また現職になってからもイタリアの中小企業,地場産業の研究を精力的に続けておられます。その中でも繊維の街として有名なトスカーナ州プラートの街の最近の変容ぶりを、さまざまなデータと写真とで示してくれました。その変容ぶりとは一言でいえば,中国系企業による席捲です。プラートにはもともと中小の繊維関係の企業が多く,約8,000社が登録されているそうですが,そのうちの2,000社近くがすでに中国系で,在住中国人の数も実数の把握が難しいものの,30,000人を超えているのではないかといわれています。その結果,プラートの街の経済は中国人抜きには成り立たない状況になっており,彼らは一部では歓迎され、一部ではひんしゅくを買っているという状況のようです。もっとも大きな問題点は,もともとプラートにはテキスタイル関係の産業が多かったのが,よりもうけの多いアパレル関係の産業へと主力が変わってしまい,質の高い糸や布地をパリやミラノに提供することができなくなってしまったことだということだそうです。こうした問題点は,われわれ日本人にとっても人ごとではなく,巨大な中国パワーに対抗するあるいは協力関係を構築するにはどうすればよいのか,大いに考えさせられる講演でした。講演後の質疑応答でも,そうした関心から多数の質問が寄せられていました。(橋都)

世界を魅了するイタリアファッション(概要)

第368回例会報告

・日時:2011年1月14日19:00-21:00

・講師:フランチェスコ・フォルミコーニ イタリア商工会議所会頭

・演題:世界を魅了するイタリアファッション

・場所:東京文化会館4階大会議室

 

 今回の講師は、在日イタリア商工会議所会頭であり、アルマーニ・ジャパンの副社長でもあるフランチェスコ・フォルミコーニさんでした。タイトルは「世界を魅了するイタリアファッション」というとても興味をそそられるもので、多くの会員の参加が予想されましたが、事実、多数の女性会員が参加し、講演の始まる頃には席はほぼ満席となりました。講演の内容は最初にフォルミコーニ氏が会頭を務める在日イタリア商工会議所の説明から始まりました。在日イタリア商工会議所はイタリア大使館や貿易振興会などとも協力してイタリアと日本のビジネスの拡大化に大きな役割を果たしています。またセミナーやアペリティーボなどのユニークな活動を通じて会員数を増やすように努力しているとのことです。次に本題のイタリアのファッション業界の話に移り、まずイタリアの輸出額の推移の説明がありましたが、ここ数年不景気の影響もあり、イタリアからの輸出全体の落ち込みと共にファッション関連の輸出も落ち込んで来ており、厳しい状況が続いているとのことです。ファッション関連の企業の規模は小さく零細・中小企業並みで、その企業数も従業員数も減ってきているとのことです。ファッションの歴史はローマ時代からあり、身分によって身に付けているものも違っていたそうです。時代が下り東ローマ帝国、そして中世の時代、ルネッサンス期にイタリア・デザインが誕生しました。イタリアファッションの発祥はその大半が北部イタリアに集中しています。19世紀の産業の発展と共に織物産業として、羊毛、コットン、絹を使った洋服が製造され、アクセサリーとしてアイ・ウエアー、ジュエリー、革製品などが生み出されました.有名なところでは、コモがネクタイ、プラートがアパレル、ボローニャ、フィレンツエが皮製品、アクセサリー、マルケ州が靴といったところです。戦争の後、イタリアファッションブームのスタートとなり、グッチ、フェンディ、ブルガリ、サフィロ、エミリオ・プッチと言った有名ブランドが次々に誕生しました。今ではイタリアの有名ファッションブランドは数え上げればきりがないほど数多くあります。知っているところでも、グッチ、ジョルジョ・アルマーニ、ヴァレンティーノ、フェンディ、トッズ、マックス・マラ等々,最近では、生産コスト高という点を補うために生産の海外シフトも加速されているとのことです。また最近はM&Aにより、イタリアの有名ブランドがフランスのLVHMグループや、P.P.R.グループの参加に入るという現象も起きています。最近は日本の消費者も変わって来ていて、フォルミコーニさんの分析では、①ヴァリューを探し求める。②家で多くの時間を過ごす。③異なった方法で商品を買う。④健康と環境に配慮するといった行動傾向から、「時間を節約するためにお金を使う」から、「お金を蓄えるために時間を費やす」といった新しいパターンに変化しているとのことです。そのためにユニクロやザラ、ギャップと言ったファースト・ファッションと呼ばれるブランドが今の日本の消費者に適していると見ています。講演後の質疑応答では、「なぜ南部からイタリアファッションが生まれないのか。」「なぜファッションの有名な国がイタリア、フランス、スペインといった南欧に集中するのか」といったユニークな質問が寄せられ、大いに盛り上がりました。フォルミコーニさん、どうもありがとうございました。(市井)