ルネサンスの肖像と詩芸 ~ 生と死のあわいで

第518回例会 

日時:2024年4月13日(土)15:00~17:00(JST 質疑応答含む)

講師:水野 千依(みずの ちより) 青山学院 大学 文学部 教授

演題:ルネサンスの肖像と詩芸 ~ 生と死のあわいで

概要:

古代ローマの著述家大プリニウスによれば、絵画芸術の起源は、おそらく戦地へと旅立つ恋人の影をなぞった肖像にあるといいます。生と死のはざまで生みだされた肖像が、愛するものの死を悼み、不在を埋め合わせるとは、なんとロマンティックなことでしょうか。この逸話はルネサンスにもよく知られ、人文主義者アルベルティは「絵画は不在の人を現前させるばかりか…死者を生きているかのように現前させる神のごとき力をそなえている」と芸術の技を称揚しています。

生命を欠いた物質にすぎない絵や彫刻が語り、動き、見るものに嫉妬や愛情を抱かせる…この「生けるがごとき肖像」というテーマは、本来は古代の詩芸において流行したもので、その伝統を復興したのが 、 イタリア を 代表 する 詩人 フランチェスコ・ペトラルカです。恋愛詩のなかで、もはや天上の人となった愛しいラウラの面影を追い求め、言葉で肖像を綴った彼の詩の影響は大きく、レオナルドやラファエロなど ルネサンス の 画家たちも詩 芸 と 競合するように絵筆をとりました。

講演では、肖像と詩芸の競合のなかで肖像がいかに息づいていたのかを考えます。(水野 千依)

講師略歴:

美術史家。青山学院大学文学部教授。専門は西洋中世・ルネサンス美術史。フィレンツェ大学留学を

経て、 1997年 に京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。

2000年より京都造形芸術大学(現在:京都芸術大学)専任講師、准教授、教授を経て、

2015年より現職。

単著『イメージの地層:ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言』(名古屋大学出版会、 2011年、第 34回サントリー学芸賞、第 1回フォスコ・マライーニ賞、第 7回花王芸術・科学財団美術に関する研究奨励賞受賞)、『キリストの顔:イメージ人類学序説』(筑摩選書、 2014年、第 20回地中海学会ヘレンド賞受賞)、共編著『聖性の物質性:人類学と美 術史の交わるところ』(三元社、 2022年)、共著『はるかなる「時」のかなたに:風景論の新たな試み』(三元社、 2023年)、他。

 

4月13日、第518回イタリア研究会例会が開かれました。演題名は「ルネサンスの肖像と詩芸:生と死のあわいで」、講師は青山学院大学文学部教授の水野千依先生です。肖像画とは現代の我々が考えるような単なる似顔絵ではありません。大プリニウスはその起源を、戦地に赴く若い戦士の壁に映った横顔のシルエットをなぞった習慣に求めていますが、この世を去った者の面影を止めるという役割をその始原に持っていたことになります。しかし古代には芸術がその亡き者の性格や魂までも表すことはできないとされていました。

ルネサンスになり、肖像画の伝統が復活すると、その目的は為政者の偉大さを示すだけではなく、市井に生きた庶民の思い出としても描かれるようになり、肖像に魂を与えようという芸術家たちの意欲が明白になってゆきます。それに大きな影響を与えたのが詩人のペトラルカです。彼は友人であったシモーネ・マルティーニが描いたラウラの肖像画を絶賛し、すでに亡くなっているラウラの魂が感じられると歌いました。また当時、死者のデスマスクを作ることが流行し、当時のフィレンツェではどの家にも、デスマスクを基に制作された故人の肖像画や彫刻があったという事です。それに対して、生きている人物の肖像画に、自らの技量によって魂を与えようという画家も現れ、その代表がレオナルド・ダ・ヴィンチとラファエロでした。レオナルドの描いた「ジネブラ・デ・ベンチ」、「チェチーリア・ガットラーニ(白テンを抱く少女)」、そしてあの「モナ・リザ」においてそれを証明してみせました。特にモナ・リザにおいては、個性を消して普遍的な肖像画とすることによって、その内面や魂が表され観る者は彼女と対話をしている様に感じることができるのです。

 

一方でラファエロはモデルの個性を描き切ることによって、生けるが如き生々しい肖像画を描くことに成功します。その代表が人文主義者で外交官でもあった「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像」です。この作品は彼とラファエロとの友情の成果とされ、彼が任地にある間には、彼の妻と子どもがこの肖像画を眺めて心を慰めたとされていますが、それくらい生き生きした肖像画であると言えるでしょう。ところがカスティリオーネには実は人妻である愛人が居て、彼は鏡の裏にその肖像画を隠し、秘密のシャッターを開くことによって、それを見ることができる仕組みを作っていたということです。自分が鏡を覗き込むことによって、その裏に居る愛人と一体化できるという感覚を楽しんでいたのかもしれません。こうしてルネサンスの肖像画の歴史を辿ると、それがまさに生と死とのあわいに生まれ、成長してきたということがわかります。またそれが視覚芸術の中だけではなく、文学の影響も受けながら発展してきたこともわかるかと思います。

水野先生、美術史の範疇にとどまらない、文化史的な視点からのルネサンスの肖像画の大変興味深いお話をありがとうございました。(橋都浩平)

 

イタリアでもトラム・ルネサンスの動き:世界の動向から探る

日時:2024年 3月 30日(土) 15:00 17:00 JST・質疑応答含む)

※開場時間 リアル参加 14:30/オンライン参加 14:50

場所:今回は下記会場とビデオ会議システム Google Meetでハイブリッド開催します。

ビジョンセンター東京日本橋 3階 302号室 中央区日本橋1-1-7 OP日本橋ビル

演題:イタリアでもトラム・ルネサンスの動き~世界の動向から探る

講師:市川 嘉一(いちかわ か いち) 都市・交通ジャーナリスト

概要:

1990年代以降、欧米では車に依存しすぎないためのまちの活性化策として

トラム(路面電車)導入の動きが急速に広がってきたが、イタリアでもその波と

無縁ではなく、 21世紀に入り新たなトラムの開業が相次いでいる。シチリア島東

端の都市メッシーナを皮切りに、サルデーニャ島のサッサリ、カリアリの2都市

でも開業。 2007年3月にはパドヴァではゴムタイヤ式のトラムが導入された。そ

して、 2010年2月にはフィレンツェでも約 50年ぶりに郊外路線としてトラムが

復活。街なかと大学病院や空港を結ぶ新たな路線も 2018年から 2019年にかけて誕 生した。見逃

せないのは、 EUや国の支援強化により、ポスト・コロナ時代のまちづくりとして、何度も頓挫し

てきたボローニャで建設が始まるなど復活の計画が広がっていることである。イタリアでも遅れば

せながら、ちょっとした「トラム・ルネサンス」が進行していると言えるだろう。講演では近年に

おける世界の動向も交えながら、画像を多数使い旅気分でイタリアのトラム開業都市や新たな動き

を紹介したい。(市川 嘉一)

講師略歴:

1960(昭和 35)年埼玉県生まれ。 84年早稲田大学卒。 2015年埼玉大学大学院理工学研究科博士後期

課程修了。日本経済新聞社入社。東京本社編集局経済解説部記者、地方部次長、産業地域研究所主任研究員などを経て 2018年退社。国内外のまちづくりや都市・地域交通の現場を多数取材、 2020年から月刊専門誌『運輸と経済』 にコラム「交通時評」を長期連載するなどジャーナリスト・評論活動を続けるとともに、立飛総合研空所(東京・立川市)で理事を務める。大学非常勤講師のほか、国の交通政策審議会地域公共交通部会委員などを歴任。主な著書に『交通まちづくりの時代』など。近著に『交通崩壊』(新潮新 書)がある。イタリアのトラムに関しては日伊協会機関誌『 CRONACA』 167号( 2021年春号)に特集記事「イタリアのトラム新時代」を執筆。

 

3月30日、イタリア研究会第517回例会がハイブリッド形式で開かれました。演題名は「イタリアでもトラム・ルネサンスの動き:世界の動向から探る」、講師は都市・交通ジャーナリストでイタ研会員でもある市川嘉一さんです。市川さんは昨年「交通崩壊」という著書を上梓され、この本は今年の交通図書賞を受賞しています。

 

さて20世紀はモータリゼーションによって都市が発展してきましたが、その限界も明らかになっており、ヨーロッパを中心としてそれを見直した都市改造・交通政策が次々と実現しています。その中心にLRTのような高規格路面電車を含むトラムの復活があります。世界で路面電車の営業キロ数が長いのは順にフランス、米国、中国、トルコ、スペイン、イタリアとなっており、イタリアはヨーロッパの中でもトラムが活躍している国なのです。イタリアでは国の政策と共に、EUとのコラボレーションによって各都市でトラムが新設されたり復活したりしています。その実情を見てみましょう。

イタリアにおいても各都市にかつてはトラムの路線が縦横に走っていました。しかし日本と同様モータリゼーションの到来と共に、次々と廃止の道を辿っていました。その中でミラノでは例外的にトラムが市民の足として守られてきており、現在でも路線長はイタリア最長でヨーロッパ有数の規模を誇っています。1928年の開業以降の古い電車が修理されながら使われてきましたが、最近はそれに変わるスイス製の電車が導入され、郊外に向かってはLRTの走る新しい路線も延伸されています。ローマでもかつては59系統140kmの路線がありましたが、現在は6路線31kmになっています。しかしローマ市がこれを都市ブランドとして復活させようとする動きもあります。トリノでは7系統76kmが営業しており、循環路線が中心です。週末のみの観光路線やサッカーの試合に合わせた路線運行といったユニークな試みも行われています。

特筆すべきはフィレンツェで、完全廃止後50年を経て新しいLRTによる運行が開始されました。利便性を高め、車からの乗り換えを促進するために、4分間隔で運行され運行時間も5時から25時と非常に長くなっています。郊外の住宅地と街の中心だけではなく、大学病院、オペラ劇場、空港などを結び市民の足を確保するという基本理念が徹底しており注目されています。ドゥオーモの近くを通る路線は反対が出て中止されていますが、将来はドゥオーモの側をトラムが走る風景が見られるようになるかもしれません。またさらにこれらよりも規模の小さな都市、ボローニャ、ピサ、ブレーシャ、トレントなどでもトラムの復活が計画されており、イタリアのトラム・ルネサンスはどうやら本物のようです。

 

日本でも同じ動きが起こるのかどうかが問題です。市川さんは、地方自治体だけではなく国も関与しなければ難しい事、建設だけではなく運営にも補助が必要な事、その為にはどのような都市を作るのかという基本計画が必要な事、導入に当たっては当局だけではなく、計画段階から利害関係者や市民団体との連携が必要である事、を挙げていました。市川さん、貴重なお話をありがとうございました。日本でもヒューマン・サイズの都市計画・交通計画が行われるようになることを期待したいと思います。

(橋都浩平)

 

ミケランジェロ、彫刻の変遷と『最後の審判』の背景にあるもの

516回例会 ※Google Meetでオンライン開催

日時:2024220日(火)20:0022:00JST 質疑応答含む)

講師:上野真弓氏(美術史研究家・翻訳家 ローマ在住)

講師略歴:

1959年生まれ。イタリア語書籍翻訳家、文筆家。ツーリズム別府大使。成城大学文芸学部芸術学科西洋美

術史専攻卒業。英国留学後、 1984年よりローマ在住。ローマにてイタリア語とイタリア美術史を学ぶ。専業主婦ののち、趣味と実益を兼ねて 2016年に 翻訳家デビュー。訳書にコスタンティーノ・ドラッツィオの『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密』『カラヴァッジョの秘密』『ラファエッロの秘密』(いずれも河出書房新社)、出口治明氏との共著に『教養としてのローマ史入門』(世界文化社)がある。最新刊は、訳書『ミケランジェロの焔』(新潮クレスト・ブックス)。

演題:ミケランジェロ、彫刻の変遷と「最後の審判」の背景にあるもの

概要:

ミケランジェロの彫刻は実質的にピエタで始まりピエタに終わる。 24歳で制作した最初の「ヴァ ティ カンのピエタ」は最も古典的完成度を極めており、20代後半でもう一つの古典的彫刻「ダヴィデ」を彫ると、その後は古典的完成度を捨てる。死の直前まで彫り続けた最後の「ロンダニーニのピエタ」は抽象的

で未完成だ。彼の彫刻はどのように変遷していくのか、それは何故なのかを探る。

また、ミケランジェロの彫刻に不可欠だった大理石の採掘場カッラーラの様子も紹介する。次にシスティーナ礼拝堂の祭壇画「最後の審判」について考察する。完成後、激しい非難を浴びたフレスコ画は、 1563年にトリエントの公会議で陰部を覆う腰布の加筆が決まった。

ナポリのカポ・ディ・モンティ美術館にはミケランジェロのオリジナル作品の模写が残っている。

それを見ると人物像が全裸で描かれているだけでなく、過激な描写があるのに気づく。この絵の何が問題だったのか、また何故このようなスキャンダラスな絵を教皇の礼拝堂に描いたのかを探る。 

ラファエッロがこの絵から受けた影響にも触れる。(上野 真弓) 

 

2月20日、イタリア研究会第516回例会が開かれました。講師はローマ在住の文筆家・翻訳家の上野真弓さんで、ローマからの配信でした。演題名は「ミケランジェロ、彫刻の変遷と『最後の審判』の背景にあるもの」です。上野さんは成城大学で美術史を学んで英国に留学し、1984年からローマ在住、専業主婦として過ごした後に2016年から翻訳家として再出発したと言うキャリアの持ち主です。

 

1475年にトスカーナのカプレーゼで生まれたミケランジェロは、若い頃から彫刻の才能を発揮しメディチ家の庇護を受けて成長して行きます。15歳の時の作品ですでに肉体表現の非凡さを見せていましたが、24歳で製作した「ヴァチカンのピエタ」で一つの頂点を極めてしまったと言う事もできます。彼は88年に亘る長い人生の間に、サヴォナローラの台頭や、メディチ家の追放・復活、カール5世の軍勢によるローマ劫掠、たびたびの教皇交代など激動の時代変化を経験しなければなりませんでした。それにより彼の作品も大きな影響を受けて、未完に終わった作品も少なくありません。しかしメディチ家礼拝堂の彫刻群や、ユリウス2世廟の「モーセ」や「囚われ人」の連作が世界美術史に残る傑作である事は誰もが認めるところです。彼は亡くなる直前まで遺作の「ロンダニーニのピエタ」に手に入れていましたが、同じテーマのヴァチカンの作と比べるとあまりの違いに驚かされます。大理石の塊の中から不定形のキリストと聖母とが浮かび上がってくるような遺作は、完璧な技巧とデザインによる後者とは完成度の観点では比べる事もできないのですが、実に感動的です。上野さんは彼の長い彫刻家人生に大きな影響を与えたエピソードとして、あのラオコーン像の発掘と大理石の産地カッラーラでの大理石との対話を挙げていました。

 

さて彼の最後の大作システィーナ礼拝堂の「最後の審判」は多くの解釈を呼び起こす謎の壁画と呼ぶ事ができます。従来の多くの最後の審判とは画像的に異なる点が多いのもその一つですが、上野さんはこの作品の特徴は全体を覆う不安感で、それはミケランジェロの心を反映していると言います。彼は最後までカトリックの信者で、最後の審判を信じていたと考えられます。それだけに自分が教会が禁止する同性愛者である事、そして芸術家としての傲慢とが罪になるのではないかと恐れていました。そして時はまさに宗教改革の時代で、教皇庁の腐敗を目にする機会も多かった彼にとって、ルターたち新教徒の主張の一部は彼の心をとらえた可能性があります。当時カトリック内部にも改革の動きがあり、その中心にいたのがローマの名門コロンナ家のヴィットリア・コロンナでしたが、ミケランジェロは彼女と多くの手紙や詩のやりとりをしていますので、彼女から多くの影響を受けたと考えられます。ミケランジェロが感じていた最後の審判と自らの救済に対する不安がこの祭壇画に不穏さを与えているのは間違いはないと考えられます。

 

講演後の質疑応答での、当時の普通の人の感覚からすると、レオナルド・ダ・ヴィンチは宇宙人か未来人だが、ミケランジェロはより人間的であったという上野さんの指摘は印象的でした。またヴィットリオ・コロンナとの間に恋愛感情があったのかと言う質問には、肉体関係はなかったと考えられるが、恋愛感情はあったと即答され、2人の間の手紙や詩をイタリア語で読み込んでいる上野さんならではと感心しました。上野さん、面白い内容を生き生きと講演して下さりありがとうございました。 

(橋都 浩平)

反逆する道化~ノーベル賞劇作家ダリオ・フォーの喜劇~

515例会 リアル会場とGoogle Meetでハイブリッド開催

日時:2024126日(金)19:0021:00  (質疑応答含む)

場所:ビジョンセンター東京日本橋 302号室
    中央区日本橋1-1-7 OP日本橋ビル3
    +オンライン(Google Meet

講師: 高田和文氏(静岡文化芸術大学 名誉教授)

演題: 反逆する道化~ノーベル賞劇作家ダリオ・フォーの喜劇~

 

1月26日、イタリア研究会第515回例会がハイブリッド形式で開催されました。講師は静岡文化芸術大学名誉教授でイタリア語・イタリア演劇がご専門の高田和文先生、演題名は「反逆する道化:ノーベル賞劇作家ダリオ・フォーの喜劇」です。

 

2016年に亡くなったダリオ・フォーは1997年にノーベル文学賞を受賞しましたが、そのニュースはイタリアにおいてもいささかの驚きをもって受け止められました。というのも、彼はイタリア国内で劇作家というよりも喜劇役者と思われていたからです。彼は1960年代から演劇活動を行なっていますが、元々は軽演劇の出身でフランカ・カメーラと結婚後にその影響もあり、古典的な演劇手法も自由に取り入れながら、政治風刺劇を上演するようになり人気に火がつきます。さらに当時の「熱い秋」の時流にも乗り、共産党系文化団体での上演を続けカウンターカルチャーの旗手と目されるようになりました。その後にイタリアは鉛の時代と呼ばれる左右両側からのテロが全土で頻発する時代となり、演劇界も先鋭化して彼も公安当局に逮捕されるという経過を経て、共産党とは訣別して自らの劇団を創設しました。

 

その後、彼の演劇手法は伝統的手法に回帰しますが、批判精神は健在で、政治批判から社会批判に向かうようになります。この時期の代表作が「払えない!払わない!」「クラクションを吹き鳴らせ」「法王と魔女」といった作品です。コンメディア・デラルテや古代ローマ喜劇の手法を活用しながら、政治批判、官僚制批判を明るい笑いで表現しています。彼が劇作家としてよりも役者として有名であったと述べましたが、実際にはオペラの演出も行っており、舞台衣装もデザインするというトータルな演劇人でした。彼の特徴は常に庶民の視点からの批判を忘れることがなく、メッセージが明確である事、古典的な手法を用いながら現代の問題にアプローチした事、中世以来の民衆演劇の伝統を復活させ、近代演劇とは異なるジャンルを確立した事、にありそうです。日本では劇団民藝、シアター・カイ、ドラマスタジオなどが彼の作品を上演していますが、必ずしもその回数は多くなく、2023年に高田先生の翻訳による「ダリオ・フォー喜劇集」が出版されたのを機会に、さらに彼の作品に対する関心が深まるのを期待したいという事でした。

晩年のダリオ・フォーご夫妻と親交のあった高田先生の講演は、彼の実際の演技の動画も交えたいきいきとした明快なもので、会場の聴衆もオンラインの聴衆も彼の演劇に対する理解が大いに深まったのではないでしょうか。(橋都浩平)