2018年 講演会レポート

ルーベンス展—バロックの誕生(概要)

12月例会第2回(463回) 

・日時:2018年12月19日 (水) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:渡辺晋輔氏(国立西洋美術館主任研究員)

 略歴:鎌倉出身。東京芸術大学と東京大学で学ぶ。専門はイタリア美術史。著書に『Art Gallery 1 ヴィーナス――豊穣なる愛と美の女神』(共著、集英社)等。企画した展覧会に、『ラファエロ展』『グエルチーノ展』『アルチンボルド展』等。

・演題:ルーベンス展—バロックの誕生

 概要:国立西洋美術館で開催中のルーベンス展について、監修者が解説する。ルーベンスは17世紀、主に現在のベルギーで活動した画家だが、若い頃約8年間をイタリアで過ごし、終生にわたりこの地に愛着を持ち続けた。講演ではルーベンスがいかにイタリア美術を学んで自らの作品に役立て、そして彼の作品がどのようにして次世代のイタリアの画家たちに影響を与えたのかということを中心にお話しする。(渡辺晋輔)

 

463回イタリア研究会例会が開かれました。現在国立西洋美術館ではルーベンス展が開かれていますが、それに関連した内容で、講師は同美術館主任研究員の渡辺晋輔さん、演題名は「ルーベンス展—バロックの誕生」でした。

これを読んで「ルーベンスはフランドルの画家でイタリア研究会の演題としてはどうなの?」と思われた方もあるかもしれません。しかしルーベンスはイタリアに長く滞在した事がありますし、各国の画家やパトロンたちとはもっぱらイタリア語で通信していたくらいイタリア文化に精通していました。そもそも渡辺さんが企画した今回の展覧会が、これまで日本で開催されたルーベンス展とは異なり、ルーベンスとイタリアとの関わりを中心のテーマにしているのです。

渡辺さんが最初に強調したのが、彼がヨーロッパの絵画に与えた巨大な影響です。それは彼の生前から現在に至るまで、ずっと続いており、彼が忘れ去られた時代はありませんでした。これは稀有な事であり、彼の作品のレベルが高くしかも多作でもあったことが影響しています。彼は当時の画家としては異例なほどの高い教養を持ち、並外れた知性の持ち主でした。そのためにクラウディオ・モンテヴェルディ、ガリレオ・ガリレイなど同時代の最高のインテリたちとの付き合いがあり、外交の役割を担って各宮廷にも出入りをして、最高の美術品を目にする事ができたのです。とくにローマに滞在していた時には、ラオコーンを初めとする多くのギリシャ・ローマ時代の彫刻作品のデッサンを残しており、そのモチーフを後の作品の中に繰り返して用いています。いわば彼は石の彫刻に色と生気を与えて画面の中で生き返らせたという事が言えるでしょう。

また彼の作品、とくにローマの境界キエーザ・ヌオーヴァの祭壇画はイタリアの同時代そして後の世代の画家たちに大きな影響を与え、バロック絵画の誕生を促したのです。こうして考えてみると、ルーベンス自身がイタリアに行く事によって、古典美術、カラヴァッジョ、ティツィアーノ、ティントレットらの作品から影響を受けてみずからの芸術を完成させ、その彼の作品がアンニーバレ・カラッチ、グイド・レーニなどに影響を与えてイタリアのバロックが発展したわけですから、ルーベンスとイタリアとの関わりは、我々が考える以上の拡がりを持っているという事ができると思います。

渡辺さん、いつもながらの明快で中身の濃いお話をありがとうございました。まだルーベンス展をご覧になっていない方、ぜひお出かけください。会期は1月20日までです。(橋都浩平)

 

 

不変にして、定まらず—“アッズーリ”の源流(概要)

12月例会第1回(462回) 

・日時:2018年12月7日 (金) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:伊藤亜紀氏 (いとうあき)

 略歴:1967年千葉県生まれ。1999年お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程修了。博士(人文科学)。現在、国際基督教大学教養学部教授。専門はイタリア服飾史と色彩象徴論。

【著書】『色彩の回廊──ルネサンス文芸における服飾表象について』(ありな書房、2002年)、『青を着る人びと』(東信堂、2016年)など。

【訳書】ドレッタ・ダヴァンツォ=ポーリ監修『糸の箱舟 ヨーロッパの刺繍とレースの動物紋』(悠書館、2012年(共訳))、『イタリア・モード小史』(知泉書館、2014年(共訳))など。

・演題:不変にして、定まらず──「アッズーリ」の源流

 概要:いまや、日本のマスコミにもすっかり定着した感のある、サッカーをはじめとするすべての競技のイタリア・ナショナル・チームの通称「アッズーリ(Azzurri)」。しかしイタリア人は、この青という色を、古くから熱烈に愛してきたわけではなく、むしろ15世紀以前は明らかに敬遠していた。中世末期からバロック期の初めにかけて、彼らの青に対するイメージはどのように変化し、そして何処へ辿り着いたのかを、「誠実」「フランス」「卑賤」「不実」「嫉妬」という5つのキーワードで読み解く。(伊藤)

 

イタリア研究会第462回例会が開かれました。演題名は「不変にして、定まらず—“アッズーリ”の源流」、講師は国際基督教大学教養学部教授の伊藤亜紀さんでした。

われわれイタリア好きはアッズーリと聞くと、反射的にサッカーのイタリア・ナショナルチームを思い出しますが、じつは他のスポーツ、自転車競技、バレーボール、新体操などでも同じ色のユニフォームが使われています。そうすると、アッズーリ(青)が古くから勇気や勝利のシンボルとして使われてきたと考えたくなりますが、決してそうではありません。

そもそも青はむしろフランス王家の色と認識され、フランスという国家を代表する色でもありました。フランス王家の紋章は青地に金の百合(アイリス)で、この青は聖母から来ていると考えられます。なぜ青が聖母の色となったかというと、青空こそ聖母にふさわしいという理由の他に、ヨーロッパでは青の顔料となるラピスラズリ(ウルトラマリン)が黄金並に高価であったため、高貴な色と考えられるようになったという理由があります。それでは青が常にポジティブな意味を担っていたかというと、そうではなく不実を表す色として使われている文学作品も存在します。また鮮やかな青は別として、少なくともくすんだ青は庶民の用いる卑賤な色とも考えられていました。それは布地を藍色に染色するために用いられていたタイセイという植物が非常に安価でもっぱら庶民の衣服に用いられ、しかも発酵させる時に悪臭を放つ事によります。

一方、イタリアでは青が上流階級で用いられる事は少なく、北イタリアのいわばフランスかぶれの貴族たちに用いられていました。フィレンツェを含む中部イタリアでは、赤が高貴な色と考えられていました。そして青は嫉妬の象徴とされていたのです。その理由はいささか後付け的ではありますが、波の動きが決して静まる事がないように、不信の心も決して静まる事がないからだというのです。このように歴史的に見てみると青という色は、きわめて両義的な扱いを受けており、単純に勇気や勝利のシンボルとは言えない事が分かるかと思います。

伊藤先生、たいへん興味深いお話をありがとうございました。(橋都)

ロッシーニの芸術とその特質~没後150年を記念して (概要)

11月例会(461回) 

・日時:2018年11月6日 (火) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:水谷彰良氏(日本ロッシーニ協会会長) 

 略歴:水谷彰良(みずたに あきら)1957年東京生まれ。音楽・オペラ研究家。日本ロッシーニ協会会長。フェリス女学院大学オープンカレッジ講師。オペラやコンサートのプログラム、CD・DVD解説、翻訳、エッセイなどを多数執筆し、『レコード芸術』(音楽之友社)、『モーストリー・クラシック』(産経新聞社)等に定期寄稿。『サリエーリ』で第27回マルコ・ポーロ賞を受賞。多数の論考を日本ロッシーニ協会のホームページに掲載。https://www.akira-rossiniana.org/

【著書】『ロッシーニと料理』(透土社、1993/2000年)、『プリマ・ドンナの歴史』(全2巻。東京書籍、1998年)、『消えたオペラ譜』(音楽之友社、2003年)、『サリエーリ』(同前、2004年)、『イタリア・オペラ史』(同前、2006年)、『新 イタリア・オペラ史』(同前、2015年)、『セビーリャの理髪師 名作を究める十の扉』(水声社、2017年) 

 【共著】『新編 音楽中辞典』(音楽之友社、2002年)、『新編 音楽小辞典』(同前、2004年)、『ジェンダー史叢書・第4巻 視覚表象と音楽』(明石書店、2010年)、『ローマ 外国人芸術家たちの都(西洋近代の都市と芸術 第1巻)』(竹林舎、2013年)ほか多数。

・演題:ロッシーニの芸術とその特質~没後150年を記念して 

 

 概要:昨年11月、イタリア上院議会はロッシーニ没後150年を祝う特別法案を可決し、2018年を“ロッシーニ年”と宣言しました。ユネスコもロッシーニ生誕の地ペーザロを“音楽の創造都市”に認定しています(同年10月)。日本ではウィリアム・テル序曲の作曲者、トリュフとフォアグラを乗せたステーキの考案者として記憶されるロッシーニですが、研究者の間ではモンテヴェルディやモーツァルトと並ぶ天才との評価が定着しています。この講演では、法案に記された“人類の偉大な価値、自由、愛、生と死の意味、大いなる人間の情熱を普遍的言語の音楽で独創的かつ無類の力で表現した偉人”ロッシーニの芸術とその特質を、上演映像を交えてお話します。(水谷)

 

 イタリア研究会第461回例会はロッシーニに関する演題でした。じつは今年はロッシーニ没後150周年にあたり、ロッシーニ・イヤーと定められています。しかし日本でのロッシーニの評価は低く、「ウィリアムテル序曲」「セビーリャの理髪師」の作曲家、「グルメ」で片付けられてしまいがちです。

講師の日本ロッシーニ協会会長の水谷彰良さんは、ロッシーニをモンテヴェルディ、モーツァルトに並ぶ3大オペラ作曲家と位置づけて、彼の真価を知ってもらうために奮闘を続けています。一時は世界中で人気を誇った彼のオペラが上演されなくなってしまったことにはいくつかの原因がありますが、彼が生涯半ばでオペラ作曲の筆を折ってしまったこと、彼のオペラは歌手に超絶技巧を要求し、それを担うべき歌手が少なくなってしまったこと、彼の本当の真価はオペラ・セーリアにあるにもかかわらず、初期のオペラ・ブッファがもてはやされて偏った評価しかされなかったこと、舞台上にブラスバンドを配置するなど、上演に人員とお金を要したこと、などが上げられます。彼がオペラを作らなくなった原因の第一は、フランスの7月革命にあったという事です。革命で打倒された前王朝とのオペラ作曲の契約、前王朝から受け取っていた年金問題などによってロッシーニが身動きを取れなくなったというのが真相のようです。

彼の真価が表れていながら、日本ではほとんど上演されることがないロッシーニのオペラ・セーリアのいくつかをDVDで鑑賞することができましたが、「オテッロ」「湖の女(湖上の美人)」「マオメット2世」「ギヨーム・テル(ウィリアムテル)」の音楽性とドラマ性は本当に素晴らしく鳥肌物でした。また彼はヴェルディに先がけて自由主義、反権力、イタリア独立運動に共感して、それを暗喩するリソルジメント・オペラと呼ぶべき作品群を残しています。この点においても評価が十分でないのは残念なことです。いずれにしても充実したレジメと映像、お話により、参加者のロッシーニ観が僕を含めてまったく変わってしまったのではないでしょうか。日本で彼のオペラ、とくにオペラ・セーリアが上演されるようになることを祈りたいと思います。水谷彰良さん、ありがとうございました。(橋都浩平)

長沼守敬研究の成果と課題:新発見の作品を中心に(概要)

10月例会(460回) 

・日時:2018年10月8日 (月) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:石井 元章氏 (大阪芸術大学教授)

略歴:石井元章(いしいもとあき)

1957年群馬県生まれ。1983年東京大学法学部卒業、1987年東京大学文学部イタリア語イタリア文学科卒業。1997年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了(文学博士)。2001年ピサ高等師範学校大学院文哲学コース修了(文学博士)。現在大阪芸術大学教授。専門はルネサンス期イタリア彫刻、明治期日伊交流史。

著書:『ヴェネツィアと日本 -美術をめぐる交流』ブリュッケ、東京 1999年;

『ルネサンスの彫刻 15・16世紀のイタリア』ブリュッケ、東京 2001年、2007年;

Venezia e il Giappone - Studi sugli scambi culturali nella seconda metà dell’Ottocento, Istituto Nazionale di Archeologia e Storia dell’Arte, Roma 2004年;『明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得』吉川弘文館、東京2017年

主要論文:「アントーニオ・ロンバルドの古代受容」『美術史』141(1996)、pp.92-118;"Antonio Lombardo e l'antico: qualche riflessione", Arte Veneta, 51(1998), pp.6-19;「ミケランジェロの古代受容」『藝術文化研究』10(2006.3)pp.115-152;「啓示としての洗礼 トゥッリオ・ロンバルド作《ヴェネツィア総督ジョヴァンニ・モチェニーゴ記念碑》に関する一考察」『西洋美術研究』13(2007.7), pp.229-248;“Battesimo come Illuminazione - Qualche riflessione sul monumento del doge Giovanni Mocenigo di Tullio Lombardo”, a cura di Matteo Ceriana, Tullio Lombardo – scultore e architetto nella Venezia del Rinascimento Atti del Convegno di studi, 

Venezia, Fondazione Giorgio Cini, 4-6 aprile 2006, Cierre, Verona 2007.10, pp. 99-115;“La metamorfosi d’ippocampo: l’antico in Antonio Lombardo e in Jacopo Alari-Bonacolsi detto l’Antico”, a cura di Victoria Avery e Matteo Ceriana, L’Industria artistica del bronzo del 

Rinascimento a Venezia e nell’Italia settentrionale, Atti del Convegno Internazionale di Studi, (23-24 ottobre 2007), Scripta edizioni, Verona 2009.12, pp.135-156;「海馬の変容 古代、アンティーコとアントニオ・ロンバルド」『美術史』168 (2010.3), pp.308-322;「ヴェネツィア共和国における彫刻の変遷」『芸術』38 (2015.12), pp. 29 - 37など。

・演題:長沼守敬研究の成果と課題  新発見の作品を中心に

 

 概要:『明治期のイタリア留学』では主だった4人を中心に1880年代にイタリアに留学した日本人留学生に焦点を当てた。その中で川村清雄に関しては、2年か3年後にヴェネツィア近代美術館と日本で本研究に基づいた展覧会を開催することがほぼ決まった。また、長沼守敬についてはその後の調査研究で新たな作品が18点見つかり、現在モノグラフを現在執筆中である。今回は最近の研究で明らかになった点や、新発見の長沼作品について、それを紹介すると共に、発見の経緯などについてもお話したい。(石井)

 

 第460回例会が開かれました。講師は大阪芸術大学教授の石井元章さん、演題名は「長沼守敬研究の成果と課題:新発見の作品を中心に」でした。

石井さんはもともとルネサンス期イタリア彫刻の研究がご専門ですが、最近は明治期にイタリアに留学した留学生たちの研究にも力を入れています。昨年は「明治期のイタリア留学:文化受容と語学習得」という本を出版されましたが、その中の一つの章を彫刻家の長沼守敬に充てています。石井さんは、長沼の研究を続けてきた方の高齢化、長沼の子孫が亡くなるなどの出来事に刺激され、彼の業績を保存し顕彰することを最重要なテーマとして研究を続けています。今回は前回の出版以降の研究の進展について話をされました。

長沼は岩手の出身で、イタリアに渡ったのは芸術を勉強するためではなく、イタリア語を身につけるためでした。ところが他の留学生たちに刺激を受け、あえて彫刻を学ぶことにしたのです。ですから何の修練も受けてはいなかったのだと思いますが、才能があったのでしょう、ヴェネツィア美術院の秘書官が特別に彼の名前を挙げて賞賛するほどの技量を示したのです。当時の作品のほとんどは写真が残っているだけですが、彼の驚くべき才能を示しています。彼は留学中には塑像だけではなく彫像も制作していましたが、日本には大理石がないため、帰国後にはもっぱら塑像だけを制作しています。彼の作品の同定がむつかしいのは、青銅彫刻は、鋳造する技師や台座の製作者との共同作品と考えられていたためと、長沼の控え目な性格とから、ほとんどの作品に彼の署名が入っていないことです。石井さんは、彫刻の注文を出した機関の文書に直接当たるなどの苦労を重ねて、彼の作品の同定を進めてきました。しかし、残念ながら戦争中に供出された作品も少なくないということです。

最大の発見は、台湾の鉄道建設の父・長谷川謹介座像(長沼の呼び方では腰掛像)の石膏原型の発見です。これは長沼の弟子であった和田嘉平治が戦争中に空襲を避けるため、東京から故郷の足利までリアカーでみずから運搬し、実家の蔵の中にこれまで保存されていたという感動的なエピソードに彩られていますい。彼の作品の価値がどれだけ高く評価され、彼が弟子にどれだけ愛されていたかを示すエピソードでしょう。

石井さん、未発表のデータを含む貴重なお話をありがとうございました。(橋都)

 

ルネサンスと古代ギリシャ彫刻 — 「ミケランジェロと理想の身体」展を見ながら (概要)

9月例会(459回) 

・日時:2018年9月3日 (月) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:飯塚 隆氏 (国立西洋美術館 主任研究員)

略歴:東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学、現在、国立西洋美術館主任研究員

専門は古代ギリシャ・ローマ考古学・美術史

国立西洋美術館での担当展覧会は、「大英博物館 古代ギリシャ展」(2011年)、「橋本コレクション 指輪展」(2014年)、「黄金伝説展」(2015年)

・演題:ルネサンスと古代ギリシャ彫刻 — 「ミケランジェロと理想の身体」展を見ながら

 

概要:現在国立西洋美術館で開催中の「ミケランジェロと理想の身体展」の出品作品を通して、ルネサンス美術が古代ギリシャ彫刻をどのように受容したのかを見ていきます。古代ギリシャ彫刻の様式の変遷に着目しつつ、いかにしてミケランジェロが古代彫刻のエッセンスを把握し、独自の表現を生み出しているのかを考えます。(飯塚)

 

 9月3日に開催された「イタリア研究会9月例会(第459回)」の報告です。

講師は国立西洋美術館主任研究員で古代ギリシャ・ローマ考古学・美術史がご専門の飯塚隆先生、現在(今月24日まで)国立西洋美術館で開催中の「ミケランジェロと理想の身体展」に因み、「ルネサンスと古代ギリシャ彫刻―“ミケランジェロと理想の身体展”―を見ながら」との演題でご講演を頂きました。冒頭の「今日は写真を沢山用意して来たので、耳で話を聴くよりも目で楽しんで下さい」とのお言葉通り、持ち時間(1時間半)の間を通して灯りを消し、終始スライドを駆使してのご講演となりました。先ず最初に取り上げられたのが1506年ローマで発見されたラオコーン像(ラオコーンはトロイアの王子でアポロンの神官。トロイア戦争の際木馬搬入に反対したため、アテナが送った2匹の大蛇に息子二人と共に絞め殺された。バチカン美術館蔵)。発掘にはミケランジェロも立ち会ったと言われているが、この古代彫刻の傑作は31歳だったミケランジェロを始めとするルネッサンスの芸術家に計り知れぬ衝撃を与えた。今回の展覧会にはヴィンチェンツォ・デ・ロッシによるラオコーンの大理石像(1584年頃、高さ約2m)と共にマルコ・ダ・ラヴェンナによるオリジナル作品の素描も展示されている。

次いでミケランジェロを頂点とするルネサンス美術の源である古代ギリシャ・ローマの彫刻について詳しく触れられた。ここでは男性美に大いに注目する必要があるが、それは古代ギリシャでは人体の理想像は男性の裸体彫刻を通して表現されたからである。今回の展覧会ではアスリートと戦士、子供と青年などの切り口で、古代ギリシャ・ローマとルネサンスに追求された男性美、理想の身体が紹介されている。ミケランジェロは彫刻、絵画、建築夫々の分野でずば抜けて優れた作品を残しているが、彼自身は自らを彫刻家と呼んだ。彼は当時から天才として欧州中に名を轟かせていたが、古代ギリシャ・ローマの伝統を吸収し、肉感ある「動き」と感情表現を取り入れたミケランジェロ独自の様式は、古代から追求されて来た「理想の身体」の到達点として多くの芸術家に影響を与えている。

今回の展覧会には世界に40点しか現存しないミケランジェロの大理石彫刻から傑作2点が初来日している。一点は「力強さと気品、躍動感と安らぎ、清らかさと色香」と紹介されている<ダヴィデ=アポロ>像(1530年頃。フィレンツエ・バルジェッロ国立美術館蔵)、もう一点は「幼さを残しながらも大人への成熟を予感させる肉体の生命力」と紹介されている<若き洗礼者ヨハネ>像(1495~96年スペイン「エルサルバドル聖堂財団法人」蔵)。こちらの作品は1930年代のスペイン内戦によって大きな被害を受けたが(“僅か14の石片”になってしまった言う)、その後の長く粘り強い修復の結果蘇ったものである。これら二つの作品は嘗てローマの同一人物が所有していたが、その後別れ別れとなり今回500年振りに国立西洋美術館で再会を果たした由。この2点の傑作に関し飯塚先生は様々な角度からの写真を用いて、その表情や容姿から発信されている美と情緒の「視点による微妙な違い」を詳しく解説されました。ご講演後は会場からの質問が多数出され時間切れになる程で、本展に対する出席者の関心の高さを伺わせました。極めて緻密かつ明快な構成の下ミケランジェロを始めとする最高の傑作を一同に招集し、企画された今回の「ミケランジェロと理想の身体」展は9月24日まで開催されています。飯塚先生からは皆さんに「この滅多にない機会に出来るだけ多くの方々に観て頂きたい」とのたってのご希望がありました。

飯塚先生、中身の濃い素晴らしいご講演どうも有難うございました。(猪瀬威雄)

アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)とルチャーノ・ファブロの作品について(概要)

8月例会(458回) 

・日時:2018年8月10日 (金) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:駒形 克哉氏 (造形作家)

 略歴:駒形 克哉 KOMAGATA Katsuya 美術作家。1959年東京生まれ。1985年多摩美術大学芸術学科卒業、1985年伊政府給費留学生と してミラノ・ブレラ美術学院絵画科、ルチアーノ・ファブロ教室留学,1990年卒業、2005年文化 庁芸術家研修員としてローマ大学留学。切り紙細工、テンペラ画、銅版画、オブジェ、インスタレーションなど。

【主な展覧会(2000年~)】2001「エターナルホワイト」展、ローマ日本文化会館(イタリア)、2005「グローバル・プレイヤーズ」横浜BankART1929,2006「グローバル・プレイヤーズ」ルートヴィヒ・フォーラム美術館、アーヒェン、ドイツ、2008「HYPNEROTOMACHIA」なびす画廊(東京) 、「DOMANI・明日」展2008(文化庁主催)国立新美術館(東京)「TOKYO LOCAL」展 香染美術( 東京- 以後'09,10)、2012「キラリユラリヒカリ展」多摩美術大学(東京)、2014「版画天国」なびす画廊(東京)、2015 東京国際ミニプリント・トリエンナーレ2015 多摩美術大学美術館(美術館賞受賞)2016 年「80's 展- 享楽と根源」+Y Gallery(大阪)、「版画天国」なびす画廊(東京)、 2017「駒形克哉旧作展」HIGURE(東京) 2018 アートフェア「AiPHT2018」(東京/+Y Galleryより出品)

・演題:アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)とルチャーノ・ファブロの作品について

 

   概要:1967年に、イタリアで始まったアルテポーヴェラ(貧しい芸術)という芸術運動と、そのなかの代表的な一人の芸術家ルチャーノ・ファブロに焦点をあてて簡単に解説したいと思います。(駒形)

 

イタリア研究会第458回例会が開かれました。講師は2度に亘るイタリア留学体験を持つ美術作家の駒形克哉さん、演題名は「アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)とルチャーノ・ファブロの作品について」でした。

アルテ・ポーヴェラとは1967年にイタリアのジェノヴァで始まった芸術運動で、表現の複雑さを拒絶し、概念と体験とを一致させることを目指す結果として、技法は限りなく無に近づき、「もの」それ自体を提示することになります。その代表的な作家であり、駒形さんの留学先の教室の教授であったルチャーノ・ファブロが第1回のアルテ・ポーヴェラ展に提出した「作品」は、「もの」ですらなく、画廊の入口の床を磨き上げ、その部分を新聞紙でカバーするという「行為」だったそうです。別の作家ですが、画廊に生きた馬12頭を連れ込んで、観客に馬の存在をその排泄物の臭いも含めて体験させるという「作品」もあったそうです。

しかしファブロの作品もそのキャリアの中で変化を見せ、後期には自分自身の死を意識した彫刻作品や、イタリアの国土の模型を処刑されたごとく吊した作品、チェルノブイリに啓発された理性への疑問を感じさせる作品なども作成しています。しかし一貫しているのは空間に対する意識、死と生に対する感受性で、駒形さんは彼の作品には、イコンや洗礼といったカトリック信仰と繋がるものを感じると指摘していました。このアルテ・ポーヴェラは日本の美術作家たちにも大きな影響を与え、イタリアでも再評価され、最近も回顧展が行われているということです。講演後の質問では、アルテ・ポーヴェラの作家たちとルーチョ・フォンタナとの関係を問うものから、これらの作品のどこに美があるのかという率直なものまで、大いに盛り上がりました。駒形さん、ありがとうございました。(橋都)

 

文化交流の本当の意義:能楽から見た世界(概要)

7月例会(457回) 

・日時:2018年7月27日 (金) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:宝生 和英氏 (能楽師)

略歴:1986年東京生まれ。1991年能「西王母」子方にて初舞台。2008年に宝生流第20代宗家を継承。

一子相伝曲「弱法師雙調ノ舞」「安宅延年の舞」などを多数披く。伝統的な公演を基本に、現代社会においての能楽の価値を創造し提案をする。

海外ではイタリア、香港にて活動。能楽を活用したアートマネジメントを展開している。

これまでにミラノ万博、トリエンナーレ万博に参加。ジャパンオルフェオ、ミラノスカラ座シンポジウムなど日伊国交樹立150周年事業に多数参加。

2016年には文化庁より東アジア文化交流使に任命され、香港に赴任し、毎年香港大学との交流事業を展開。2017年には日本バチカン国交樹立75周年バチカン勧進能を制作・主演。2018年ローマ・フィレンツェにて公演。

・演題:文化交流の本当の意義~能楽から見た世界~

概要:国をはじめ、社会で声高に叫ばれています従来の文化交流に関して、 

一度冷静になってその問題点や本来の活用方法を私の経験や能楽の歴史からご紹介をしたいと思います。(宝生 )

 

イタリア研究会第457回例会が開かれました。講師は宝生宗家家元の宝生和英さん、演題は「文化交流の本当の意義:能楽から見た世界」でした。宝生さんは22歳で家元となり、映像を駆使した新しい企画も数多く手掛けています。2015年のミラノ万博以降、毎年のようにイタリア公演を行っており、その中で見えてきた能楽の問題点、海外公演の問題点、能楽とは何なのかという基本的な考察を披露してくれました。

2015年のミラノ万博は、ジャパンデーでの出演だったのですが、何とポピュラーアーティストとの協演で、トリはきゃりーぱみゅぱみゅ、ほとんどのイタリア人が彼女目当てで来場していました。宝生さんは能楽がエンターテイメントとしか捉えられていないことにショックを受けて、みずからイタリア公演を行うことを決意したのです。なぜ能楽への理解が深いと考えられるフランスではなくイタリアかというと、能楽へのある種の思い込みがあるフランスよりもイタリアに可能性があると考えたからだそうです。そして2016年のトリエンナーレ以降、ヴィツェンツァのテアトロ・オリンピコ公演、バチカンでの勧進能の奉納などを成功させる中で、多くの問題点も見えてきました。

海外公演を行うには、文化庁の海外公演助成を受けるのが王道なのですが、これは提出書類が膨大なだけではなく、各国の事情を全く考慮していない官僚的な制度で、しかも外国との年度の違いによって申請がうまく行かないなど多くの問題点を抱えています。またこれまでも能楽の海外公演は行われてきましたが、その効果の検証は行われず、フィードバックもされていませんでした。宝生さんはこれからも地道にイタリア公演を続けることによって、その効果にもコミットしたいと考えています。

能楽には長い歴史がありますが、じつは極めてフレキシブルな芸能で、その時代に応じて価値や役割を変えてきています。そもそも現在のような形の能楽堂で演じられるようになったのは明治以降であり、能楽師は能楽堂でも、座敷でも、神社仏閣でも演じられるように訓練されているので、テアトロ・オリンピコはもちろんのこと、バチカンやピッティ宮殿での公演にも全く問題はなかったという事です。宝生さんは、人と人との繋がりを大事にしつつ、企業との関係も単に不特定多数の観客を相手にする公演への財政支援だけではない関係を築きたいと試行錯誤を重ねています。宝生さんの今後の活躍に期待したいと思います。宝生さん、興味深いお話をありがとうございました。(橋都) 

記録を守り、記憶を伝えるイタリア(概要)

6月例会(456回) 

・日時:2018年6月21日 (木) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:湯上 良(ユガミ・リョウ)氏(学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻 助教)

略歴:東京外国語大学トルコ語専攻を卒業、(株)日本電気勤務の後、2002年よりヴェネツィア大学に入学。2005年度イタリア政府奨学金留学生、同大で学士号・修士号取得後、2015年にヴェネツィア共和国の税制と情報管理に関する博士論文で史学博士号を取得した。2015年から2018年3月まで国文学研究資料館でマレガ・プロジェクトに従事し、2018年4月より学習院大学助教を務める。訳書にM. インフェリーゼ『禁書』(2017年)、M. B. ベルティーニ『アーカイブとは何か』(2012年、ともに法政大学出版局)。

・演題:記録を守り、記憶を伝えるイタリア

 

概要:公文書改ざん、日報問題、消えた年金等、公文書管理法が制定されてもなお、日本ではさまざまな形で文書にまつわる問題が起こっています。「水に流す」という言葉がありますが、こうした事件が起きるのは、果たして日本が特殊な国だからなのでしょうか。イタリアは、さまざまな文化財の保護に力を入れていることが知られていますが、実は「文書」も「アーカイブズ財」と呼ばれ、文化財の一部として手厚く保護しているのです。イタリアは、隠れた「アーカイブズ大国」と言ってもいいかもしれません。かつて日本が学んだ他のヨーロッパ諸国の様子も交えながら、記録を守り、記憶を伝えることについてご一緒に考える時間がもてればと思います。(湯上)

 

イタリア研究会第456回例会が行われました。講師は学習院大学大学院アーカイブズ学専攻助教の湯上良さん、演題は「記録を守り、記憶を伝えるイタリア」です。昨今、公文書の改ざんが問題になっていますが、各都市に文書館が整備されているイタリアの事情はどうなのか、たいへん地味な話題と言ってもよいと思いますが、おおぜいの聴衆が集まりました。

イタリアでは憲法によって「国にとって重要な歴史・芸術遺産や景観を保護する」と謳われており、そこには図書や文書も含まれています。しかし歴史的に文書保護が順調に経過してきているわけではありません。共和国成立で各地・各都市に保存されていた文書が中央に集められた結果、スペースの制約のために大量の文書が廃棄されたこともありました。また水害や地震で多くの文書が損害を受けたこともありました。現在はおよそ2州に1機関の割で文書・図書保護局が設置され、国防省警察には文化財保護専門部隊も作られています。

日本と一番大きく異なるのは文書管理の人材育成でしょう。イタリアでは18世紀末から文書の解読と管理を専門とするアーキビストが養成されてきました。1963年には「アーカイブズ法」が制定され、現在は全国17校の古文書学校でアーキビストが養成されています。文書の保存と公開のシステムの構築には、文書を作成する官僚とアーキビストとの共同作業が必要です。日本でも国家資格を持った専門職としてのアーキビストの養成が望まれる所です。湯上さんは文書の保存と公開は国民の権利であり、勝ち取らなければ得ることはできないという言葉で講演を終わりましたが、その通りだと思います。

講演後には多くの質問が出て、皆さんの関心の高さがよく分かりました。湯上さんありがとうございました。(橋都)

 

イタリアでの設計活動を通して(概要)

5月例会(455回) 

・日時:2018年5月22日 (火) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:渡邉 泰男氏(建築家)

略歴:1941年    東京生まれ

1966年       千葉大学工学部建築学科卒業

1966〜1970年  槙総合計画事務所勤務(東京)

1971年       イタリア政府給費留学生としてローマ大学に留学

1972〜1975年  ジャンカルロ・デ・カルロ事務所勤務(ミラノ)

1976〜1978年  東京理科大学工学部建築学科講師

1978年〜      イタリア人3人とペザロにINTERSTUDIOを共同設立

1994〜2005年  千葉大学工学部建築学科非常勤講師

1997〜2001年  「Italia in Giappone 2001」の専門委員会メンバー

1998年〜      フィレンツエのデル・ビアンコ財団の専門委員会メンバー

2006〜2013年  東北文化学園大学環境技術学科客員教授

主要作品

—在イタリア日本国大使公邸(イタリア・ローマ)

—健康科学大学(日本・河口湖)

—カトリック教会(イタリア・ウルビノ)

—在フランス日本国大使公邸改装(フランス・パリ)

—日本庭園(イタリア・トリノ)他多数

著書

—イタリアに於ける学校建築  (SD)

—イタリアに住み、創造する(Edizione De Luca)

—線を通しての日本建築の特質(Longo Editore)他多数

受賞歴

−1990 INARCH賞(INARCH= INSTITUTO NAZIONALE DI ARCHITETTURA)

—ペザロスポーツセンターに対するイタリア鉄鋼協会賞

・演題:イタリアでの設計活動を通して(Attraverso l’attività professionale in Italia)

 

概要:設計活動の中心舞台をイタリアに移してから、この半世紀の間、イタリアを含め多くの国で、種々のタイプの建築の設計に携わってきました。今まで手がけた数多くの作品の中から、それぞれに設計条件の異なる4つの代表的作品を選び、それらが建つ場所の歴史的背景、文脈、環境などを考慮しながら、その設計と建設のプロセスがどのように展開していったかをエピソードなども交えながらお話できればと思っています。 (渡邉)

 

イタリア研究会第455回例会が開かれました。

講師は50年以上にわたってイタリアで設計活動を行っておられる建築家の渡邊康男さん、演題名は「イタリアでの設計活動を通して」でした。

渡邊さんは千葉大学卒業後に槇文彦事務所に勤めましたが、広場や都市と有機的に結合しているイタリアの建築に強い関心を抱き、1971年にイタリア政府給費留学生としてローマ大学に留学しました。その時に師となるジャンカルロ・デ・カルロと出会い、卒業後は彼の事務所で働くことになりました。そこでウルビーノの街における歴史的街区を保存しながらの再開発に関わったのをきっかけに、さらにイタリアの街と建築とに深く魅了され、イタリア人の友人3人と設計事務所を立ち上げ現在に至っています。

渡邊さんは自分が関わった4つのプロジェクトを示しながら、イタリアで設計を行うとはどういう事かを話してくれました。1。マルケ州ノヴィラーラの歴史的街区にある家の改修。様々な規制のある中で、住みやすく美しい家を完成。2。ローマの在イタリア日本国大使公邸。古い家を日本政府が購入し、外観を守りながら大使公邸にふさわしい内装を設計。3。ウルビーノ郊外の教会。全く新しい教会をカトリックの典礼や街の景観との調和を考えながら設計、資金不足から着工25年後も建設が進行中。4。ペーザロのスポーツセンター。スポーツだけではなく、コンサートや政治集会も開かれる巨大建造物を、ホタテ貝をモチーフとした屋根に被われた形として景観規制とのせめぎあいの中で設計。渡邊さんは、最後にイタリアでは計画よりも遅れるのは日常茶飯事だが、技術力もある。建築家は何よりも常に歴史の中で自分が置かれた立場を意識しながら設計活動を行わなければならないことを強調されました。

渡邊さん、ありがとうございました。(橋都)

 

イタリア政治の行方(概要)

4月例会(454回) 

・日時:2018年4月11日 (水) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:福島良典氏(毎日新聞 オピニオングループ編集委員)

   略歴:1963年 埼玉県生まれ

1986年 早稲田大学第1文学部フランス文学科卒業

1986年 毎日新聞入社

1986~1995年 秋田・宇都宮支局、外信部、政治部

1995~1999年 エルサレム支局長

2001~2005年 パリ支局長

2008~2011年 ブリュッセル支局長

2012~2017年 ローマ支局長

2017年‐ オピニオングループ編集委員

・演題:イタリア政治の行方

 

   概要:3月4日のイタリア総選挙でポピュリスト勢力の「五つ星運動」や「同盟」が躍進しました。左右の伝統政党は振るわず、不安定な政治が続きそうです。トランプ米政権の誕生など他の欧米諸国で起きている出来事との共通点は? また、どこが違うのでしょうか。カトリック教会とイタリア政治の関係を交えてお話できればと思っています。(福島良典)

 

第454回イタリア研究会例会が開かれました。演題名は「イタリア政治の行方」、講師は毎日新聞オピニオングループ編集委員の福島良典さんで、ヨーロッパ各地の支局長を務めた後、2012年から2017年の間はローマ支局長を務めたイタリア通です。

ご存じのようにイタリアではレンツィ首相が憲法改正を目指して国民投票を行いましたが、それが否決され3月4日に総選挙が行われました。結果は上院・下院ともに議席が中道右派連合、五つ星運動、中道左派連合によって三分割されてしまい、組閣ができない状況に陥っています。福島さんはイタリアの政治に特徴的なのは中央と地方、聖と俗といった対立軸が憲著で、それが大きな影響を与えていること、共和国の成立においてパルチザンなど左派の力が強く働き、その影響がまだ残っていることを挙げました。そして近現代史においては日本と似た点が多く、日本人としてもイタリアの今後の政治の方向には目が離せないことを強調されました。

さてこれからイタリア政治がどこに向かうのか、まずはどのような形で組閣が行われるのかに注目が集まっています。可能性のあるシナリオはいくつもあるのですが、福島さんの読みでは、「五つ星」と「同盟」の連立、「五つ星」と中道左派の連立、かつてのモンティ政権のような実務者内閣、という3つの可能性があり、中でも前の二つの可能性が高く、「五つ星」が鍵を握っていると考えられるという事です。今後の組閣のキーパーソンはマッタレッラ大統領で、彼が近々各党とのネゴシエーションを行う予定になっており、まもなく組閣が行われるかもしれないと言うことです。各党の政策を見てみると、移民政策に関してはそれほど大きな違いが無く、EUに対する態度の違いが論点となっていることから、今後のイタリアの政局がヨーロッパ情勢にも大きな影響を与える可能性があるという事でした。

講演の後には多くの質問があり、「五つ星」を単なるポピュリスト政党として良いのか、という質問に関しては、ポピュリストと呼ばれている各国の政党にも大きな幅があり、「五つ星」は世界中で起こっている反既成政党、反国民国家という大きな流れの一つであり、人気取り政策だけを主張するという意味でのポピュリスト政党と考えるべきではないということでした。福島さん、分かりやすく面白いお話をありがとうございました。(橋都浩平)

 

 

お行儀作法のルネサンス(概要)

3月例会(453回) 

・日時:2018年3月23日 (金) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:栗原俊秀氏(翻訳家)

   略歴:1983年生まれ。翻訳家。京都大学大学院修士課程を終了後、イタリア留学。カラブリア文学部専門課程近代文献学コース卒業。2016年、カルミネ・アバーテ『偉大なる時のモザイク』(未知谷)の翻訳で、須賀敦子翻訳賞を受賞。

・演題:お行儀作法のルネサンス 

   概要:現代日本の書店には、お行儀作法について説くマニュアル本が数多く積まれています。じつは、この手の書物の源流を訪ねてみると、16世紀のイタリアにたどりつくのです。当時のヨーロッパの一大ベストセラー『宮廷人』を紹介しながら、ルネサンスのお行儀作法について考えてみたいと思います。

(栗原俊秀)

 

 

イタリア研究会第453回例会が開かれました。講師はイタリア研究会運営委員でもある翻訳家の栗原俊秀さん、演題名は「お行儀作法のルネサンス」です。

1528年に当時教皇庁マドリード駐在大使であったバルダッサッレ・カスティリオーネが書いた「宮廷人」が出版され、大ベストセラーとなりました。じつはそれまでにカスティリオーネは何年も掛けてこの作品の推敲を重ねており、そのためこの本の写本がイタリアのみならずヨーロッパ中に出回ってしまっていました。それに業を煮やした著者が出版に踏み切ったというのが本当のところのようです。

ラファエロの肖像画で有名なカスティリオーネはマントヴァ出身の当時有名な宮廷人・文化人・政治家でした。当時のイタリアは各地に都市国家がありそれぞれに宮廷が存在していましたが、そこで活躍する「完璧な宮廷人」はどうあるべきかを描いたのがこの本です。英語の“gentleman”の語源ともなった“gentiluomo”が身につけ、周囲から賞賛を受けるための立ち居振る舞いがどうあるべきかは、当時の国際的なヨーロッパ政界・社交界において、重大な関心事だったのです。

 

栗原さんはこの著書を読み解きながら、宮廷人らしさの基本は“grazia”にあり、そのためにはできる限りわざとらしさを避け、さりげなさをもって行動する事が重要だとされている事、そうした記述はオウィディウスを初めとした、古代作家の記述にも含まれており、カスティリオーネがそうした記述を引用しながら、古代作家の得意とした対話スタイルで記述している事を指摘しました。また重要なポイントとして、この本が当時イタリアの文化人の間で行われていた言語(国語)論争の影響を受けている事にも注意を喚起します。標準イタリア語が成立していなかった当時、どの言語を語りどの言語で記述するかは重大な問題だったのです。ヴェネツィア出身の有名な人文学者ピエトロ・ベンボが14世紀のトスカーナ古語を至上としたのに対して、カスティリオーネは現代トスカーナ語を使用する事の妥当性を主張したのです。その他にも、女性のお化粧の仕方に関しての、現代にも通じる記述や、明らかにこの本を意識していると思われる、宮廷人になりたがっている愚かな男を主人公とした当時の喜劇の話など、楽しいお話も満載でした。

この本がその後イタリアで読み継がれ続けたのかどうかという質問に対しては、イタリアでは古典として読まれ、むしろ他のヨーロッパにおいて実際の指南書としての価値を持ち続け、影響が大きかったという答えでした。栗原さん、興味深いお話をありがとうございました。(橋都 浩平) 

イタリアでかっぽれ(概要)

2月例会(452回) 

・日時:2018年2月19日 (月) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:鈴木正文氏 (鈴乃家流かっぽれ家元 鈴乃家梅奴(すずのや うめやっこ))

   略歴:1943年、浅草生まれ。

イタリア 国立Perugia外国人大学 初等科卒業 国立Firenze大学経済学部観光経済学科卒業

イタリアより帰国後、即「イタリア政府観光局 東京支局」局長より入局を勧められる。広報、旅行代理店等担当。

学生時代に人形町の寄席「末広」で噺家が落語を終え、「それでは、踊りを披露いたします」といい、化粧や鬘など無い姿で端唄の「奴さん」「深川」などを踊るこの「間」、この「粋さ」に感動を覚える。かっぽれへの興味は母の稼業が浅草の花街で「料亭」でしてたので20歳ころからあったが、踊りを習い始めたのは25歳ころより。師匠は初代櫻川ぴん助。

現在は、弟子への指導、自主公演会開催、ボランティア出演など活動中。

・演題:イタリアでかっぽれ 

   概要:

1)かっぽれとは、発祥の謎

発祥の定説は大阪住吉大社の「住吉踊り」

これが江戸に来て、大道芸、歌舞伎にもなり、噺家や幇間が踊る。

2)私とイタリア

学生旅行でイタリアへ初めて行き、そこでイタリアが持つ観光資源の底力に驚愕。

イタリアの大学で「観光産業を大切にする国で習う観光学」を体験。

3)私とかっぽれ

母の稼業は浅草花街の料亭。我が家に芸者や幇間が出入り。

人形町にあった寄席の「末広」で噺家の口演後の「余芸としての端唄舞(はうたまい)ー深川、奴さんー」に。「これは粋だ!」と衝撃を受ける。

4)イタリアでかっぽれ

明るい性格を持つイタリア人に日本の伝統芸を紹介したかった。昨年の講演は「江戸時代、江戸文化」を強調。 

5)実演・かっぽれ  お楽しみ。

(鈴木正文) 

 

イタリア研究会第452回例会が開かれました。講師は鈴木正文さん、演題名は「イタリアでかっぽれ」です。この題名に「?」となった方も多いかもしれません。なぜこの2つが結びついたかについてから、講演は始まりました。

鈴木さんは学生時代の旅行でアルプスの北からヴェネツィアに出た時に、空の明るさと街の美しさとに生涯忘れられない感動を覚えて、イタリア留学を決意しました。ペルージア外国人大学を経てフィレンツェ大学の観光経済学科を卒業し、帰国後イタリア政府観光局に職を得ました。その後はマスコミや旅行代理店に同行して数え切れないほどイタリアに行っています。一方、鈴木さんのご実家は浅草の待合で、しょっちゅう芸者さんや幇間さんが出入りしており、お座敷芸が身近だったそうです。ある時、人形町の寄席で、噺家が落語の後に端唄舞の「奴さん」を踊るのを見て、その粋に魅せられて端唄舞のかっぽれを志すようになりました。当時の名人であった櫻川ぴん助師匠に弟子入りして修行を重ね、現在は鈴乃家かっぽれ家元鈴乃家梅奴となっています。

乗りの良いイタリア人にかっぽれが受け入れられるのではないかと考えた鈴木さんは、かっぽれを手がかりとして、現在の日本文化の源流となっている江戸文化を広めるために、イタリアで江戸文化の講演とかっぽれの公演を続けています。昨年はナポリ、シチリアのパレルモ、カルタジローネで公演を行い、大いに受けたそうです。また鈴木さんは、かっぽれの起源を求めて日本各地の関連する芸能を訪ね歩いています。かっぽれの起源は、大阪の住吉大社の豊年の舞であった住吉踊りにあり、それがお伊勢参りなどによって江戸に伝わり、他の芸能の影響も受けながら大道芸として定着しました。それがさらに歌舞伎や噺家に取り込まれて、現在のかっぽれとなっているようです。最後に鈴乃家梅奴師匠のかっぽれが披露されましたが、その着物姿の美しさと所作の粋とに聴衆は魅せられました。鈴木さん、面白いお話をありがとうございました。(橋都 浩平)