長沼守敬研究の成果と課題:新発見の作品を中心に(概要)

10月例会(460回) 

・日時:2018年10月8日 (月) 19:00-21:00

・場所:東京文化会館 4F大会議室

・講師:石井 元章氏 (大阪芸術大学教授)

略歴:石井元章(いしいもとあき)

1957年群馬県生まれ。1983年東京大学法学部卒業、1987年東京大学文学部イタリア語イタリア文学科卒業。1997年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了(文学博士)。2001年ピサ高等師範学校大学院文哲学コース修了(文学博士)。現在大阪芸術大学教授。専門はルネサンス期イタリア彫刻、明治期日伊交流史。

著書:『ヴェネツィアと日本 -美術をめぐる交流』ブリュッケ、東京 1999年;

『ルネサンスの彫刻 15・16世紀のイタリア』ブリュッケ、東京 2001年、2007年;

Venezia e il Giappone - Studi sugli scambi culturali nella seconda metà dell’Ottocento, Istituto Nazionale di Archeologia e Storia dell’Arte, Roma 2004年;『明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得』吉川弘文館、東京2017年

主要論文:「アントーニオ・ロンバルドの古代受容」『美術史』141(1996)、pp.92-118;"Antonio Lombardo e l'antico: qualche riflessione", Arte Veneta, 51(1998), pp.6-19;「ミケランジェロの古代受容」『藝術文化研究』10(2006.3)pp.115-152;「啓示としての洗礼 トゥッリオ・ロンバルド作《ヴェネツィア総督ジョヴァンニ・モチェニーゴ記念碑》に関する一考察」『西洋美術研究』13(2007.7), pp.229-248;“Battesimo come Illuminazione - Qualche riflessione sul monumento del doge Giovanni Mocenigo di Tullio Lombardo”, a cura di Matteo Ceriana, Tullio Lombardo – scultore e architetto nella Venezia del Rinascimento Atti del Convegno di studi, 

Venezia, Fondazione Giorgio Cini, 4-6 aprile 2006, Cierre, Verona 2007.10, pp. 99-115;“La metamorfosi d’ippocampo: l’antico in Antonio Lombardo e in Jacopo Alari-Bonacolsi detto l’Antico”, a cura di Victoria Avery e Matteo Ceriana, L’Industria artistica del bronzo del 

Rinascimento a Venezia e nell’Italia settentrionale, Atti del Convegno Internazionale di Studi, (23-24 ottobre 2007), Scripta edizioni, Verona 2009.12, pp.135-156;「海馬の変容 古代、アンティーコとアントニオ・ロンバルド」『美術史』168 (2010.3), pp.308-322;「ヴェネツィア共和国における彫刻の変遷」『芸術』38 (2015.12), pp. 29 - 37など。

・演題:長沼守敬研究の成果と課題  新発見の作品を中心に

 

 概要:『明治期のイタリア留学』では主だった4人を中心に1880年代にイタリアに留学した日本人留学生に焦点を当てた。その中で川村清雄に関しては、2年か3年後にヴェネツィア近代美術館と日本で本研究に基づいた展覧会を開催することがほぼ決まった。また、長沼守敬についてはその後の調査研究で新たな作品が18点見つかり、現在モノグラフを現在執筆中である。今回は最近の研究で明らかになった点や、新発見の長沼作品について、それを紹介すると共に、発見の経緯などについてもお話したい。(石井)

 

 第460回例会が開かれました。講師は大阪芸術大学教授の石井元章さん、演題名は「長沼守敬研究の成果と課題:新発見の作品を中心に」でした。

石井さんはもともとルネサンス期イタリア彫刻の研究がご専門ですが、最近は明治期にイタリアに留学した留学生たちの研究にも力を入れています。昨年は「明治期のイタリア留学:文化受容と語学習得」という本を出版されましたが、その中の一つの章を彫刻家の長沼守敬に充てています。石井さんは、長沼の研究を続けてきた方の高齢化、長沼の子孫が亡くなるなどの出来事に刺激され、彼の業績を保存し顕彰することを最重要なテーマとして研究を続けています。今回は前回の出版以降の研究の進展について話をされました。

長沼は岩手の出身で、イタリアに渡ったのは芸術を勉強するためではなく、イタリア語を身につけるためでした。ところが他の留学生たちに刺激を受け、あえて彫刻を学ぶことにしたのです。ですから何の修練も受けてはいなかったのだと思いますが、才能があったのでしょう、ヴェネツィア美術院の秘書官が特別に彼の名前を挙げて賞賛するほどの技量を示したのです。当時の作品のほとんどは写真が残っているだけですが、彼の驚くべき才能を示しています。彼は留学中には塑像だけではなく彫像も制作していましたが、日本には大理石がないため、帰国後にはもっぱら塑像だけを制作しています。彼の作品の同定がむつかしいのは、青銅彫刻は、鋳造する技師や台座の製作者との共同作品と考えられていたためと、長沼の控え目な性格とから、ほとんどの作品に彼の署名が入っていないことです。石井さんは、彫刻の注文を出した機関の文書に直接当たるなどの苦労を重ねて、彼の作品の同定を進めてきました。しかし、残念ながら戦争中に供出された作品も少なくないということです。

最大の発見は、台湾の鉄道建設の父・長谷川謹介座像(長沼の呼び方では腰掛像)の石膏原型の発見です。これは長沼の弟子であった和田嘉平治が戦争中に空襲を避けるため、東京から故郷の足利までリアカーでみずから運搬し、実家の蔵の中にこれまで保存されていたという感動的なエピソードに彩られていますい。彼の作品の価値がどれだけ高く評価され、彼が弟子にどれだけ愛されていたかを示すエピソードでしょう。

石井さん、未発表のデータを含む貴重なお話をありがとうございました。(橋都)