デューラーとイタリア(概要)

408回例会

・日時:2014年6月11日(金)19:00-21:00

・場所:南青山会館2F大会議室

・講師:秋山 聰(あきら) 東京大学文学部教授

 

 イタリア研究会第408回例会が開かれました。演題は「デューラーとイタリア」,講師は東京大学大学院人文社会系研究科教授の秋山聰(あきら)先生です.秋山先生はデューラー研究の日本の第一人者で,多くの賞を受賞されています。デューラーは若い頃の修業時代と,ある程度の名声を得てからの2度,ヴェネツィアを中心として,イタリアを訪れています。秋山先生は1505年から1507年にかけての2度目のイタリア旅行を中心として話を進めました。そのお話のひとつのテーマが,デューラーの描いた“蠅”です.デューラーはこのイタリア滞在中の1506年にヴェネツィアの教会に祭壇画「ロザリオの祝祭」を描きました。この絵の中には,デューラーの自画像とともに,聖母子の膝の部分に,なんと蠅が描かれていました(その後の修復で消失)。秋山先生は,この蠅が単なるテクニックの誇示や,観客を楽しませるためのだまし絵ではなく,デューラーの自意識の表れではないかとの考えを述べられました。そしてデューラーが自分の早描きの能力を誇示するような作品を残している事とその絵の中のラテン語碑銘の文体を考慮すると,遅描きで有名であったため,古代の画家の中では遅筆で有名であったプロトゲネスに擬されたレオナルド・ダ・ヴィンチに対する対抗意識をデューラーは持っていたのではないかという説を提示されました。そうするとデューラーは,同じく古代の画家の中では速筆で有名であったアペレスに自らを擬していた可能性があります。そう考えると,デューラーは天才的なデッサン力だけではなく,プロモーターとしても高い能力を持っていた事になります。それを強調しすぎると,デューラーが嫌みな人間に思われてしまいますが,当時の画家は,職人であると同時にプロデューサーでもあったことを忘れると,芸術というものを誤解する可能性がある事を,秋山先生は強調されたました。秋山先生,大変面白いお話をありがとうございました。 (橋都)