イタリア精神医療の光と影

第309回 イタリア研究会 2006-01-19

イタリア精神医療の光と影

報告者:慶応大学医学部講師 水野 雅文


第309回イタリア研究会(2006年1月19日)

講師:水野雅文先生(慶応大学医学部講師)

演題:『イタリア精神医療の光と影』


司会  みなさんこんばんは。イタリア研究会事務局の橋都です。それでは、1月のイタリア研究会の例会を始めたいと思います。今日は、昨年この会でも講演していただきましたけど、イタリアの「輝ける青春」という6時間の映画がありましたけれど、あの中でも非常に大きなテーマとなっていたイタリアの精神医療の大改革、大変革といいますかね。バザーリアという方が精神病棟の開放を、現在では精神病棟はないという世界でもまれな精神医療を行っているわけです。

 今日は慶応大学の精神神経科の講師の水野雅文先生に、このイタリアの精神医療の光と影ということでお話をしていただきます。

 水野先生をご紹介申し上げますと、1986年、慶応技術大学の医学部のご卒業で、大学院終了後に、1993年から95年、イタリア政府給費留学生として、パドヴァ大学の心理学科に留学され、ビジティングプロフェッサーとして研究をされて、現在に至っておられます。日伊医学協会の幹事をしておられるということで、医学でイタリアに留学されている方はそれほど数が多くないのですが、その中の大変なホープ、という先生です。

 それでは、水野先生、よろしくお願いします。


水野  水野でございます。こんばんは。ご丁寧なご紹介をありがとうございました。私は実は8年ほど前に、この会でほとんど同じような内容の話をさせていただきましたものですから、今日は多々良さんから「輝ける青春」のご紹介をいただいた後、精神科は非常に関係があるので、この会でお話をというお話をいただきましたときにも、ちょっと前もお話して、次に新しく加えられることがどのくらいあるかなと思って、心配しながら来たような次第でございます。今日の会の中には、前に私もこの会に聴衆で来させていただきましたときに存じ上げている方がたくさんいらっしゃるので、ご無沙汰申し上げておりますというような感じもございます、今日は今橋都先生からご紹介がありましたイタリアの精神科医療の光と影ということでございますが、どうも日本ではわりと光の部分の紹介が非常に多いものですから、それは精神医療そのものが、ともするとどちらかというと暗めのイメージがいつも付きまとうものですから、大変いいことではあるのですが、しかし、もともとが非常に込み入った問題を扱う分野なものですから、そうそう光の部分ばかりというわけにはいかないというのが現実でございます。

イタリアも今ご紹介がありましたように、精神科病床がないという形にはなっているのですが、それは精神病院がないということですけれども、実際には、後でお話しますけれども、違う名前で同じようなものがあるというところがいかにもイタリアらしいと言わざるをえないところもございます。

そういったことを今日これからお話していきたいと思うのですが、これは最初に「輝ける青春」の映画の、これはホームページから借りてきたといいますから、持ってきてしまったものなのですが、だいたい皆さんはこの映画はごらんになってらっしゃる方が多いわけですね。私は夏の終わりに見たのですが、ちょっと長くて、途中で誰が精神科医だったのか、先ほどもそれを思い出すのに苦労したという状況でございます。少し皆さんも復習していただくというのがいいのかなと。だいたい思い出していただけると思うのですが、ニコラという方が医学生時代に、当時あった精神病院ですね、これ1970年くらいでしょうか。彼らが学生だった頃。もう少し前。60年代。


司会  60年代。フィレンチェの水害が出てきました。


水野  そうですか。その更に前ですか。そのときにこの真ん中の段の女の子、ジョルジアですね。このジョルジアに病院実習をしながら、話しかけているところでございます。そのときに、いろいろな事情があるわけです。今日後でいくつかというか、実はたくさん、おそらく皆さんも精神科の当時のこのなぜバザーリアが精神病院を閉鎖しようと思ったか。その前の精神病院、今は日本にもそのような医療はほとんどございませんし、写真としてお見せするのがいかがかなと思う部分も若干無きにしも非ずですが、ノンディメンティカーレというタイトルの写真集なのですね。一般に出ているものでございますので、ノンディメンティカーレという文字通りの部分で、その画面もお付き合いいただければと。

 精神科ということで、何をイメージしていただこうかなと思ったのですが、これムンクの絵でございます。これイタリアの精神医学と全く関係ないのですが、今日話題にします部分は、映画でもございましたように精神科の医療サービスの中でも、言ってみれば非常に重いというか、何をもって重いというかこれも難しいところでございますが、長期に入院を要した方、あるいはなかなか一般の社会生活は営みづらい方を対象とした精神科医療ということでございます。

後でお示しできるかどうかわかりませんが、現在は日本も精神科が非常にポピュラーになってまいりまして、例えば、私が医師になった20年前は、精神科病院に勤務したときに、冬のこういう気候の安定した時期というのは、病状も皆さんすごくよくて、私が勤めていた800人900人も入院患者さんのいるような病院でも、冬はほとんど物音一つしない静かな病院に変わってしまいまして、当時は医者も少なかった、精神科医も少なくて、どこにそんな何百人もの人が、いったいどういうふうにして暮らしているのだろうと思うようなときがありました。自分自身もここで冬を越して、そして一体将来どうなるんだろうなと思うくらいですね。とにかく患者さん来ないのですね。外来患者さんが来ない。だから、患者さんも静かなのですね。一体どうなってしまうのだろうと思うような部分もあったくらいな時代でございました。当然開業どころの時代ではなかったのですけれども、一転この20年後、皆さんもご存知のように、メンタルクリニックというのが非常に増えまして、都内の電車の駅には必ずすべてもう埋まっておりますし、1つの駅の前に何軒も精神科クリニックがあるというふうに、非常に欝を中心として、メンタルクリニックというのはかかりやすい、誰もが相談しやすい状況がだんだん作られてきています。

しかし一方では、長く病院に入院していらっしゃる方にとって、本当に生活しやすい町ができあがっているかとか、そういうサービスが作られているかどうかというと、なかなか難しいものがまだこの東京でもあると思います。

今日はそういう意味ではその重い病状をめぐる話だということでご理解いただきたいと思いまして、その典型的なその中の最も代表的な病気が、統合失調症という病気でございます。統合失調症の1番中心的なというか、目に付きやすい症状の1つが、ここに患者さんらしき人が耳を押さえています。幻聴という症状がございまして、あらぬ声が聞こえてくるということで、またその内容がいいことを言ってきてくれるといいわけなのですが、ところがなかなかやはり悪いこと、批判的なこと、そんな声が聞こえてくるものですから、ご本人にとっては大変苦痛なわけでございますね。それが長期にわたって聞こえてくる。非常にまたそれがリアルな音といいますか、声なものですから、ご本人にとっては現実の、私の今この声が皆さんに聞こえてらっしゃるのと、全く同じように聞こえるものですから、それが病気のせいであるというところ、つまり病職というふうに呼んでいますが、治療しなければならないというところになかなか結びつかないというようなことが、治療を非常に難渋させる原因の1つでございます。

そうした方々を昔から、病気でございますから、昔からずっとあるわけですが、はるか昔の、これは1700年代の病院の絵でございますが、私よく医学部の学生の精神科の講義のときに、私は当たっている科目は精神科の病気の分類学というものが1コマ当たっていまして、それが比較的精神科の授業の最初の方にあるものですから、やはり医学部の学生と言っても、精神障害とか、精神医学知っているわけではないので、最初に精神病、精神障害というのはどんなものかというのをイメージしてもらうために見せるのですが、映画の、今日は映画の話が多いのですが、「アマデウス」という映画がございまして、モーツァルトの映画です。ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが、その冒頭の部分で、サリエリという当時のアマデウスの映画上ではライバルが、年を取られて、そのモーツァルトの作品その他に非常に嫉妬して、妄想的な反応をして、痴呆なのか、あるいは妄想性の精神障害、精神病であるのか、明確にはわかりませんが、におかされて、そして自傷行為、自分で何か手首かどこか傷つけるのですね。出血して倒れて、救急隊に運ばれて、病院に入っていくという衝撃的な場面でその映画が始まるのですが、そのときにもちろんそのサリエリの方が見ている後ろの方の背景として、この絵に非常に近いような、当時の精神科の病棟の映像が出てまいります。これはもちろん私も見たことはないのですが、非常によくできた映画だと思います。

つまり、非常に巨大な建物、たぶん2千人とか3千人が収容できたような、ヨーロッパの重々しい石の建物の中に、当時は病気が、分類学の話ですが、分類されていないわけですね。要するに、おかしい人と。町の中にいて、何か社会的に問題が起こる方、あるいは1人で生活できない方、そういう方をのべつに収容していたのが、おそらくヨーロッパ風の、18世紀以降の精神病院の成り立ちなのだろうと思いますけど、この絵の中に、その目で見ると、いろいろな、今で言えばそれぞれに診断名がつくような病気の患者さんがまぜこぜに入っている。とりあえず収容されている。当時は、今で言うとなくなったに近いような病気で、脳梅毒、つまり娼婦の方とか、あるいは精神発達遅滞の方、そういう人も全部混ぜて入っていたと。おそらく麻薬もあったでしょうから、麻薬中毒者、アルコール中毒者、その他様々な病状の日とが大勢入っていたわけでございます。

その中で、やはり縛られていたり、十分な衛生状態が与えられてないなんていうことがたぶんあったのだろうと思うのですね。それで、これはパリのビセートル病院というところの中で、1800年も近い頃に、このピネルというフランスの精神科医が、このしばられている真ん中の女性が患者さんなのだろうと思いますが、この方を鎖から解き放とうとしている、そういう絵でございます。

このピネルという方は、そういう意味で世界の精神医学の歴史の中に、非常に人権に目覚めて、患者さんの処遇を改善した方という位置づけになっておりましす。

なおかつこの絵は非常になんかすごく大きい絵なのだそうですが、このレプリカがたくさんありまして、私どもの大学の教授室にもこれ飾ってありまして、おそらくどこの大学でも、精神科の講座にはきっと1枚あるような、そういう絵なのだろうと思います。これがピネルさんですね。フィリップ・ピネルという方です。

同じような絵がいくつかありまして、これもそのピネルの精神障害者を解放するの図というふうにとらえております。

先ほど申し上げましたその病院というのが、今もビセートル病院、パリの中に残っております。この左にあります非常に巨大な施設で、ここに町のいろいろな状態の悪い方を収容していたということでございます。

一方それではイタリア学派としては誰がいるかといいますと、これはビンチェンツォ・キアルージという方でありまして、この方もちょうど同じ時代、1700年代の後半にフィレンツェの精神病院で、やはり内容も非常に同じく、患者さんの衛生状態とか、あるいは食事の問題ですとか、そういったことについて病院内の管理を何とかよくしないといけないということを、当時のフローレンスの大公に言って改革を進めた方ということになっております。イタリアの精神科ではちょうどピネルとキアルージというのは、並んでよく名前が出てきまして、いつもどちらが先に人権的なことで発言したかということがしきりと議論されております。

これは、フィレンツェのキアルージが勤めていた、ちょうどアルノ川の地図でいうと北の方の川べりに、まだ市内だと思うのですが、今も精神科の病院がございます。そこの中にこういった本人の像が飾られております。

そういうふうにして、非常に何とか病院を近代的にしていこうということが行われていたのですが、しかし、やはり精神科の領域の医学的な進歩がさほどあったわけでもありません、これはシャルゴーというフランスの先生が、精神障害、今でいうヒステリーの方をみせている図なのですが、医学的な治療としてはあまり進歩もなく、また当時はかなり劇的な、今でいったらこんな患者さんなかなかいないのですが、精神症状で体が固まってしまっていて、これはわざとやっているわけではなくて、そういうふうな時代でございました。

そして、治療自体がなかなかないものですから、どうしたかというと、やはりショック療法の時代というのがあったみたいですね。つまり、中世以来、悪魔祓いとか、魔女説とか、いろいろなことがあったのを経て、このショック療法というのは非常にショッキングな治療ではあるのですが、しかし、身体のどこかに病としての病気、精神の障害とはいえ、何か病気であろうというようなことを考え出したある種の医学的な進歩というか、変革であったわけであります。

それで、これは例えば水をかけたりとか、それからぶんぶん振り回すのですね。そういうことをやって、まだ振り回した頃には、きっと何かが宿っていてそれを追い出そうとか、そんなようなことを考えていたのかもしれませんが、そんな時代がございました。

イタリア精神医学の中でも、全体的に世界の精神医学に名を残しているような方が数名おられまして、そのうちの1人がこのチェーザレ・ロンブローゾという方であります。

犯罪学の父というふうに書いてありますが、骨相学といいまして、今でいえば人相見のようなことをしまして、人間の頭蓋骨とか、顔の形などによって、その人の行動とか、あるいは性格面で、いろいろな特徴づけができる。そしてもっといえば、犯罪に関して、何か傾向が見られるのではないかというようなことを初めて言い出したということで、犯罪学の父ということになって、この方が有名な方でございます。

そして、電気ショック療法でございますね。それを発明したのが、このルゴー・チェルレッティという方であります。これもイタリア人です。あるいは、電気痙攣療法、電気ショックとか、いろいろな言い方がございました。治療としては、映画の中での扱われ方が非常に悪いものというような描き方でなんとなく悪名高きになってしまっているのですが、実際には、特にうつ病、今非常に、例えば自殺なんかとの関係で、うつ病が非常に多くなっていますけれども、今にも死んでしまいそうな、自殺してしまいそうな、非常に重度なうつ病の方、あるいは、他の薬物療法では治療効果が得られないようなうつ病の方に、電気痙攣療法というのは、私の大学でも行っておりますし、世界中で広く行われている治療でございます。

ただし、いわゆるこの絵のようなところで行うのではなくて、手術室で麻酔科医がついて、痙攣が起こりますのは、これは筋肉が収縮を起こす場合がございますので、注射をして、痙攣を起こすと骨を折ったりとか、副作用がございますので、痙攣は全く起こさない。ご本人も麻酔をしてから治療いたしますので、まったくその間の記憶はないというような、そういう無痙攣電気けいれん療法というのが開発されておりまして、そういう形で安全を確認した上で行うということで、現在では行われております。

そうした部分も十把一絡げにいろいろ批判されてしまうというようなことがあって、なかなかそれでは真実やいかにというところがあるのですが、少しここから先は社会的なお話を進めさせていただこうと思います。

実はここにございますように、これは精神科の病床の、ベッドの数のグラフでございます。これ世界各国の線が引いておりまして、ごらんのように1950年から95年までの線でございますけれども、多くの国の線が、左から見ると下がっていますね。つまり、一時たくさんあった国も、どんどんベッドが減ってきているということでございます。この赤が日本でございまして、日本は明らかに右肩上がりで増えている。

こちらは平均在院日数といって、平均的何日入院しているかと。まさか印刷の間違いではないかというようにジョークを言っているのは、日本のグラフです。これ間違いではございません。他はだいたいこの辺に固まっているわけでございます。

1950年代60年代の欧米の精神病院というのは、先ほど最初にお見せした17世紀18世紀終わりのような姿が少し現代風になったり、留まったような病院が実にたくさんありまして、それに対して、これを何とかしなければいけないという、そういう動きが出てきたわけでございます。

その代表が、イタリアで言えばこのバザーリアという人なのですが、この方は1925年にヴェネツィアで生まれまして、49年に、私も留学しておりましたパドヴァ大学の医学部を卒業されて、その後、精神科医になったわけです。フランカさんという奥さんと結婚して、その後は私教授資格というふうに訳したのですが、日本風にいえば学位、博士号とかに意味としては近いようなものなのかなと思いますが、その資格を得られたという方です。それが終わって、じゃあこれからどうしようかという時期に、友人に誘われてその後、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州のゴリツィアの精神病院の院長になったと。それが1961年のことでございます。

今日お見せするそのノンディメンティカーレという頃の写真というのは、この方が着任された頃の様子から以後の写真でございまして、その様子を見て、非常にこの人権的な立場からも、あってはならないものだというふうにこの方お考えになって、解放運動を進めていくわけです。

その成果が1978年の法180号と呼ばれているものでございまして、この法律をもってイタリアは、新たに精神科病院への入院を禁止するということを、制定するということになるわけです。その後、新入院が禁止されるわけですが、そのまま入院している方は、退院する先がございません。これは今わが国でも、実は先ほどのベッドは33万床あって、これを減らさなければいけないと。いろいろな国連を含めて、WHOやなんか散々言われているわけでございますが、入院患者さんの平均の年齢は60歳くらいなのですね。おそらく当時イタリアも、後で写真が出てきますが、60歳とまでは言いませんが、入院が長くなってくると、当然その入院している中で年をとってくる。

例えば今60歳の患者さんというのは、統合失調症というのはだいたい20~30代でなるのですね。そうすると、30歳でなった方というのは、平均年齢が60歳ということは、30年病気をしてらっしゃるということです。60歳ということは、退院後、病気がよくなって、例えば明日特効薬が仮に出たとします。病気が治る。しかしその方たちがそれを飲んで明後日退院できるかというと、30年入院していた方が、例えばもう親はだいたいいないですよね。実家があっても親がいない。そして、実家にはその兄弟が住んでいる。兄弟には子供がいて、場合によっては孫がいる。そこにある日おじさんが退院してくると。1泊2泊でしたらともあれ、その後ずっといるとなったら、これはやはり家族の負担も考えなければならない、1部屋あけなければならない。それは簡単にいく話ではありません。だいたいずっと入院していますから当然お金はないです。それから、30年前ですからもちろんsuicaとかコンビニ、携帯電話、全くないわけですね。社会で生きていくといっても簡単には生活技能がないわけですね。そういう方をどう退院させるかというのは、これは実はとても大変なことでございまして、そのためにはたぶんこのバザーリアさんも非常に苦労しただろうと思います。

このイタリア、78年に法を通してから、保健大臣という、厚生労働大臣のような方が、イタリアの精神科病院は本当に閉鎖されたと宣言したのが2001年のことでございますから、イタリアのように法律で全部ある日病院を閉じたシステムであっても、やはり20数年がかかるということになったわけです。この方はこの法律が通った後、確か咽頭癌か何かだったと思いますが、すぐ亡くなってしまいます。

この奥さんという方がすごい女性で、非常にこのバザーリア氏のいろいろな思想を受け継いで、この78年以降も積極的に精神医療の、思想的なことも含めて活動されていくわけですが、1984年から91年まで、そういった立場で非常に国会議院として活躍をされていたということですが、昨年亡くなりました。それでそのときにもたくさんの訃報というか、コメンタリが載っておりました。すごくこの方が生きていたおかげで、ここでの活動は止まらなかったということもできますし、またちょうどこの80年以降は、世界的にもどんどんこれから新しい薬物が出てきた時代でもございますので、ここのグループ、つまりトリエステの方たちにとっては、なんとなくここで発想が固定してしまって、なかなか現代のサイエンスオブディエタチようにはなかなか乗り切れなかったという問題も実はございます。

イタリアの方のこういった詳しいお話自体は、例えばこのPol.itというイタリアの精神科医療についてのホームページがございますので、ここには法180号の誕生から、その他の歴史などが、いろいろな論文と共に掲載されておりますので、もしご関心のある方はここをお読みいただければと思います。

いくつかのポイントをもう1度振り返りたいと思うのですが、ようするに、ずっとこのキアルージなどが活躍した何とか精神衛生を人道的にケアしなければいけないという動きはまた昔からございまして、イタリアでも決してその当時精神医療が特別遅れていたわけではなくて、キアルージという方、あるいはそのピネルの影響なんかを得て、当時は他のヨーロッパ諸国と同じような精神医療が行われていたわけでございます。

ところがそのイタリアの場合には、精神科の医療に限らないと思うのですけれども、いろいろな国の混乱も含めて、なかなか精神衛生行政というものが十分には行われなくて、言ってみればその地域の法律と呼べるかわからないような慣習法に基づいて、隔離拘束も含めて、いろいろな治療が、あるいは隔離拘束がなされていたわけでございます。

ようやく1876年になって、イタリアにある実は司法精神病院、最近わが国でも医療観察法という法律が通りまして、ようやく類似のものができてきつつあるわけでございますが、イタリアには当時から司法精神病院というのがありまして、精神障害のある方で、刑法に触れるような事件を起こした方は、はじめからこの病院に収容されるというようなシステムが歴史的にございました。確か現在も6つくらいの病院が、当時からのままでほぼ残っております。

そして、精神衛生法がようやく1904年にできまして、自傷他害の恐れのある人など、強制入院させられるという形に整備されてきたわけです。そこから、戦争などが起こりまして、先ほど申しましたような、2千床を超えるような非常に巨大な病院がたちあがるのと、言ってみれば一般医療と全く違う次元で医療がすすめられていたわけでございます。

イタリアの場合には、この2千床を超すような大病院というのは、ほとんどが公立の病院だったわけですね。ここが法180号を施行したときに、力わざで病院を閉じられたところ。98%の病床が公立病院だった。これに対して、現在日本で33万床あるうち、およそ80数%が民間病院でございます。ですから、その辺りが無理やり病院を閉じましょうというわけには簡単にはいかないという問題が根深くあるわけでございます。

先ほどお話しましたように、そうした中で、1961年にバザーリアがゴリツィアの病院の院長として赴任したわけでございます。この後写真をお見せしますが、そういった非常に収容主義の病院でございまして、こんなことではいけないというふうに彼は考えだしたわけでございます。

そして1968年に、イタリア精神科医師会というような動きが出てまいりまして、ようやく自由入院というのが法制化されていったということがございます。

しかしながら、回転ドアという言葉がございますが、やはりこれは病気の性質上、いったん退院してもまたお薬を飲まないといけないわけです、1968年というのは、ちょうどクロルプロマジンというお薬が1950年中ごろにようやく見つかったというか、使われだしたという時代でございます。まだ治験のような時代だったと思いますから、まだまだ薬物療法ではなく、先ほどお見せしたようなショック療法の時代でございます。そういう時代に何とかしなければいけないと思ったと、大変な勇気というか、新しい意見であったに違いないとは思うわけですが、とった手法としては、ここに民主精神科連合という言葉にございますように、かなり政治的な手法でもって、団体を結成し、精神医療をめぐる政治活動を強く推し進めていったという背景がございます。これは私は知らない世代でございますが、日本にもこういった民主精神科連合の動きは、非常に大きく議論をもたらしたわけでございます。

ここから少し写真をお見せしたいと思います。イタリアの病院、ヨーロッパの病院はみんなそうですが、こういう小さい建物というか、日本のようにビルディングがあって、何階が何科とかというのは、そういう構造は少なくて、小さい病院がいくつも、病棟がいくつもございます。これは、トレビゾの、私が留学していた先の、近くにあった精神科の病院なのですが、イタリアは1978年に病院を閉じて、その後、マニコミオとか言うのですね、精神病院。それから、オスベダーレ・プシキャトリコなのですが、オスベダーレ・プシキャトリコはないという立場を法律上とりましたので、その直後から、EXオスベダーレ・プシキャトリコというふうに名前を変えて、中身は全く同じという形で、普通に病院があるのですね。

これはその中の様子なのですが、この建物は興奮した人を入れておく隔離病棟でございます。こういう広々としたところに、こういう格子のかかっている、そういう病室がいくつもある。それからこのネットでこれ以上出られないように分けてあるというふうなところです。

そういうものが実際にある種退院できない人だけが残っている施設として残りつつ、一方で、これはただ普通のパドヴァの町の写真なのですが、こういう普通の町の中に、ここを見ますと、リハビリテーションセンターと書いてあって、この上がデイケアとか、ごく普通の町並みの中に精神科の治療施設が少しずつ入ってきたということでございます。町の中のこういった立派な建物も、この辺がずっと精神科の治療施設、治療施設といいますか、デイケア施設だったりしました。

それから、これはヴェネツィアなのですが、これはたぶんこの島だと思うのですが、リドのちょっと先ですね。サンクレメンテ島という島がございます。これは、私帰国する前にようやく知ったのですが、近づいていくとこういうふうに教会と何か大きい建物が1つあるだけで、近づきますと結局こういうふうになっていて、中は撮らせてもらえなかったのですが、この教会の隣にありますのが精神病院の建物でございました。つまり、先ほどの写真からお分かりのように、ここはもう精神病院しかない島でございます。ですから、これは別に鍵かけなくても、帰れないわけですね。鍵ちゃんとあるのですけれども。そして、教会の隣に建っているというところが1つの精神障害に対するアプローチの仕方の典型例だと思いますが、日本もお寺の横に、京都である1番古い精神科がお寺の横にあります。そういう意味では、寺院やなんかが救護施設として関っていたという歴史はあるのですが、この島もそういうわけで、この教会とこういう猫がちょっというような庭と、私が行ったときには実はもう閉じてしまっていて、この島にいた患者さんたちは皆メストレのほうの精神科のデイケアとか、グループホームなんかに移っていたのですけれども、こういうふうなところでございました。

ところがそれをどうしたかというと、これは帰ってきてまたびっくりしたのですが、お泊りになった方いらっしゃるかもしれませんが、サンクレメンテ島のこの建物は今ホテルサンクレメンテになって、5つ星。HPで見ると、すばらしいホテルなのですね。ヴェネツィアにある5つ6つのダニエリとかありますが、あれと同じクラスのホテルになっていますから、擬似入院体験をしたい方は1泊3~4万円払うとできますので、私、先日よその大学の教授がヴェネツィアに行くのでどこへ行ったらいいかという連絡を受けましたので、ここをお奨めしたのですが、遠慮するとおっしゃったのですね。なかなか不思議な体験のようでございます。

それで、これが先ほどお話したノンディメンティカーレの本でございます。バザーリア夫人が監修してらっしゃって、1968年前後の写真集で、これはたぶん写真家の作品として、これは私は勝手に写真の部分だけをとってきてスライドにしておりますが、写真家の名前が入っていて、たぶんその写真として、人物写真として非常に価値のあるものなのだろうと思います。私は切り口としてまったく純粋医学的というか、当時の精神病院の中を見る貴重な資料という意味で見ております。やはりお薬もろくにない時代のことでございますし、あらゆる人が収容されていたというまさにそのままの状況でございます。おそらくいろいろな病気の人がいたために、あまり秩序だったアプローチというのはたぶんしづらかっただろうと思うのですね。こういうところにバザーリア先生はほぼ、たぶん二千床ですと、何かで読んで正確な数は覚えてないのですが、医師は3~4名だろうと思います。そういう状況の中に、あとは看護士はたくさんいるわけですが、そういう状況の中の出来事であったわけです。先ほどのネットと同じようなものがあるわけですけれども。これはたぶんお風呂だと思うのですね。温浴とか水浴療法というのは、つい最近まで行われておりましたけれども、そういう施設が残っていると。それから拘束をせざるを得ない方もたくさんいたということでございます。

必ずしも大人になってからの病気だけではなくて、おそらく知的な発達障害の方ですとか、そういう方も入っていたわけです。それで、皆さんなんとなく静かな、興奮してらっしゃる方もいましたけれども、精神障害、特に統合失調症の場合には、幻覚とか、妄想とか、興奮というような、目に付く症状、わかりやすい症状というのは、これは病気になってまもなくのときですとか、再発したときですとか、そういったときに目に付くわけでございまして、慢性期になってくると、どちらかというとそういう症状はなりをひそめて、むしろ意欲の低下とか、自発性がなくなったり、それから、感情の動きが乏しくなったり、そういったことが強くなってくるわけです。この写真あたりはそういったことを強くあらわしていると思いますけれども、ですからそういった意味では、仮に病院にいなくても、通常社会の中にいたら、その中だったらよりハッピーに暮らせるかというと、自分ではその生活をなかなか自弁できない。食事の問題、お金の管理の問題、それから入浴とかそういった清潔、安全から身を守るというようなことについて、非常にその能力が落ちていると。知的機能が著しく下がるわけではないのですが、情動とか意欲、そういった面がおかされる病気でございます。こういった状況でございますが、これをなんとかよりヒューマンスティックな治療にしなければいけない。それは発想としてはよくわかるわけでございます。この写真は隔離閉鎖の象徴である鍵を看護人が持っているという、そういう写真だろうと思います。

おそらくこの写真辺りから以後、患者さんの顔に笑みが出てまいりますので、バザーリア氏が到着した以後、法律制定の78年までだいぶ時間があるわけですが、彼はゴリツィアの病院の中で、いろいろな患者さんたちとの集会とか、あるいはリハビリテーションのためのいろいろな刺激ですね。それを工夫したり、あるいは、言ってみれば名前をつければ集団療法というような、こういうグループミーティングのようなことをいろいろ企画しまして、なんとか患者さんに、例えば病棟の管理、運営なども、入院している患者会で運営させようとか、いろいろなことを、ある手段の中でいろいろ工夫していったわけです。

この1番右側、これは映画でも見ているのかというような感じの、映画の風景のような写真です。これ1番右がバザーリア。やはり雰囲気のある、カリスマ性のある方だなという感じが非常にするわけで、こういうムードで何か新しいことを言われると、なんかすごくいいことだなと思いますよね。説得されてしまうのですが。そういうムードで、おそらくみんなうまく乗っていって、そういう中で演劇ですとか、いろいろなことをやるようになっていって、病棟の中に、ここからカラー写真ということもありますが、非常にこうアクティブに動きが出てくるわけでございます。この青い馬が、このゴリツィアとか、それからトリエステのサンジョバンニという病院があるのですが、そういった病院を開放して、地域の中に溶け込ませようという、町に出て行くシンボルということになっておりますこの青い馬を、患者さんたちと一緒に作って、デモンストレーションを行うというようなことを盛んに行っておられました。

私も帰国してしばらくしてからはじめてトリエステには参りまして、今これも、先ほど私がトレビゾに行ったときに撮ってきた写真と同じような建物を、いわゆる得意のレスタウロでやったのだろうと思うのですね。

そして、これがその病院の正面の門でございまして、中は今は非常に、例えば喫茶店ですとか、美容室ですとか、そういったものに元患者さんが職を得て、お互いに治療しあうというようなことをやっている、そういう環境に変わっておりました。

もう少しその病院の開放の話をさせてもらいますと、78年にようやく法律が通り、その名もバザーリア法という名前がついております。で、これは基本的には新たな入院を禁じただけでございますが、次々と法整理をしていくわけですが、問題は、イタリアのやはり法律が、法律は全国一律の法律なのですが、実際の運用がやはり道州制というか、各州に精神病院をだんだん閉鎖して廃止していくことを任せたということで、その進展の度合いというのは、はっきり言えば予算のつき方次第ということでございまして、日本でそのトリエステがひときわまるで精神医療の天国のように言われている部分というのは、実は皆さんご存知のように、イタリアはトリエステですとか、シチリアですとか、フランスの方のボーダーのあたりですとか、日本で言えば沖縄とか北海道と同じような、かなり特例が認められている地域でございます。税制上もかなり優遇がございます。政治的にも非常に強い地域でございます。そういったところで、これはたぶん偶然なのだろうと思いますけれども、こういった動きが出てきたために、トリエステあたりは非常に改革についても、例えば、グループホームの設立ですとか、あるいは活動の支援ですとか、そういったものが非常に強くすすめられたわけでございます。

ところが、イタリアもローマより南にいけば、ごく最近まで、精神科病院がれっきとして残っていたというような事情がございまして、なかなかその地域差というのはうまらない。これはイタリアのいつもの話ではございますが、医療においてもそれが現実でございます。

病院をなくしてどうしたかというと、イタリアは総合病院、公立の総合病院の中に必ず精神科の病棟を設置しなさいとなりました。これは日本でもまだ全然実現されていない、またおそらくすることにもならないような話でございますが、それから、強制治療の期間を最大確か14日というふうに制限したと。これ実際の運用はかなりイタリア風に、14日たったら1日外に出して、病院の前で夜を明かさせて、また翌日入院させるということを平気でやりますので、どこまで本当にやるのかわからないのですが、でもそういうことを法文にうたうというところが、日本人だったらできないことなのではないかなと思ったりするのですが。

そういったことをやるのですが、それは1番肝心な予算措置については各州お任せ状態で、まったく規定するものはなかったわけです。それでも入院を止めましたので、78年以降はどんどん新たな入院は当然ながら減っていくと。このまま本当にすべて精神病院のベッドの数もずっと減っていって、民間病院も減っていくのかなというような期待をもってみんな見ていたわけですが、確かに減ってはいくわけです。どんどん減ってはいくのですが、やはりどうしてもお家に帰れない方というのはいらっしゃるわけでして、そういう意味では、最終的にゼロ宣言が2000年の末でしたね。2000年の末に保健大臣が完全閉鎖を宣言する。非常にやはり時間がかかったわけでございます。

コンセプトとしては、地域で多くの方が退院して生活しようと、非常に理想的なわけでございますが、この話をするときに、誤解を恐れずに申し上げるなら、最初のところで司法精神病院が昔からあったという話を申し上げました。今日本で医療観察法というのができて、いろいろ措置ができるようになってきているわけですが、それは今年からの話でございます。イタリアはもうこの1978年の法律が通った時点では、確固たる病院がかなりの数ございまして、そういったある種の、これは安全弁と言うと怒られる方もいらっしゃるかもしれませんが、制度上はそういったものが一方にはあったと。ですから、もともと精神病院に入院してらっしゃる方は、その法律がらみの方はいないわけでございます。純粋に病気で、ご本人の責任ではなく入院してらっしゃる方々ばかりでありましたので、やはり合意は形成しやすかったのではないかなというふうな感じがしております。

やはりそういった中でどんどん退院が進められていったわけですが、やはり私立病院は残ってしまいまして、3千名くらいは最後1998年の終わりにも残っていたようです。

この98年の時点で、イタリア政府はなかなか進まない精神病院の閉鎖に業を煮やしまして、とにかくすごいんです。ペナルティをはたす。これがすごくて、退院しないで残っていると、まず事務所の机を売り払うとか、そういうことを本当にやりだすのですね。ですから、やるとなると、本気になって、98年から2000年の間に、あっという間に完全閉鎖を達成してしまったということでございます。

その成果の方も大事なのですが、だいたいそういって退院した方のうちの3分の2くらいの方では、行動上の問題はないとされています。日常生活は4割の方が完全に自立しているし、4分の1の方はほぼ自立できた。ということは、残り4分の1の方は、自立できていないということでございますから、そういう方たちが住まう場所ですとか、ハードの整備ということも、当然その予算がないとできないわけでございまして、間に合わない部分は、先ほどのEXオスベダーレで補っているというのが現状でございます。

では、実は私もいろいろな人に聞いていたのですが、イタリアの統計というのは、ご存知のようになかなかあまりあてになりませんで、特に医療の世界は何しろもともとが90数%が公立がやっていたと。大学もほとんど国公立でございますので、民間の施設というのは、いってみれば員数外なのですね。ですから、統計の中に上がってこない。それから、いろいろな国立の研究所の偉い先生に質問しても、私立の病院はどうしているのでしょうとかいっても、そんなものは知らんという形で、全くたぶん民間病院の医者というのは、医者のうちに数えられているかどうかに近いような扱いなのだろうと思います。ただもちろん高級な病院はたくさんありますし、それから民間病院といえども、健康保険システムは使えるようにはなっているということですが、そういう中で、結局病院外のベッド数、これは私立のいわゆる精神科病院に近いものがあるのですが、2000年くらいのイタリア人による論文では、1万7千くらいはあるということでございますし、それから、先ほど総合病院に必ず精神科病床が必置ということでございまして、そういったものが含まれています。全部あわせると、病院として認知されているものは1万床。私立も含めですね。それから、生活施設だけど、ほぼ病院とみなされるような施設、病院とは言わないのですが、施設が1万7千。あわせて2万7千くらいは、いってみれば入院している方がいらっしゃる。対する日本が33万ですから、人口が日本は倍いますが、その数を目指せるかどうかは別として、ずっとこれから減らしていっていいんじゃないかなということが、現在の日本の精神医療の大きな課題でございます。

それで、大きな話は、そのイタリアの精神医療の流れについてはここまででだいたい一区切りとさせていただきたいのですが、ここでお話をやめてしまいますと、いかにも精神科の病気が、なんとなく先ほど言いました光と陰どころか、真っ暗闇という形が残ってしまうといけませんので、最後に、これはイタリアとは全く関係ないのですが、しかしイタリアも関係するとすると、地域に出た動きがどういうふうになっているか。地域の中で患者さんを見ていくということは、次に何をやったらいいかという話を最後に少しさせていただきたいと思うのですが、これは精神科の病気、主に統合失調症、精神病になる前の話でございます。つまり、脱施設化といって、慢性期の患者さんを地域でみるようになりますと、やはり次の課題は、そういう慢性の精神病にならない、させないという予防の話が大事になってくるわけで、それには早期の発見というのが、どんな病気も大切なわけでございます。

実際には、ここにDUPと書いてあります。Duration of Untreated Psychosisといいまして、これは精神病の未治療期間というふうに訳しております。それはどういう期間のことかというと、先ほどムンクの絵がございましたが、耳を押えている幻聴でございますね。これが統合失調症の1番代表的な症状でございまして、あれが出ればだいたい精神病だなと強く疑われるわけです。それが起こるのをエピソードの始まりと呼んでいるのですが、それが起こってから、はじめて専門家の治療を受けるまでの期間です。初めて精神病のお薬を飲むまでのこの期間のことをDUPというふうに呼んでおります。

さて皆様、いかがでございましょうか。どのくらいディレイ、治療開始の遅れでございますよね。例えば歯医者さんに行くときに、痛くなってきたと。虫歯は根性では治らないから、我慢していたけどいずれ行きますよね。それから、風邪ひいて熱が下がらないというときに、どうしようもないと。39度が4日続いたらやはり効かないとわかっている抗生物質をもらいにお医者さんに行くと、日本人はお医者さん大好きで、すぐ行くのですが、精神科は、聞こえるようになってから来るまでの時間というのが、これも私も非常にショックを受けた体験でございますが、私どもの病院で調べましたら、平均が13ヶ月なのですね。聞こえるようになって、それもいい話ではないのですよ。こっち向くなとか、ばかやろーとかですね。そんなことやってるからまたとか、悪いことばかり。その苦痛に耐えること約1年で、ようやく病院にかかるというのが現実でございます。これは実は6年7年放置して、放置されていて、興奮して強制入院というような方も、この精神科病院のデータの中には入ってまいりますので、平均値は若干長くて、まんまん中の人を見ると、3ヶ月から5ヶ月です。それにしても、これだけの期間、治療に乗らないということは、その間、ご本人とご家族は非常に苦しんでいる。それだけではなくて、実際にはその間ただ病気であるというだけではなく、実は最近の研究によると、その間も脳の中の、特に統合失調症に関連していると言われている前頭葉という部分があるのですが、そういったところが器質的にだんだんと萎縮をしたりとか、機能が低下してきているということが、画像研究の中でわかるようになってきております。

ですから、これをやはりなんとか短くするべきだろうということが非常に世界各国で取り組まれておりまして、海外では、これを短くする運動というのがいろいろな手段でもって行われております。例えばダイレクトメールですとか、それから、テレビのコマーシャルですとか、私は先日香港へこの関連の会議でいきましたときに、香港で電車に乗って、つり革をつかまったそのつり革のところに、こういう0120みたいなのが書いてあって、中国語で、幻覚とか、妄想とか、読めるわけですね。あちらでは統合失調のことを思覚失調と書いてありますが、聞こえてきたら0120何番何番ということが地下鉄の駅のコンコースのようなところですとか、電車のつり革ですとか、そういうところに書いてあるのですね。日本でいうと公共広告機構で「人生やめますかお薬やめますか」ああいうコマーシャル。そういう形で非常にポピュラーに精神障害のことを語ることによって、何とか慢性化を防ごうということが言われています。

病気というのはすべてそうだと思うのですが、早く見つけるというのは、その前提には、早く見つかると早くよくなるとか、あるいは予後がいいというインセンティブがないといけないですね。早く見つけました、もうだめですというのは、これは余計なお世話という話になりますので、早く見つけるからには、必ずよくなるというデータがないと余計なお世話なのです。

これはこの数年、やはり早く見つければ、つまりDUPが短いほど、早く治療にのるほど、予後がいいというデータが続々とレポートされておりますし、それから、早く飲み出して、副作用なく、効果のいいお薬というのが、90年代の後半くらいからたくさん出だしております。そういう変化が起こっていることが、やはり病気になりそうな最終消費者の元に届くということが実は大事なのですが、その病気になりたての若い方、先ほど申し上げましたように20代、30代の方がなりやすい。場合によっては10代の方がなる病気でございます。そうすると、そういった方は、はじめて病院に行くと、重くなっていくと精神科病院にいらっしゃるわけですね。精神科病院に入れられてしまうと、中に待っている方は、平均年齢60歳の方がたくさんいるわけです。そこを見てしまうと、30年たったら自分もああなってしまうのか、大変な恐怖を持つわけでございますし、よくなってデイケアという、地域の中にいくつもあるのですが、そういうところへ行くと、どちらかというとベテランの方、そこもいるわけですね。ですから、若い方の、けして慢性期の方を見捨てるとか、そんなつもりはないのですが、しかし新しい病気を作らないという意味では、若いときにどう働きかけるかということが大事になってまいります。

欧米では、若者ばかりを広くみていくというようなアプローチが非常に強調されておりまして、それについては予算もついて、先ほど申し上げた香港とか、あるいはシンガポールですとか、アジアでもそういった部分がすごく進んでいる地域ができていっています。

私の方も、実は港区で、地域で、港区というのは先ほど申し上げましたように、東京は東西に長いものですから、精神科の入院施設というのがどうしても多摩とか、八王子とか、あちらの方に偏っているのですね。そうすると、都心部で病気になった方は、そういうところへ入院させられますと、今は治療が進んでいますから、1ヶ月とか2ヶ月とかで退院できるのですが、いざ退院となると、主治医ともいい関係ができて、信頼できる先生、その先生の言うことを聞こうと思ってくださることも多いのですが、片道40キロでございますから、お薬ちゃんと取りにいらっしゃいとかいっても、お薬飲んで車は運転できませんから、40キロの片道を2週間とか3週間にいっぺん通いなさいというのは、ほとんど来るなといっているのと同じですよね。

それから、地域のケアの情報というのは、八王子の病院のソーシャルワーカーの人は、八王子のことはもちろん情報たくさん持っています。ところが、その方が住んでいる地域の情報は何もないということですと、都心部ではなかなか治療が1回ここで切れてしまうという問題がございますので、それなら何とか最初からもう地域の中でみて、その中で治療が完結できるようなアプローチをするべきではないかということで、みなとネット21というボランティアチームを作って、フォローアップしていたのですが、それをやればやるほど、やはり慢性の方をみるのも大事だけれども、若い人に早期の介入ができるようなアプローチをしていくべきではないかということで、去年の春から、東京ユースクラブという精神とか、メンタルとかということを一切書かないで、その一番下に、みなとネット21が運営していますとちょっと書いてあるのですが、少しでもこのスティグマを出さないということを中心にして、サッカーチームのノリで、気楽に来てもらえるようなものと。それでこれいろいろクリックしますと、病気の説明ですとか、セルフチェックとか、家族の方への説明ですとか、そんなことを書いたり、あるいはブログでいろいろな情報をアップレードするというようなことを始めているところでございます。

ただなかなかやはり日本は、例えば先ほどのDUPの話にしましても、私どもの学生に、それじゃあ高校生のときに、心は病むと、つまり脳は病気をするということを授業で習ったことのある人と手を上げてもらって、100人いてもほとんどいないのですね。エイズとか性病とか、そういった話は非常に今高校でもどんどん授業が進められているのですが、ちょうど発病する年代の人に、心の病気の授業というのは全くないということで、例えば先ほど幻聴と言いましたが、世の中に幻聴というものが聞こえる病気があるのだということを知っていれば、まだ治療にのりやすいと思うのです。知らずに声が聞こえてきたら、これはやはり信じます。こういう声と同じに聞こえてくるわけです。ですから、その中で病院へ行けと言っても、これはなかなか無理な話でございまして、そういう意味では、アンチスティグマというか、普及、啓発というものが大事な領域であって、そういうものとうまくバランスよく進んでいくと、先ほどのバザーリアさんがやっていたような運動というものも、本当の意味で価値を持ってくるのではないかなというふうに考えているところでございます。

まとまらない話で恐縮でございますが、これで私の話を終わらせていただきます。



司会  水野先生、どうもありがとうございました。医者の僕でも全く知らないことばかりで、大変勉強になりました。どなたかご質問のある方、お受けしたいと思いますが、いかがでしょうか。


質問  ありがとうございました。なかなか医者のところに来ないという話でしたが、どういうことで来るのですか。自分から来るのですか。それとも誰かに相談してから。


水野  軽症の方は、今日の統合失調症を中心に話しますと、軽症の方はもう聞こえてきて、翌日来てくださる方もいらっしゃいます。これはやはりこんなことがあってはおかしいというふうに感じてくる方ももちろんいらっしゃいますし、こじれてしまってから、家族の方に無理やり連れてこられる方も。あるいは、こちらから往診しないと、往診というのは今なかなか法律上しづらいのですが、保健所の訪問がされてはじめてつながる方もいらっしゃいます。それはもうさまざまですね。


質問  すぐ来る人は病気だとわかるのですか。


水野  おかしいと思うみたいですね。聞こえるだけが症状ではございませんので、例えば体調も悪かったり、食欲が落ちたりとか、いろいろな症状が伴ってきますので、そこから感じるようでございます。


質問  現代の医学で、なぜ統合失調症になるかとか、そういう原因というのはある程度わかってきているのでしょうか。


水野  それは、どの程度までわかってきているかということによると思うのですが、物質のレベルで最終的にわかっているかどうかと言えば、全くわかっていないというのに近いと思います。これはいろいろな、言ってみれば何を病気というかという話からしなければいけないような話でもありますし、それから、ロジカルな部分で言えば、決定的に難しい理由は、動物実験ができないのですね。あまりそういうと動物好きの方に、犬も心があるとか、いろいろなことを言われて怒られてしまいますが、それはちょっとなかなか人との体験とは違いがあるようでございまして、そこが1番難しいのではないかと思います。それから、やはり脳というのは非常に人間らしい思想の宿る場所でございますので、そう簡単に解明されてしまっても、なかなかこれもまたどうかなという部分も一方ではあるかなと。病気はもちろん治らなければいけないのですが、そういう意味では難しい部分でございます。


質問  DUPの説明のときの図に、陰性症状の方が先に出るような感じで書いてありますよね。それを私ははじめて知ったのですね。先に陽性症状が出て、おさまってから陰性症状が出ると思っていたので、その前から出ていたというのが、どんなふうに出ていて、どうしてわかったのかということと、後、陰性と陽性と同時に出ている時期というものがあるのかどうか聞きたいのです。お願いします。


水野  大変医学的に重要なご質問をいただきましてありがとうございます。陰性症状というか、ここに前駆症状と書いてありまして、陽性症状というのは、ないものがあるものが陽性です。つまり、本当はない声が聞こえると。それから、ありえないことを考えつくとかですね。ないものがある、これが陽性です。それから、あるものがないのが陰性でございまして、例えば意欲ですね。エネルギー、心のエネルギーです。それから感情でございますね。これは皆さんは豊かなものをお持ちなわけですが、それが非常に平板になってしまう。無感情になってしまう。これが陰性でございます。そうしますと、そういう一見目立たない症状が実はこの前駆症状といって、陽性症状が始まる前に出ているわけでございます。このときをなるべくずっとさかのぼっていきますと、実はここに疾患の始まりというのがわかるかのように書いてありますが、最初は、例えば眠れないとか、それからなんとなく不安であるとか、身体がだるいとか、食欲が落ちてくるとか、なんとなく無口になるとか、そういった一般症状というか、誰でも体験するようなものが、後から振り返ると始まっていた時期。これが前駆の段階なのですね。ですからこの時期には、例えばちょうどこの病気が10代の方、20代の方に起こるものですから、うちの子も思春期で、反抗期で、なんか引きこもってしまって、あるいはなんか話しかけてもむすっとしてて、お風呂を何日も入らないと。それは、うちもうちもよ、ありがちなことよというような話で終わってしまうと、それで元気になる方はいいのですが、思春期を乗り越えていく方もたくさんいるわけで、圧倒的多数はそうなのですが、実はその症状というのが、振り返ってみると病気の始まりだったというようなことがしばしばございまして、この期間というのが、実は予想以上にずっと長く、この図では短く書いてありますが、最近の研究では、統合失調症の方のうちの8割くらいの方は、約5年くらいさかのぼれるのではないかと、はっきりした症状が出るよりも、前5年くらいなんとなく、例えばなんとなく成績が落ちてきたとか、なんとなく学校へ行かなくなってきたとか、あの子らしくなくなってきたとかということを勘定しだすと、どうも5年くらいはあるのではないかと。その時期がだんだんだんだん進んできて、ここへきて急激に病気らしくなってくるときがある。そういう経過のようでございます。


質問  最近、精神鑑定を求められるような犯罪者がずいぶん増えてきたような気がするのですが、つい最近判決が出たばかりの宮崎なんかもそうですが、いろいろな子供たちを対象にした犯罪を犯す人たちが、よく最初に精神鑑定を受けるとか、あるいは未成年の犯罪者も精神鑑定を受けるとか、そういうケースがずいぶん増えてきたような気がするのですが、それは行動が多くなってきただけのことなのか、それとも、そういうものが本当に増えてきているのだろうかと。それから、そういうのが日本だけの、もし増えてきているとしたら、そういうのは日本だけの傾向なのだろうか、それとも世界中にそういうようなことがあるのだろうか、ないのだろうか。それから、もう1つすごく大きな問題で、引きこもりという若者がものすごく数が増えて、この人たちは、先生のお仕事の範囲に入るようなことなのかどうか、その辺もちょっとお伺いしたいのですが。


水野  最初の2つのご質問は、私もちゃんと数を把握してませんので、ちょっとなんとも申し上げようがないのですが、印象としては私も同じような感じで、なんとなくひどくメンタルヘルスがかかわっているような事件が増えているなというふうな印象を持っております。これは必ずしもいわゆる報道されるような事件に限らず、いろいろな場面で心の健康がかかわっていると。見出しで書かれているのはただの事件、事故であっても、よく読むと、これはきっとメンタルヘルスの問題にかかわっているのかなというようなものが、どうも増えているのではないかなという印象は持っておりますけれども、数の面でどうかということになるとわからないですが。

それで、中でも青少年というか、ニートとか、引きこもりとか、新しい言葉も出てきて、そういう方が増えているというのはたぶんこれは間違いなくて、ずいぶん世の中的にも騒いでいる通りに、いろいろなバリエーションがございます。そして、その中には、私たちが面接をすると、たぶん病気であるという方が必ずある一定の割合はいらっしゃるだろうと思いますが、なにぶん診断をつけるような病状というのは、先ほどのこの、ここでいうとOPという、ここに来ないと病気というふうに言えないわけでございますね。この前駆症状の部分は、後から見れば前駆症状なのですが、前向きに見ていると、変わった子というだけかもしれません。ですから、この段階で果たして病気の治療に、病気の始まりとみなしていいかどうかというところは、非常に議論のあるところでございまして、私たちはなんとかこの前の、少しでも早い段階で、この病気に特異的な症状を診断学的に見つけたりとか、あるいは、治療方法を見つけたりということを、これからの医学の課題として進めたいと思っているところでございますが、なにぶんこの頃に出ているのは、一般症状、誰でもが出す症状なものですから、その引きこもっている方に会ったときに、必ずや病気になるから早くいらっしゃいという言い方はなかなかできないわけでございますね。その辺が非常にこれからの課題として残されているかなと、そんな印象でございます。


質問  日本の患者さんが退院した後は、わりと行くところがあまりなくて、限られていて、デイケアといっても、マージャン、カラオケ、卓球とかがメジャーで、つまらないなという話を聞いているので、それはイタリアで今時はどうなのかなということと、後日本の患者さん、調子を崩されるとすぐ入院という形でケアをしていますが、イタリアではどうなのか。地域のサポートで乗り切っているのかということを教えていただけますでしょうか。


水野  バザーリア以後、本当にみんな地域に来たわけですね。私もイタリアに留学しているときに、とにかく精神病院がないというところで、いったいどうやって患者さんが地域に位置されているのか、帰国したらきっとこっちの方を聞かれるだろうなと思ったくらいに重要なテーマなのですが、実際にはいろいろな地域にデイケアのセンターなんかが、少なくとも日本よりは数はたくさんあるのですね。ところが、イタリアもじゃあ実際にその前を行くアプローチが、つまりもっと見本にできるようなものがあるわけではないので、私が行っていた当時はまさに手探り状態でして、いろいろな県の精神保健課とでも言うべきところに、売り込みもあるのですね。イギリスですとか、アメリカからいろいろなモデルを開発したとする大先生たちが、うちのモデルでお宅の県をやってみようよというようなことを売り込んでくるというようなこともあったり、あるいは逆にその地域の方からそういったモデルを探したりということがあって、もうさまざまにその各地域で思いつきのようなことをばらばらにやっているというのが、当時は実情でございました。たまたま私はその中で自分がいいと思ったモデルの先生と親しくなって、以後ずっと今日まで一緒に共同研究をやっているグループがあるのですが、私が訪問する先というのは、いつもそのコレクションばかりなものですから、行く先というのは、自分が知っているスタイルでやっているところばかりなのですが、1つ言えることは、今マージャン、花札、何でしたっけ、その実際のレクレーション、これはほうっておくと世界共通になってしまうのですね。それはトランプになるかどうかというくらいの違いでして、でもやはりそれではいけないという意識は現場ではどこでも持っていまして、レクレーションで済ませておくと、これは医療ではなくなってしまいますので、医療費で患者さんを地域でみていくということができなくなってしまいます。これはもう日本の厚生労働省がまさに待っているところでございまして、これを削ってやれと思われてしまいますので、やはり何とか治療、つまり成果が上がるようなプログラムで、しかも患者さんが喜んでやるようなプログラムを開発していくということも、次の非常に重要な課題でございまして、これは海外でも、行くと意見交換というと必ず何かお宅では面白い、あるいは効果のある治療プログラムを持ってますかという話は必ず出るような話題でございます。でもそれほど定番はなくて、今みんな一生懸命探しているところというのが現状でございます。


質問  だいぶ前なのですが、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」という本を読んだのですね。その中で病院のことを書いているところがありまして、ずいぶん前に読んだのでちゃんとした文章は覚えてないのですが、病院はなぜ白いのだろうと書いてあるのですね。あの白い色が恐怖感を与えるということを書いているのですね。私はそこに大変共感を覚えておりまして、たぶん多くの方がそれを感じていると思います。私は、例えば風邪をひいて病院に行っても、なんかもっと悪化するような気持ちになるし、病院というところは病気を治すところというよりも、進行させるような印象を与えるようなところであると言ってるのですね。精神病院だと、そのDUPが、行ったらもっと進むのではないかとかいってるのですね。雅子さんが出産されるときも、なるべくうちにいるような気持ちで出産していただこうということで、木造のお部屋、木造というか、なんか暖かい雰囲気のお部屋で出産されたと思うのですね。そういった形で病院というのはもっと住空間として快適なものになるような、そういう動きというのはないのですか。


水野  これは色の好みは主観的なものもございますので、なんとなく清潔だと思う人もいるかもしれませんが、住空間はアメニティの問題ですね。これは非常にクローズアップされておりまして、日本でも精神科の専門病院が建築されるときには、私の知っているところで建築大賞なんていうのを取った、医療施設の中の建築として優れた賞を取ったところなんていうのは、おっしゃいますように、色もバラエティがありますし、例えば4人部屋の病室でも、普通川の字型に2列2列にベットを配置してカーテンで区切るというのが、病院の一般的なイメージかと思うのですが、これを風車型に配置して、お互いの顔とか、様子が直接は見えないというふうな、そういう構造上の工夫をしたりとか、日本の病院というのは、私は最初何の疑問もなかったのですが、ベッドの横でご飯を食べるのですよね。多くの病院が。イタリアではそういう病院はさすがにございませんで、必ず食堂がございます。日本の病院も、食堂で、特に慢性期の患者さんほどそういうところで食べられるようにスペースを何とかとろうと。これなかなか建築基準法とか、いろいろなことに関ってきますから、そう思い通りにはいかないのですが、コンセプトとしてはそういう動きには当然のようになってきていると思います。日本の国立大学病院も大変立派な建物が建ってうらやましいなと思っているところでございます。それは本当にもうリーディングホスピタルはそういうことをいつも考えているわけで、それは現実のものとして出ているわけですから、それも定着していると思います。ただ、できるかできないかというのは別の問題ですので、そこでもう一言言わせていただけば、やはりみんなそういうことを望んでいるわけですよね。これは間違いなく計算上医療費に入ってくるわけでございますから、どうして医療費の総額を減らして、メディアが書くと拍手喝采のような世の中になってしまったのだろうか。あれは本当に残念なことだと思うのですね。豊かな生活をするのに、安かろう、悪かろうになるに決まりきっているわけですから、他に削るところはいっぱいあるのに、医療から手をつけるというのは、我々医師はこれはなかなか実力を発揮できなくてさびしいなというふうに思っているところでございます。


司会  本当にその通りでございます。


質問  1つ、その図からいって、例えば家族か誰かがその精神病状を自分の子供に発見するか、本人ももう行きたいというような、どちらでもいいのですが、病院へ行くとイタリアでしますね。そのときは今そうすると、総合病院に精神科があるから、そこへ普通は行くということなのでしょうか。その実際起こったときに、どうその精神病院をなくして対応しているのかなと、素朴な疑問がちょっとあります。


水野  病院に勤務していた資源というか、人員でございますね。病院なくなりましたので、そこの余剰になった医師、看護士は、県単位でメンタルヘルスセンターというような、外来クリニックが新たに作られて、そこに医療者が移ったのですね。ですからそこを、総合病院の精神科外来というのはもちろんございますけれども、そのほかに精神科に関しては、そういったメンタルヘルスセンターがございます。住民は、イタリアは家庭医の登録をしておりますので、普通にはまず家庭医に行くわけでございますが、精神科は例外になっておりまして、家庭医からの紹介状なしに、直接そのメンタルヘルスセンターを受診することができるようになっております。


質問  麻原彰晃は遠くで見ながらホウマツだから相手にしない、宮崎勤には悩まされたのですが、皇室の関係の方いるとちょっとあれなのですが、皆さんあれじゃないですか。狭いところに閉じ込められたというか、閉じられた空間にいるからどんどんおかしくなっていくような気がしてしょうがないのですが、というのは、宮崎勤が捕まったときは、あんなんじゃなくて、もっと偏執狂だと言われたような気がするのですね。要するに、ちょっと変わった変質者である程度が、どんどんおかしくなっていくというのが、拘禁症状とよく言われるのでしょうが、そういうことを言う人というのはあまりいないのですか。つまりもっと、例えば、遠くで見守りながらどんどんいろいろなところへ行かせてしまうとか、そういう形で、少し普通の生活みたいなのを味あわせるみたいなこと。それから、「バカの壁」を書いた人の文章をちょっと覚えてないのですが、中に、断層撮影装置で脳の中を見ていると、おかしい人はわかるみたいな表現があったような気がする。それは例えば、統合失調症なのだそうですが、継続してずっと脳の中を断層撮影装置で見続けたら、わかってくるものなのかどうか、その2つを。


水野  1つ目は、つまり、言い出す人はいないかというのは、拘留されている環境を変えるという意味でございますか。


質問  普通のことを体験させるようにしたい。一応まだだって犯罪は確定していない時代。


水野  犯罪関係のことは私よくわからないのですが、例えば、今回医療観察法を、全部が全部入院ではなくて、通院処分というのがございまして、通院をしなさいと。治療を受けなさいと。しかし、地域の中にいっていいというような処遇がございますので、もしかするとおっしゃっている内容に近いのかなと。つまり、身体拘束、要するに入院での強制治療処分だけでなく、そういうような視点は盛り込まれているようでございます。ですから、ただその未決の人をどうするかというのは、ちょっと私の理解と想像を超えるところです。それから、もう1つの断層撮影の方は、これは実際には、例えば100人ずつ集めて、病気とされている方と、健康の方とで差を見ると、確かに差があるのですね。どこかの場所の大きさをはかると、差がつくと。ところが問題は、1人の、つまり、差が微妙すぎて、ある1人の方をもってくると、それじゃあこの人はどっちの分に入るかなというのは、はっきりしないということがあるものですから、それじゃあ1人の人の写真を見たら、どちらか決着がつくかというと、これはたぶんまだつかないと言った方がより論文の数よりマジョリティに入ると思います。

ところがずっと見ていたらどうかというご質問が、先ほどのこのDUPの話と関係するのですが、発病してから薬を飲むまでの間は、これはディレイがあるわけでして、もっと言うと、この前駆症状のある時期からずっと続けて見るということが仮にできたとした場合、そうすると、狙っている場所、つまり病気と関係していそうな場所というのは、この間にも小さくなっているというレポートが出ております。これはつまり先ほどのような若い人は結構うまく治療にのっかるようなシステムがあるところで、発病してない方に1回写真を撮って、それから、発病完全にしてからもう1回撮って、2回見たときに、どうも急所が萎縮していたと。昔からここが原因だろうと言われているところが、見事に所見があるという論文が、2年ほど前にようやく出まして、これは結構我々にとって衝撃的なことで、やはり早く見つけるだけのことはしなければいけないというふうに発想になってきております。


質問  今のお話と関係しますけれども、そうしますと、最終的には統合失調症も、脳の生化学的な疾患で、いずれは薬で治るようになるだろうと考えてよろしいのでしょうか。


水野  ところが、問題は、例えば、双子の方でも一致率が低いのですね。ですから、必ずしも器質的なものだけでなっているとは言えないわけですね。むしろ、社会文化的な要員も非常に大きいものですから、そういう意味では、なった後の対処はいろいろと工夫されてくると思うのですが、ストレスマネージメントというか、そういったことをしていくということも一方で非常に大事でございまして、そういえばイタリアで面白い話がありまして、チッタデソリーゾという運動があるのですね。これはトレントというところが発信源らしいのですが、微笑み都市と訳したらいいのでしょうか。町中でみんながスマイルバッジをつけて、特に役所の人を中心に、人に話しかけられたらニコニコ対話をしましょうと。このプロジェクトの驚くべきことは、その運動を始める前の精神障害の発病率と、始めてからの発病率を比較するということをやっている人がいるのですね。結果はまだ出ておりませんけれども、町中の人がニコニコして、役所に行ったときに感じる我々のこのストレスが減ると、発病率が下がる。もしこれが出たら、これはやはり日本でもぜひやりたい。まず港区に今この話をもっていっておりますので、関心のある方はまた別の都市でもやっていただけると、もりあがるのではないかなと思っております。


質問  2つお伺いしたいのですが、1つは、遺伝との関係ですね。遺伝。遺伝で発病すると。そういう割合というのが高いのかどうか。それから、もう1つは、発病の原因。原因がわかれば、治療もやりやすいわけですよね。原因というのは、どの程度わかっているというか、難しいと思うのですが、その2点を。


水野  今もちょっとお話したのですが、遺伝の問題は、非常にデリケートな問題でもあるのですが、言ってみれば、顔は似ているとか、体質が似ているとか、そんなような意味での似方というのは、人間脳みそも、手足も、身長みんなございますので、そういった意味で、なりやすさみたいな傾向、どこかに例えばストレスかかったときに、心臓がバクバクする方から、下痢する方まで、いろいろいると思うのです。だいたいみんな弱いところに出ますね。そういう意味で、メンタルのトラブルをもちやすい。どこかにストレスがかかったときになりやすいというような方が、傾向としているということは、おそらくあるだろうと思います。今も少しお話したのですが、一卵性双生児というのは全く同じ遺伝子を持っている方で、1人の方が精神科の病気、統合失調症になった場合に、もう1人の方がなっている割合はだいたい4割くらいだと言われております。一般人口の中で、この病気になっている方が1%弱ということでございますから、そういう意味では、やはりある程度体質は似てくるのだろうとは思うのですが、遺伝的な傾向はあるわけですけれども、しかし、100%ではないということの方がより重要でございまして、いってみれば6割の方は発病を逃れているわけですね。全く同じ体質でありながら。我々はやはりどうしてもなってしまった方の方の治療と研究に注意を向けるのですが、実はこのならない人たちの生き方そのものの中に、発病を頓挫させる、逃れる生活のコツとか、生き方のコツというのは必ずあると思っております。ですから、そういう意味では、そういった方向をポジティブにいくと、あまりこの遺伝の問題ということは、ないとは言わないですが、いろいろクリアできるものもたくさんあるだろうというのが問題ですね。それと同じ意味で、発病のことも、なかなかどれか1個に還元していうのは難しいのですが、いろいろな先ほどのチッタデソリーゾも含めて、環境が変わっていったりとか、そういったことで発病を逃れるということもあるでしょうし、そういうふうにしてやっていくとなかなかこれぞ原因というのはみつかってないというのが現実ですね。


質問  よく遺伝で、例えばある家族、ハプスブルグ家ならハプスブルグ家のことをたどっていくと、分析している人いますよね。


水野  いろいろ個別の報告はあるのですが、ございま��