100%幸せですか?明るく生きる天才イタリア人の秘密(講演記録)

第418回 イタリア研究会 2015-4-18

100%幸せですか?明るく生きる天才イタリア人の秘密

報告者:関マリアンジェラ (ピアニスト関孝弘氏夫人、東京音楽大学講師)


 

橋都:皆さん、こんばんは。イタリア研究会運営委員長の橋都です。きょうは土曜の夜、第418回のイタリア研究会例会に、ようこそお出でくださいました。
 きょうの講師は、マリアンジェラ・ラーゴさんです。演題名が「100%幸せですか。明るく生きよう、天才イタリア人の秘密」という題で、お話をお願いしています。
 ご存じの方は多いかと思いますけれども、マリアンジェラさんはピアニストの関孝弘さんの奥さまでいらっしゃいます。イタリアのブレシアの生まれで、ミラノ大学の生物学科のご卒業です。そして、ミラノでは、子どもの医療に対して大変活動されておりまして、現在でも日本で、神奈川県立子ども医療センターで子どもの医療とホスピスといった活動もされております。
ご著書として,音楽関係の「音楽用語のはなし」があります.ご主人の関さんとの共著ですけれども、日本で使われている音楽用語、もちろんイタリア語由来なのですが、それの本来の意味はどういうことかを語った、大変面白い本です。今回、新しく「ブリッランテな日々」ということで、イタリア人と日本人の生活の仕方はどこが違うのか、イタリア人はなぜハッピーなのかというご本を書かれまして、きょうは、そういった内容でお話をお願いしてあります。僕も既に読んでいますけれども、自然と日伊比較文化論にもなっているという、大変面白い内容です。
実はマリアンジェラさん、今週ちょっとのどを痛めまして、きのう、おとといと点滴をして、ようやく声が出るようになったということで、多少声がしわがれているのはお許しくださいということでございますので、よろしくお願いします。
それでは、マリアンジェラさん、よろしくお願いします。
マリアンジェラ:ありがとうございます。
 こんばんは。きょうは、忙しいところを沢山の皆さんにいらしていただいて、本当にありがとうございます。こういうチャンスをいただき、感謝いたします。イタリアについて話すときは毎回、2つの気持ちが一遍に生まれてきます。自分の生まれ育った国について話すのは嬉しくてたまりませんが、日本語でと言われると、やはり私にとって日本語は外国語だから、どこまで私が言いたいことが伝わるか、ちょっと心配な気持ちもあります。嬉しい気持ちと心配な気持ち・・・・こんな2つの気持ちを持ちながら、お話しさせていただきますが、今日はイタリア好きの方ばかりだから、とても安心しております。でも、本当に、もしわかりにくいなと思ったときは、遠慮なく表情豊かに分かる、分からないと「エスプレッシーボ」な顔をしてくだされば、皆さんの気持ちが私に伝わりますので、安心して話せるかなと思います。本当に遠慮なく言葉でおっしゃってください。顔でおっしゃってください。
 最初は、簡単な自己紹介をしようと思っていましたが、かなり紹介してくださったので、ちょっとだけ言います。私は、北イタリアの出身で、ブレーシャという町に生まれました。ミラノからベネーツィアに行く特急列車で最初の駅ですので、多分ご存じの方も多いと思います。ミラノの大学に通い、2つの専攻を学びました。1つは、生物学の自然破壊について、もう一つは人間の喉の生理学的な発音についての研究です。この発音についての研究は、イタリアの子ども病院で2~3年間ずっと続けていました。この研究のおかげで、今も東京音大で教えています。
 日本に来て25年になります。1989年9月に日本に来まして、翌4月の新学期から東京音大で教えることになりました。今年度で東京音大は26年目になりますから、生徒に「先生は骨董品です」と言われるようになりましたけれども、頑張って、元気に教えています。

 ミラノで結婚して、日本に来ました。10年ぐらい前に、さっき紹介して下さった音楽用語の本を出版しました。これはたいへん評判が良くて、主人と100回以上の講座で全国を回り、今も進行中です。講座では必ず最後に、何か質問はありますかと尋ねるようにしています。そうすうると、どこに行っても、必ず聞かれることが幾つかありますけれども、特に「本当にイタリア人は幸せですか」という質問が多くあるのに気づきます。「もちろんです」と、私はいつも自信を持ってそう答えます。でも「幸せ・フェリーチェ」という単語は、主人がイタリアに来たときに最も引っかかった単語だったと、彼はよく話しています。彼がイタリアに留学したときは、いつも会う人ごとに、「あなたは幸せですか」と必ず質問していたのを本当によく覚えています。

どのイタリア人からも「もちろん幸せ!!」という答えが返ってきます。すると主人は更に突っ込んで「じゃあ100%、幸せですか」と聞き返していました。するとイタリア人は「もちろん100%、いや120%かな」という答えばかりです。彼は100%の幸せなんかあり得ないと思っていました。それは嘘でしょうと。彼は日本から来たばかりで、よく言っていたのは「80%までは許せるが、100%はあり得ないのではないか」と議論していましたけれども、イタリア人は譲らないで、絶対100%と言います。これ以上、私たちは望みませんと。ですから「幸せ」という意味の単語「フェリーチェ」は、イタリア人にとっても、そして日本人にとっても大きな意味を持つ言葉ではないかと思って、今年春に出版した本のテーマとして取り上げました。

 イタリア人の幸せ感について今日はお話ししようと思いますが、幾つかのポイントを話してから、幸せについて語りたいと思います。まず、イタリアについて話すとなると、私が最も大事に思うのは建物です。建物というのは、歴史を指します。イタリア人にとっては、この深い歴史の国で生まれ育つということが大きな意味を持っています。私たちは生まれた時から、偉大な遺跡の中に身を置いています。ローマ時代からのものがどこにでもあり、転がっています。私たちにとっては、それは当たり前。何ともない。それが当然です。よく皆さんに話しますけれども、例えば、私の町ブレーシャの市役所は1,200年代の古い建物で、幅3メートルぐらいもある階段を何百段も登りきったところにある広間で、住民表などの書類を受け取るんです。壁、天井はアフレスコ画が描かれており、過去の偉大な遺産が至る所で、生活の中に溶け込んでいます。
町には教会が無数に存在し、モザイクで床や壁が敷き詰められています。そういう空間の中で毎日生きています。買い物に行くときも仕事に行くときも、こういう歴史ある建物の前を通り、中に入り生活しているのです。私の高校は宮殿でした。それもナポレオンが美しさのあまり購入したという宮殿なんですが、そこで5年間、私はアフレスコ画に埋め尽くされている高校の中で過ごしました。面白くない授業があるときなどは、私たちはふっと天井を見て過ごす時間が沢山ありました。面白くない授業よりもよっぽど勉強になりました。そういう本物を普通にずっと見られることは、私たちイタリア人にとってどれぐらいの財産か、これは住んでみないと、多分わからないと思います。

 何百年もの歴史に培われた建物の中で生きることで、私たちの判断力がすごく鋭くなってきます。私たちは、本物しか見ていません。常に本物しか見ていない人間というのは、本物ではない、あまり大したことのない普通の建物を見たときは、何がだめかは専門家でないので詳しいことは言えないけれども、良いのか悪いのか、自分たちの目で判断がつきます。これは、私たちにとってはすごい財産だと思います。たとえ誰かに良い建物ですと言われても、私たちは全然気にしないで、自分たちの頭で、自分たちの肌でこれは良いのか悪いのかを判断します。これは建物だけではなくて、ファッションでも何でも同じです。イタリアでは多くの本物しに接しているから、本物には私たちは反応するけれども、偽物に対しては自然に判断がつきます。これは、本当にありがたいことです。私みたいに外国に住む人間にとっては、イタリアで本物の中で育ったことによって、イタリアの素晴らしさに自信を持ってます。どこに行っても自分がイタリア人だと胸を張って言い切れるのがイタリア人だと思います。外国に住むことになっても、大きな自信を与えてくれたのが、イタリアの歴史の積み重ねである建築なんです。だから、イタリアについて話そうとすれば、建物の存在を無視して話すことは、多分できないと思います。

 もう一つ大きなポイント、今度は教育です。イタリアでは、どんな教育をしますかと聞かれ、「教えない教育です」と答えると、みんな嘘でしょうと言います。でも、イタリアでは「教えない教育」を教育と言います。本当に教えません。これがイタリアの教育です。それで、みんなは「どう教育するのですか。教えないなら、教育はできませんよね」と言います。確かにそうです。「教えない」というのは、多分、ちょっと言い過ぎで、「教え過ぎないこと」が、イタリアの教育においては基本だと思います。親になったり先生になったりと教育者側になると、この教え過ぎないことを実践します。しかし、簡単なことではありません。中でも「待つ」ことが一番つらいことです。この「教え過ぎない教育→待つ教育」が、イタリアでは基本なんです。教えないために大事なのは、待つことです。日本では、何を待つのかと聞かれます。イタリアでは、待つのは子どもたちの「やる気」。やりたい気持ちが生まれることを待ちます。イタリア式で考えれば、勉強したくない子どもに教えたところで、ものにはなりません。聞きたくないことを聞かされても、多分、片方の耳から入って、他の耳から出ていきます。こんなことでは、その子は絶対ものになりません。
そして教える側は疲れるだけです。勉強したくない人に教えても、意味がありません。ならば、そこまで教えなくてもいいのではないですか。もちろん、学校などでは最低限度は決められていますから、その最低限度は守ります。最低限度は教えますけれども、以上のことは教えません。先生は、本当に待っています。親も待っています。そのうち、どんな子どもたちにも、やりたい、聞きたい、という気持ちが自然と芽生えてきます。
子どもたちから質問が出たときは、先生も親も一生懸命教えます。私は、いつも簡単な例、分かりやすい例を話すようにしています。あまり難しいことを言うと、ぴんとこないことが多いので、私は自分の経験をいつも語っています。私の子どもが小さかったときに、イタリア語を教えたときのことです。長男のときは、家の中ではイタリア語のみでした。だから、彼が3歳になるまではイタリア語しか話せませんでした。片言で、ありがとう、すみません、さようならぐらいしか日本語は教えていませんでしたので、幼稚園に入って、日本語があまり通じなくて結構苦労しました。いろいろ問題がおきたので、私もまずかったかなと思い、2番目の娘のときは、日本語をベースとする生活をしました。少し大きくなって、そろそろもうちょっとイタリア語を教えようと思っていましたが、イタリア人は教え過ぎない教育ですから、彼女から教えてと言うのをずっと待っていました。私は教えたいけれども、彼女が教えてと言わない限り、私は教えませんでした。

 そんなある日、やっと「お兄ちゃんがイタリア語ができるから、自分もちゃんとイタリア語をやりたい。ママ、教えて」と娘が言いに来ました。待っていたことが「来たぞ!やりたい気持ちが溢れているのだから、教えてあげよう!」と心の中で大きな喜びを感じて、教え始めました。しかし、教え過ぎないことです。私は、彼女の反応を見ながら、面白くて、楽しくて仕方がないと最高の気持ちになった時に、「今日は、これで終わり」。彼女は「もっと教えて」、「いや、ママは忙しいから、今日はここまでにしましょう」と繰り返します。彼女は仕方がない、やりたくてしようがないけれども、ママは時間がないからと諦めて、また明日です。
なぜ私がやめたかと言うと、彼女が最高に楽しいときにやめれば、きっと次の日もやりたくなります。私はもちろん朝から晩までやりたいけれども、これはやってはいけないこと。一番いいときに止めて、また明日にしましょうと言います。こういうシステムを、私はずっと続けてきました。
 このシステムを使っているところは世界中でどこにでもあります。私は日本語の勉強のために、NHKの朝ドラを見ています。そこでは、見事に同じシステムを使っていると思います。15分番組で、毎日、最高のところで止めます。もうちょっと見たい、どうなるのかなというところでやめます。なぜやめるのか。やはり次の日も見たくなります。もし、その時点で結果が出たら、きっと次の日は時間があれば見るけれども、時間がなかったら、別に見なくてもいいという気になります。だから、同様に教え過ぎないシステムを上手く使っているではないでしょうか。教え過ぎない、良いところでやめる、やめるのは生徒のやる気を待つためです。イタリアでは、親や先生になったときに一番つらいことの1つは、この「待つ」ということです。

 もう一つ、教え過ぎないための基本には、こんな考えがあるのです。イタリアでは子どもを壺に例えます。子どもが生まれるときに、神様は種を1個ずつ壺に入れてくれます。この種は何の種か分かりません。この種が何なのか分からないのは、親も先生も同じです。親や先生の役目は何かというと、この種を立派な花になるまで育てることだと思います。だから、イタリア人の教育者は、自分の知識をこのつ壺に入れようとするのではなくて、その種が持つ才能を引き出す努力をします。才能はみんな違いますから、タイミングも違います。ですから同じやり方はできません。その種がもしコチョウランの種であれば、立派なコチョウランになるまで育てないといけません。もしチューリップの種であれば、チューリップが美しく咲くまで一生懸命やらないといけません。私は子どもを2人育てていますが、日本では何となく反対な気がします。子どもたちの学校の先生たちは、本当に一生懸命教えてくれます。先生が持っている知識を全て、子どもたちに教えようとしています。これは親としてはすごくありがたいです。本当に一生懸命、死ぬほどの努力をしてくれています。本当にありがたいです。ありがたいけれども、イタリア人の感覚で言えば、ちょっと危ないです。やはり、子どもたちに全部を教えてしまうと、子どもから知りたいという気持ちを殺すことになり、何となく危険ではないかな、受け身になりがちではないかな、と。イタリア人の感覚から言えば、全部を教えてしまうと、興味がなくなる危険があります。私たちは、絶対そんな危険なことをやってはいけないと思います。

日本で、もう一つ心配に感じることは、自分の子どもがチューリップの種で生まれているのに、コチョウランの花を咲かせようということ。親が子供はチューリップの種なのに、コチョウランになるようにすごく努力させます。努力をすることはすごく大事なのですけれども、限度があると思います。チューリップの種からはチューリップの花しか咲きません。美しい最高のチューリップの花が咲いたら、これは最高の喜びだと思います。けれども、もしチューリップからコチョウランを咲かそうとすれば、これは悲劇の始まりではないでしょうか。日本では、このような悲劇を何回も目にしています。
私は大学で教えていますけれども、「落ちこぼれ」という言葉は、私の気持ちが痛くなる単語です。なぜ、あなたを落ちこぼれと思うのですかと聞くと「私は本当は違う大学に入りたかったけれど、入れなかったからこの大学に来ました。だから、私はあまり出来ない人間なのです」と言うのです。でも、それはないでしょう。あなたは一生懸命やっているのだから、それで良いのじゃないですか。神様から受けた種から、思考に美しい花が咲いたなら最高の喜びと私は思います。イタリアでは、その子の持つ長所、能力が自然に出てくるまで、あまり教え過ぎません。中に詰め込むのではなく、他の色を入れようとするのではなく、『待つこと』、そして、その種の最高の良さを引き出すことしかできません。

 もう一つの基本は、教えないためには経験させることです。教えるよりも、自分の肌で経験したほうが、自分のものになるのではないでしょうか。私の子どもたちには色々な経験をさせました。私の個人的な例かもしれないですが、子どもたちがまだ小さくて、やっと歩き出したぐらいのころ、お客さんが来ると、彼らの役目は、コーヒーを出すことでした。エスプレッソを、子どもたちがお客さんに出します。これは、主人のお姉さんとかお母さんから、子どもにはやらせてはいけないとか、危ないとか、いろいろ言われましたけれども、私はコーヒーもそうだったし、包丁も小さいときから持たせました。もちろん、怖くて、見るだけでもとっても怖い。いつもすぐ隣には、もちろん私はいるのですけれども、彼らは何回もけがをしましたし、簡単なやけどもしました。いろいろな経験は、本当に勉強になって、彼らは包丁の危なさをよく分かっています。1回切れば、包丁が危ないもの、どういうものかが自分のものになります。分かってきます。
 私が思うには、3歳児で包丁で失敗したとしても、3歳児はそんな大した力がないですから、大したけがになりません。事実本当に、大した怪我にはなりませんでした。血が出るか出ない程度のものでした。幸い、そんなに大きなけがをせずに、子どもたちには大きな勉強になりました。これは、今になっても大きな経験だったと思います。
 だから、言葉で危ない、危ないと100回言葉で言って教えるよりも、1回指を切れば危ないのは自覚すると思います。もちろん、取り返しがつかないような事故があるかも、と考えると、どこまでやっていいのかは、とても難しいところですけれも、イタリアの教育で欠かせないのは、失敗させることです。言うよりも、経験してみたらと。自分の頭を壁にぶつけても、本物であれば、そして本当にやりたいのであれば、続けるでしょう。もし、そこまでで止まってしまうのなら、それはそれで反対によかったのではないでしょうか。失敗に気がついて、違う道をとるべきかどうかというのは、大きくなったときの問題だと思います。小さいときは、多くの小さな経験から生まれる様々な考え方を養うべきではないでしょうか。

もう一つイタリアで基本としているたいへん大事にしているのは「褒める教育」です。私は20年ぐらいずっと頑張って、褒めて褒めて、褒める教育が大事だとずっと言い続けて来たのですが、最初の頃は本当にいろいろ言われました。褒めるのは教育の中では甘やかしであり、あまり褒めてはいけませんと。日本では、スパルタではないけれども、結構厳しいところが多くて、私の周りは子どもを厳しく叱っていたお母さんが多かったです。学校でもかなり厳しく叱る場面を、私は時々目にしました。もちろん、いつも褒めるだけではいけません。どこの国でも、絶対許せないことは許せませんと厳しく叱るべきだと思いますが、それ以外であれば、イタリアではたくさん褒めます。褒める材料がないときでも褒めるのです。これがなかなかの苦労ですが、絶対に褒めないといけません。
この褒めることの大事さは、20年前にはほとんど理解してくれませんでしたけれども、今は日本でもかなり褒める教育を見直していると思います。子どものテレビの番組だったか、褒める歌ができているし、甲子園に行く学校の野球部の厳しいところでも、トレーナーや先生が、褒める教育を実践しています。どんなに失敗しても絶対に笑い顔で、何とかなるという教育が結構流行っています。そういう教育をやっている幾つかの学校を調査すると、子どもの成績が上がっていると、NHKの番組で目にした時は、やっぱり間違っていなかったと実感を覚えました。褒めるというのはとても大事なポイントではないでしょうか。
 私自身の経験で言えば、今でも心に残る経験を2つしました。褒めることによって、私にどれぐらいプラスだったか。叱られることによって、私はどのぐらい苦労したでしょうか。私の母は何でも良くできる女性で、私にはそれがちょっとプレッシャーだったところもありました。何でも、本当によくできます。だから、こっちから教えてと、何となく声をかけにくかったのです。あまりにレベルが高いというのは、子どもの私には壁が大きかったのです。彼女は刺繍も編み物も、何でもよくできます。私は、7~8歳のときには、刺繍をとてもやりたくて、勇気を出して、お母さんに刺繍を教えてくれないかと頼みました。そのときのお母さんの顔は良く覚えています。教えたくてしようがなかったのだけれども、私が頼むのを待っていたのです。やはり母も私に待つ教育していたのです。彼女からは絶対に「やろう」とは言いませんでした。私から言った途端に、彼女は喜んで、刺繍糸を全部出して、その場で教え始めました。私は楽しくてしようがなかったから、最初の日はずっと、刺繍をやりました。それで、夜になって、全部できたと思い、「ママ、見て」とその刺繍を上げました。するとテーブルクロスが刺繍と一緒にくっついてきてしまい、コップやお皿など、上にあったものが全部吹っ飛んでしまいました。刺繍に夢中になって、下のテーブルクロスも一緒に縫ってしまったのです。これを見た途端に、私は本当にがっかりしたと同時に、こんな失敗をしてしまい、どのぐらい叱られるのか・・・どうしよう、やらなければよかったと、真っ青になりました。
すると母は「マリアンジェラ、大丈夫。このテーブルクロスは古かったから、ちょうど捨てようと思っていたの。捨てるきっかけができて良かったわ」と、すごく喜んでくれて、はさみを持ってきて、テーブルクロスにくっついている刺繍を切って「ちょうど刺繍を飾るのにちょうどいい下地になる、最高!」と言って、玄関の一番見えるところにすぐ飾ってくれました。そして、次の日からお客さんが来るたびに「見て、マリアンジェラの作品よ」とすごく喜んでいました。母は私が失敗したのに、褒めてくれました。この時に褒められたことは、私にとって大きな大きな宝物の贈り物のように、心の底に残っています。いまだに覚えていますが、最初のお小遣いをもらったときは何を買ったかというと、刺繍の本です。私は性格的にあまりストレスがたまらない方かもしれませんが、ちょっと疲れたとか、何か悩んでいるとか、不安になったときは、私は自分の部屋で、刺繍をやり始めます。刺繍をやると、母の姿とか、私の失敗したときの姿とか、褒められたことの嬉しさなどが、心の中によみがえって、気持ちをすごく安定させてくれます。大したことではないかもしれませんが、やはり私にとって、いまだに大きな支えになっています。これが褒められたことによって、私にプラスになった例です。
 しかし、褒める教育をしている先生ばかりではありません。私は運が悪くて、高校のときに、そういう変な先生にぶつかりました。英語の先生でした。卒業して35年ぐらい経つのに、いまだに悪い夢の中でその先生が出てきます。そこまで傷つけられた先生でした。今は亡くなってしまっているので先生にはたいへん申し訳ないのですけれども、とても大事なことだから、お話をさせてください。
 イタリア人にとって悪い先生のパターンのイメージというのが、定番的に決まっています。それは、やせている女性で、メガネをかけて、年寄りで、独身。これが最悪のパターンの先生のイメージです。私の高校時代の英語の先生は、見事にこれらがぴったり全部そろっていました!痩せていて皮と骨しかない。大きなメガネをかけて、結婚していない年寄りでした。見た途端にどうしようと、クラスの皆は誰でも感じました。その先生は、特に女性には厳しくて、その厳しさは考えられないほどでした。生徒たちも親たちも他の先生たちも、その英語教師を学校から追い出そうと策を練ったのですが、全然うまくいかず、私は英語をずっとその先生に教わりました。自慢話ではないですが、私は数学だけはクラスの中では断トツで私はいつも100点をとっていました。数学だけは、です。国語は、全然だめでした。
 なぜかわかりませんが、彼女は私が数学でトップであることが全く許せなかったようで、会えば「あなたには、英語は絶対にできないですよ」と繰り返していました。「あなたはいくら勉強しても、絶対外国語に向いていません」とか、「あなたは絶対苦労し続けるでしょう」と、ずっと言い聞かされていたので、自分の中では私は語学はダメだと、思い続けてきました。私には語学はだめだ、だめな人間だという頭で、ずっと英語の勉強をしていました。結果は、やはり全然できなくて、私はずっとコンプレックスというか、外国語は嫌だなと思っていて、ずっと苦労をしました。
そんな気持ちを持ち続けていた私ですから、日本に来たときは、外国語だけどどうしようと、心配で心配で不安でいっぱいでした。でも、私はイタリア的な感覚で、住めば何とかなる。勉強ではなくて、住めば大丈夫、と。若さで走れば、勉強しなくても大丈夫だろうと思っていましたけれども、やはり何とかはなりませんでした。それで、私は読むのと書くのを覚えるためにはちゃんとした学校に通わなくてはいけないと思い、数年間一生懸命勉強しました。、日本語検定試験の1級はまだやっていませんが、2級までは学校を出たときには合格していました。一番うれしかったことは、この2級の免状を、英語の先生のところに、わざわざ持って行って見せたことでした。外国語は絶対に私にはクリアーできないと叱り続けられたにもかかわらず、漢字もあるイタリア語からはたいへん遠い言語の日本語を、不自由なく話せるようになったのです。

日本では、私はこんな顔をしているから、どこに行っても英語で話しかけられます。多分、皆さんは信じてくれないと思いますが、私は英語で話されると、鳥肌が立ちます。それはいまでも本当にそうなんです。テレビなどで、いきなり英語が出てくると、本当に私は苦しくて、吐き気がします。だから、その番組を換えないと、私は苦しくなってきます。主人はピアニストで、よく外国に行きますし、いろいろな外人の方と話すチャンスがありますけれども、私は英語だけは勘弁してくれ、私は無理なんです、受け付けられません。
高校が終了してから何十年もたっているから、やっぱり英語ができたらいいな、と本当に思うときがあります。気持ちを入れ替えて、これからきちんと英語を勉強したほうがいいのかなと、イタリアに戻った時には、CDがついている本を買ってきます。毎回、今年からは大丈夫と自分でCDを聞いて勉強しよう言い聞かせます。でも、日本に来て、1~2回聞いただけで、続けることができないのです。ずっとこんなことを繰り返していますから、今では何十冊もの英語の教科書が重なって家にあります。最近は、もう無理とやめてしまいました。
 変な話が長くなってしまいましたが、叱られたことによる影響がどれほどなのか、という褒められた時と逆の例をご紹介したかったのです。人は褒められたことによって、大きな良い影響を残します。刺繍が、私にとっては今でも、人生の支えの1つになっているのが良い例ではないでしょうか。反対に叱られたことによって、私は30年、40年たった今も、英語が体に入ってこなくなってしまいました。どんな害を与えられたか。確かに高校時代の私の苦手は英語でしたけれども、褒める材料がなくても、何か温かな視線で褒めようとすることが、とても大事なんです。
イタリアに住んだ方も、今晩ここにおられると思います。そんな皆さんは、きっと多くのイタリア人から褒められた経験を持っていると思います。ほとんどのイタリア人はよく褒めます。これはイタリア人にとって大きな財産だと、私は思います。教えない、褒める、経験させる、失敗させるというのが、大きなプラス面につながっていくと思います。

教えない、褒める、考えさせるということ全部が含まれている一つの例を話そうと思います。私の父は音楽が大好きな人でした。クラシックだけではなくて、いろいろなジャンルの音楽、ジャズ、ポップ、民謡など、音楽なら全部。私が小さかった頃は、家の中には常になんらかの音楽が鳴っていて、静かな時はほとんどありませんでした。私が起きるときには、もう音楽が鳴っていました。寝るときまで、年中音楽がずっと鳴りっぱなしの家でした。
 そのせいか分かりませんけれども、私は小学校2〜3年生のときに、ピアノを勉強をしたくなりました。イタリアでは、音楽を勉強している人はほとんどいませんので、家にピアノがある家族を探すのは大変です。本当に練習をするためのピアノを見つけるのはすごく大変なことだと思います。そんな環境の中ですから、ピアノを勉強したいと思うのは非常に珍しかったのですけれども、これは間違いなく、父親の影響だと思います。
音楽が大好きであった父に、私がピアノを勉強したいからピアノを買ってほしい、と言ったらきっと喜ぶだろうと思い、そのことを告げると、逆に反対され、音楽の勉強などとんでもないと言われました。私はたいへんびっくりしました。「音楽は芸術の1つであり、そんなに甘いもの、簡単なものではありません。そんな簡単な気持ちでやるものではありません。絶対許しません」と言うのです。「ピアノを買ってあげません」と言われました。私は、驚いてしまって、どうしようかと思っていると、彼は「ピアノは買わないが、レッスン代は出してあげる」と言うのです。それで会話は終わりました。
私は自分の部屋に入ってどうするか考えました。ピアノはやりたい。レッスン代は出してくれるとは言うものの、ピアノがないので練習できません。でも、少し考えて思いつきました。知り合いに珍しくピアノを勉強していたお兄ちゃんがいるのを思い出しました。私は小学生2〜3年生で、本当に小さかったのですが、子供なりに考えて、「そうか、ちょっとそのお母さんに頼めば、ピアノを貸してくれるかもしれない」と閃きました。すぐに家を飛び出して「すみませんけれども、私はピアノを勉強したいけれども、お父さんがピアノを買ってくれないから、貸してくれませんか」と交渉すると、そのお母さんは「もちろん、いいわよ。家にピアノがあるのにお兄ちゃんは全然練習しなくて、ピアノがかわいそうだから、ぜひ弾きに来て。えらいわね」と褒められました。私は毎日のようにピアノの練習に通いました。自分の親には、どこで練習しているなんて何も言わないで、レッスンに嬉しく通っていました。多分、親は私がどこで練習していたかは知っていたと思いますが、聞きもしません。レッスン代だけは喜んで出してくれていたのを覚えています。
その後1年ぐらい経ったある日突然、父が、ピアノのレッスンに一緒に付いて行くと言うのです。びっくりしました。父は、ピアノの先生にすぐに質問しました。この子はどんな感じですかと。先生は、褒める教育のイタリアですから、「こんな生徒を見たことがありません。私の生徒でピアノを持っていないのは彼女だけです。でも、みんなよりずっとできる生徒です」と褒めちぎってくれたんですね。それも本人の前で。私は嬉しいし、誇らしい気持ちに満たされたのをよく覚えています。私だけではなく、父もたいへん喜んで、先生がまだ話している途中なのに「分かった、分かった。ありがとう」と、私の手を引っ張って、そのまま楽器屋さんに行ってピアノをすぐに買ってくれました。父は、本当は初めからピアノを買ってやりたかったけれども、私の気持ちを1年間見ていたのです。本気かどうかを。私の本気の気持ちを待っていたんですね。
イタリアでは本気かどうか、まず待ちます。父も1年間、待っていました。子どもに責任を持たせて、親は教えずに本人に解決させます。ピアノがなくても、本当にやりたいのなら、頭で何かを考えてやり出す。責任を持たせる。そして後で褒めるのです。ピアノを買ってくれた後の父は、お客さんが来るたびに、私に「弾いて、弾いて。こんなに上手なんだ。私の自慢の娘なんだ」と、どこに行っても、自分の娘をピアニストみたいな感じで紹介していました。趣味程度のピアノの域なのに、私は彼の自慢の娘でした。

 こんな「褒める教育」「待つ教育」「本物の中で生きる」「教え過ぎない教育」・・・などなど、幸せになれる地盤がたくさんイタリアにはあります。歴史の中で培われてきた本物の美が、ローマ時代からの遺跡がどこに行っても目に映り、人々は褒められて成長します。何をやっても大丈夫というわけではないけれど、かなりの部分が許される世界、となると、心はほっと安堵し、自分の才能が自由に伸ばせる最良の地盤があると思います。では、それだけで幸せになれるのかというと、もちろん、それだけではないけれども、大きな一歩だと思います。
 もう一つの大きな特徴は、私たちイタリア人は本当に幸せか?と聞かれれば、私は本当にその通りだと思います。もちろん私に聞かれたら、100%と言い切れます。私は私以上に幸せな人はいないかな、とも思っています。もちろん、悩みとか問題とかは、生きていれば、つきものだと思います。問題は幾らでも、私にもあります。悩みもたくさんありますけれど、本当に素晴らしい家族に恵まれ、家もある。元気に素晴らしい国に住んでいる。これ以上、何を望むのか?望むものが、私には1つもありません。だから、本当に私は幸せでしようがありません。主人からも、何でこんなに幸せなの?とよく言われます。夜になってベッドに入ると明日は何を着ようかな、明日はどんな日になるのかなと、本当に楽しみでしようがありません。ベッドに入った数分後には、すぐに眠ってしまいます。主人も呆れるほど、すぐに眠ってしまいます。次の日はどうなるか、私は楽しくてしようがありません。前の晩は、そんな期待感に満ちた気持ちで寝るので、本当にぐっすりです。泥棒が入っても、何が起きても、私はきっと気がつきません。そのぐっすりの中で、夢の中で寝る直前に思ったことが見えてくるので、朝起きると、元気でしようがありません。目覚ましが鳴った途端に、私はぱっと起きます。だって、1秒も無駄にしたくないからです。鳴った途端に起きるのは、心臓に悪いので、2~3分ぐらいベッドの中で待っていてと言われます。しかし、本当に1秒も、私の人生を無駄にしたくないのです。だから、本当に生き生きと、起きたいという気持ちで起きますから、自分は200%幸せな人間かなと実感するのかもしれません。
 なぜそうできるのかというと、「私は私」と言う個人の軸がきっちりと確立しているからだと思います。イタリア人の多くは、誰でもがそう思っていると思います。私たちイタリア人が最も大事にしているのは、自分自身です。私は私、あなたはあなた、という個の確立ができています。その個を磨くことを大事にしています。これを言うと、いろいろな人から、それはエゴイストというものでしょう、と質問が帰ってきます。自分のことしか考えない、自分勝手な世界ではないかと。しかし、私は、エゴイズムという世界ではなく、インディビドゥアリズムという個人を大切にする個人主義に近いのかなと思います。

 やはり、自分を大事にすることは、絶対に大変重要です。「まず自分」です。より良い自分になるために生きているのが人間だと思います。イタリアでは小さいころから、学校から、親から、自分の頭で、自分で何でもやることを教えられます。人の考え、人の意見はあまり聞きません。まずは自分で考えて、それから他人の意見です。私もその一人ですけれども、他人に振り回されないというのが、個を確立する大きなポイントかと思います。もちろん、悪いこと、失礼なことを自分勝手にやってはいけません。自分がしっかりと確立していれば、自ずとそんな自分ではない、という意識が芽生えて、とんでもない失礼なことはしないものです。何を言われても、自分が良いと信じることは、最後まで、頭がぶつかるまでやり遂げてみることです。

私の小さかった頃を思い起こすと、女の子と遊んだことがほとんどない、という変わった女の子でした。男の子ばかりと遊んでいました。友達のほとんどは男の子でした。私にとって一番つらい3年間だったのは、中学校のときです。なぜなら通った学校は、女子校だったから。私にとっては最悪。小さい頃から私は外で泥んこになって、サッカーをしたり、スポーツをしたり、活発なことが大好きで、お人形遊びというのは、私の遊びではありませんでした。
小学校のときは、サッカーチームに入りましたが、女子は、私一人でした。町全部の中でも、女子は私一人でした。私の所属したチームはすごく強くて、毎年優勝するほどのチームだったので、練習もきつく量も多くて有名なチームでした。そんな強いチームでしたが、女の子がいるチームということでも有名でした。「強い女の子がいるチーム」というのが、チームの名前になったほどです。果てには、私は女ボスのような存在となっていて、友達の男の子がけんかをすると、マリアンジェラが助けに行くというパターンが通常になっていました。私は柔道もしていたし、男の子の間でもマリアンジェラには気をつけろ、というような今になると恥ずかしいような女の子時代を過ごしました。でも、すごく楽しい小学校の思い出はたくさん残っています。
いろいろな人から、女の子のくせに何で柔道なんかするのか、男の子に混ざってサッカー?といろいろ言われましたが、私はまず自分で考えて、自分がいいと思ったら、絶対に動きません。自分がいいと思っているから自信を持ているし、何を言われても怖くないと思っています。いつも最終的には、自分で物事を決めています。これはイタリア人の強いところの1つです。自分で決めるということは、よく考えて、考えて、何回も繰り返し考えます。そして色々な意見を聞いたとしても、最後は自分で決断します。このことは、とても大切なことだと思っています。自分で決めれば、後悔もしないし、責任逃れもありません。
 もう一つ大事なことは、みんなと違うことでも、自分が良いと思ったら最後までやり通すことです。小学校、中学校、高校もですけれども、主人がびっくりしていたのは、例えば点数のつけ方です。日本的にいくと、答えが間違っていなかったら100点がもらえます。イタリアでは、数学の問題でも何でも、特に数学で、私も経験したことがありますが、完璧であっても100点はなかなかもらえません。100点をもらうには、みんなと違う解き方、先生が教えていない解き方をすれば100点満点なんです。教師の方も、生徒の考えをじっくりと聞き、様々な意見を引き出そうと心がけます。これはとても素晴らしいことです。先生が教えていないやり方で解くのは、本当に頭が良くなければできません。先生がおっしゃったとおり解けることも、もちろん素晴らしいことですが、よく勉強して、よく練習すれば、誰にでも出来る可能性がありますから、90点です。100点とは、自分で考えて自分で出した答え、という個性が溢れていることが必要です。自分の強さを表しているから、その回答は100点です。みんなと同じではなくて、「自分」が輝いているのです。自分がそう思って、自分の頭で導き出した答え。これを100点満点と認めるのです。教育の中では、いつも「自分で考える」ということを大事にしています。ほかの人が何をやっているか、どうやっているかを見ないで、まずは、あなたはあなたでということを大事にしています。私は日本で子どもを育てましたが、日本では反対に、みんなと同じでないといけない、ということが、大きな悩みごとの一つでした。

特に長男を育てるときに、この悩みをたくさん感じました。私の長男は、自分で自分のやりたいことをやるタイプの子どもでしたので、時々みんなと同じでないということが、小学校でも何回かありました。もちろん失礼なことはやってはいけないし、彼はやっていませんでした。しかし、時々みんなと違ってしまう行動があると、リズムを乱す、協調性がない、というご指摘を受けたりしました。悪いことをしなければ、人とは違っていてもいいのではないかと、当然ではないのか、と何回か議論を先生としました。
相手を認めるということは自分も認められるということ。それぞれの個がうまく交流し合えば、こんな素晴らしい世界はありません。本当に何回も、価値観の違いが悪いことなのか、と議論をしました。それで、先生も諦めたのどうか分かりませんけれども、少しずつ子どもも日本の感覚を覚え、慣れたのか分かりませんけれども、少しずつ問題はなくなっていきました。
教育もそうですが、イタリアでは宗教が大きく影響を与えています。私は、あまり宗教については話したくはありませんが、いろいろな宗教が世界にはあります。イタリアを語るのならば、キリスト教という宗教なしでは語れない部分もあると思います。イタリアのキリスト教は、ほとんどがカトリックです。キリスト教の教えの中で1つのポイントは、相手を自分と同じように思うということ。相手の立場に立ってください。相手も自分と同じ人間だから、それを守ってください。相手は自分と同じです。だから、結局は自分にところに全てが戻ってきます。
自分はどういう自分でいたいかが大事です。だから、宗教の中でも、自分が大事になってくるのです。相手は自分と同じですから、相手にはどのように接すれば良いのか、と考えます。いい自分が育たない限り、相手といい関係はつくれません。私たちは、生まれたときからずっと自分以外の何者でもありません。どういう自分でいたいか、どういう自分になりたいかという頭が年中、誰にも働いています。私たちが磨かなくてはいけないのは、どこに行っても絶対に恥ずかしくない自分でいることです。だから、悪いことをやってはいけません。これはどこの国も同じだと思います。

私が日本でときどきびっくりしていること、残念だと思うことがあります。日本は、イタリアでも良く知られていますが、日本以上に親切な国はないということです。私は本当に日本が大好きです。私はイタリア人ですが、主人より日本が大好きです。私たち夫婦は、日本が大好きなイタリア人とイタリアが大好きな日本人です。
うまくクロスしているから、完璧な夫婦かもしれません。時々、どうなっているのと思われるくらい、私は日本が大好きです。本当に大好きだから、少しでも良くなればという気持ちを込めて、気がついたことをときどき話しますけれども、そんなに悪くとらえないでください。
私が残念なときがあるのは、日本はすごく親切なのに、ときどき、本当に親切なのかと思ってしまうことがあります。例えば、よく見かけるのは、目上の人にはすごく親切で素晴らしいし礼儀正しいです。私は、大学にいるときは先生だから生徒がすごく親切です。親切過ぎるかもしれません。だけども反対に、目下に対しては親切に接するか?目下の人に失礼な態度をとるのをよく見かけます。実はこの「目下」という単語、私はあまり好きになれないです。目上と目下という上下関係のある社会、とっても悲しく思います。

 ある私の生徒が、留学資金を貯めるために居酒屋でアルバイトをしていました。お料理を運ぶ彼に対して、お客さんはものすごい態度、失礼な態度で接していました。アルバイトのお兄ちゃんだから、そういう話し方をしたのでしょうか。私は失礼な話し方を目の前で見てしまったので、帰るときにお客さんに言いました。彼は日本でも優秀な生徒で、留学資金のために・・・そして最後に芸大をトップで卒業したばかり・・・すると「え、芸大でトップ!?すみませんでした・・」と。なぜ態度が変わってしまうのでしょうか?
人を見て親切にするのではなくて、本当に自分が親切な人なら、目上、目下なんかは全く関係ありません。全ての人に対し同じ態度になるはずです。自分が親切な人でいたければ、誰に対しても同じく親切になるはずです。
イタリアでは、自分はどういう人間か、ということがとっても大事にしています。私は、自分に余裕があれば、自分が本当に親切であれば、自分の個がしっかり確立していれば、ほかの人にもその気持ちを分けることができると思います。幸せも同じです。そして親切も。本当の幸せ、本当の親切は、自分が「本当」を持っていれば必ずできます。

これは、私が日本で経験したことの一つです。雪が降ってきたので、私は家の前の雪かきをちゃんとして、生徒さんも来るかもしれませんから、一応きれいにしました。雪はその後も降り続けました。雪かきをもう一回やりましたが、さすがに3回目は、外出することもないし、生徒さんももう来ないから、面倒臭くてやりませんでした。
そんなときに電話がかかってきて、小包みを出しに行かなくてはならないことが起きました。私の家の近くには階段があるので、滑ったらどうしようとすごく心配しながら、重い小包みを持って郵便局に向かいました。階段のところに来ると、雪の上で一人のお爺さんが雪かきをやっていました。降り続けている雪ですから、きっとおじいさんは何回か雪かきをしたのだと思います。しかも、誰のためということではなくて、階段を通るかもしれない人のために。素晴らしい本当の気持ちを持ったお爺さんだと私は感じました。自分の家からずいぶん離れたところにあるこの階段を1段ずつ全部きれいにしていました。私にとってどれぐらいこの親切がありがたかったか。私はそのとき階段を安心して通れました。私はお爺さんの本当の親切に接し、自分が恥ずかしくなりました。生徒さんが来るかもしれないという理由があって雪かきをしていたこと、そして自分は外出しないし誰も来ないだろうと思って手抜きした自分に気がつきました。日本人のお年寄りの方がやっていた親切によって、私は本当に反省しました。私は家に帰ってから、同じように家の前を雪かきし直しました。1人の本当の気持ちを持った1人に影響されて、私も同様の行動をとり、親切は2つになりました。気持ちに本当の余裕を持っていれば、それを分け与えるることができると思います。だから、私は幸せというのも同じだと思っています。自分が幸せであれば、ほかの人にも幸せを分け与えることができる。やはり、まずは自分が幸せになりたい、と思うことはエゴイズムではありません。もし、自分が本当に幸せなら、この幸せをほかの人にも分けることができるのです。けれども、自分が幸せではない、自分はいらいらしているのであれば、自分に余裕がなければ、ほかの人に幸せを分けることは絶対にできません。

 私がこの新しい本「ブリッランテな日々」を書こうと思ったきっかけは、一人でも多くの方々に、イタリア流の幸せを分かち合えたら素晴らしいと思ったからです。ほんの少しだけ視点を変えれば、誰でも簡単に幸せになれるというのをお伝えしたかったからです。
日常の些細のことの中に、たくさんの幸せが潜んでいるということ。ただ見えていないだけなんです。多くのイタリア人は楽しく明るく生きている幸せの天才かもしれません。
幸せに近づく一つの大事なポイントは素直でいるということ。この素直でいるということは、まず自分の思っていることを言い切ることだと思うのですが、日本では、そう浸透していません。私は、いつも素直に思ったこと全てを出す人間なんですが、私の主人はピアニストですので、コンサート前などには、あまり心に思っていることを出しすぎないように、心がけています。しかし、あまりうまくいきません。彼が外出から家に戻ってドアを開けると同時くらいに、今日の出来事から始まって、色々と思っていることが出てきてしまいます。本当に主人にはすみません、という気持ちがあるのですが、心の中を隠すことができません。
 演奏会のあとに話そうと思っていても、多くの事柄について話してしまいます。時々、議論になる可能性もありますが、もしかしたら却って良いのかもしれません。私は、全部吐き出すと明るくなって軽い気持ちになりますから、私は主人に対して常にストレスがたまらない状態で接することができます。その時一瞬は主人にとっては大変かもしれませんが、長い目で見るとウソの私ではないのですから、家族もすぐに受け入れてくれて、家族も素直になれるわけです。本当の気持ちを素直に表せば、最高に幸せな家族を作ることができると信じています。
 大切な人には絶対ウソをついてはいけません。もし、私は言いたいのに言わないという状況を作れば、それは偽りの自分を作ることになります。本当の私の姿ではありません。思っていることを素直に言わないのは偽りの姿です。特に家族の中では、偽りの姿は絶対に作ってはいけないです。
 だから、私はいつも素直に心の中を100%言わせてもらいます。多分、全てのイタリア人は、そうしていると思います。気持ちにあるもの、それはもちろん失礼な言い方とか失礼なことをしてはいけません。心の中を外に出せば、中には何も残りません。晴れやかです。気持ちの中は嫌なことがゼロです。イタリアでは、街角で、喫茶店で、家の中で・・どこでも、それぞれが言いたいことを言い合っている姿をよく見かけます。それも大きな声で。日本人が見れば、きっと喧嘩をしているように見えるでしょう。しかし、これは議論なのです。相手を認め合っていますから、喧嘩には絶対なりません。お互い自分の主張を言い合っているだけなのですから、何のわだかまりも後には残りません。どんなに意見が違っても、「じゃあ、また会おうか。楽しかったよ。」と言って、笑顔で握手を交わして家路につくイタリア人の姿を、きっと街角で皆さんもよく見たことがあるのではないでしょうか。
 
 イタリアでは、何を思っているのか、どう思っているのかをはっきりと伝えなくてはなりません。お互いに考えや思っていることがはっきりと解っていれば、誤解も無くなります。ですから本当のことが分からないと私はとても不安になります。私は大学で教えていますが、時々生徒に、ご両親と何か疑問点があれば議論はしますか?と尋ねるのですが、ほとんど返ってくる言葉は「いえ、できません。せっかく大事に育ててくれているので悪くて何も言えません」と。でも、それはご両親にウソをついているのではないでしょうか?言いたいけれど言わない。しかも一番大事な家族にも・・・私には驚きです。では、教師には思っていることは言えますか?と訊くと、これも答えは同じです。思っていることを言わないのです。
 もし、思っていることを言わないと、相手には伝わらないので何も改善しません。ご両親も教師も、何も変えようとはしません。しかし、素直になって心に感じていることを伝えれば、そのことは相手の心の中に残って、何かの変化を必ずもたらします。大きく変わる可能性も秘めています。
 その何も言わない生徒さんというのは、自分の中に偽りのもう一人の自分を作っているのです。それを演じ切れれば良いかもしれませんが、それはストレスが溜まる一方です。「じゃあ、友達だったら言えるでしょう?」と質問すると「いいえ、言えません。だって思っていることウィったら喧嘩になってしまいます」という答えです。でもこのような関係って友達ですか?お互い相手を認めていれば、意見が違っても、認め合えるのではないかと思いますが、日本ではなかなかその関係がうまく働きません。
 皆さんは、いろいろな人と接すると思いますが、相手によって自分の接し方を変えていたら、とても疲れます。何人もの自分を演じなくてはならないわけですから、それは大変大きな心の障害になって、体に、そして心にのしかかってきます。これを続けるのは無理です。私たちイタリア人にとっては、これはあり得ない世界です。どこにいても、誰と接していても、本当の私の姿を自然に見せることができれば、心は晴れやかになります。もし、間違えてしまったなら、「間違えました」と素直に謝れば良いことです。違う意見を投げかけられたなら、「私の考えと違いますが、少し考えてみます」と言ってみたらいかがですか?自分の意見もはっきりというけれど、相手もはっきり言う。お互い、心は晴れて澄んでいます。気持ちも軽くなります。ストレスもありません。素直でいられることが、どのぐらい大切か。自分の幸せにつなげるためにも、とっても大切ではないかと思います。

 私を幸せに結びつける、もう一つの大きな存在は家族です。もちろん、日本の皆さんの誰もが家族を大事にしていると思いますが、大学の生徒に「家族といっしょに何回くらい食事をとりますか」と聞くと「・・・・」と考えた末「2〜3回でしょうか?」と答えます。「ふ〜ん、週に2〜3回ね」と私が頷くと「いえ、週ではなく月にです」「えっ!月に2〜3回!あり得ないけど本当に?」「はい、私はアルバイトで、兄弟は塾に、父は残業の毎日・・・・・朝は、もうバラバラの時間で、ゆっくりと食事なんかしません」という家族が多いみたいです。
私たちイタリア人にとって最も大事な時間は食事の時間です。夕食は家族一緒に取るというのが、どこの家庭でも基本です。特に子どもが小さいときは、食事の時間は最も大事な時間です。食事をしながら、今日1日の出来事を話す。食欲、顔色とかを見ていれば、子供たちに何か変化が起きているのかいないのか、がよくわかります。友だちの関係はうまくいっているのか、などなど様々な事柄を知る上で家族が揃って食事をする時間というのは、たいへん大事な時間です。家族が素直に向き合える時間であるからこそ、何か問題があったらすぐに分かります。だから、家族が一緒に食事の時間を取れないということは、私にとっては考えられません。私の子どももだんだん大きくなってくると、それぞれが自分たちの世界を持ち始めて、一緒に食事ができない日が数日続くことが時々起きるのですが、そんなとき私はすぐに「ここはホテルではありませんからね」と言って、一緒に夕食を共にするようにセッティングします。「あなたは、明日は何時に帰ってくるの。家はただ食べて、寝る場所と思わないで。家族が一緒に集まって夕食するのは大事なことでしょう?この時間を大事にしたいから、明日の食事の時間は絶対に守ってね!」と、必ず牽制するようにしています。
 私は今でも必ず毎日「あなたは何時に帰るの?」と全員に聞いて、一番最後に戻る人に、夕食の時間を合わせます。最後に戻って来る人が、例えば8時なら「明日の夕食は8時にしましょう」と、皆にその時間を確認します。もちろん11時、12時と遅い時間に戻るのであれば、「じゃあ、悪いけど、私たちは先に食べますからね」と伝えておきます。本当にイタリアは家族を大事にする国です。そんなベースがあるので、大きな家族意識を持つ集団のマフィアのような組織が出来上がる土壌があったのかもしれません。良い意味でも、悪い意味でも、私たちイタリア人というのは家族をたいへん大事にして、その強い絆は簡単には切れません。家族のためならなんでもするという意識が非常に強いです。
 家族はなぜ幸せの大きなポイントなのか、というと家族は逃げ場所だからです。「逃げ場所」というと、日本語ではあまり良い雰囲気を持ちませんが、やはり私にとって家族は「逃げ場所」と思っています。どんなことが起きても戻れるところ、逃げられる場所なのです。最悪の状況になった時、家族は絶対に味方です。何か悩んだ時、仕事がなくなった時、病気になった時・・・・自分を温かく包み込んでくれるところ、守ってくれるところが家族です。

 もちろん日本人も強い家族の絆はあると思います。この家族の存在が心の中のものすごい支えになるのです。絶対に見方がいるということをベースにして、私たちは毎日安心していられます。イタリア人にはキリスト教的な意識も大きな影響があるでしょうが、家族の存在感は特別です。家庭はホテルではない、というのを忘れてはいけません。
 イタリア流の幸せにつながるもう一つのポイントは、精いっぱい生きるということ。どんなことも精いっぱいやる。精いっぱいやることが、どんなに私たちの勉強になっているのか。その良い例が、夏休みです。イタリアは、多分ご存じだと思いますが、学校はだいたい6月15日に年度が終わり、新しい年度が始まるのは9月15日です。この3ヶ月間が夏休みです。私が小さかった頃は、新年度は10月1日でしたので3ヶ月半の夏休みでした。イタリアでは塾はありませんし、習い事をやることもありませんから、6月15日になったら、9月15日までは強制される時間というのは限りなくゼロです。学校の夏休みの宿題といえば、薄っぺらい問題集を渡されるだけ。子どもたちは、学校から家に帰ると、すぐに宿題を始めて、夜までに終えるようにひたすら頑張ります。終わったら、カバンに問題集を入れ、あとは始業の日の9月15日まで開くことはありません。そしてどこのお母さんも始業の日にかける言葉は「カバンは拭いた?」
 私はこの夏休みの3カ月間は宝物だと思います。この3カ月間はやることが一つもありません。子どもにとって、この長い夏休みがどのぐらい大切だったのか、私は大人になってから強く実感しています。私たち家族は、子どもたちの終業式を待って、すぐにイタリアに出発します。ミラノ空港に降りた途端に、私たちが一番感動するのは、イタリアの夏休みのにおいです。小さいときに過ごした3カ月は本当に楽しかったです。その3カ月の匂いが私の心に蘇ってくるのです。この3カ月間は、義務が一つもなく、本当に自由に友だちとやりたいことをやれる時間なのです。私たちは子供心に、夏休みにやりたいことをまず考えます。何をしようか、どのように過ごすか?全部自分で考えます。自分でスケジュールを組み立てます。自分で自分の夢をどんどん大きくしていきます。時間の余裕は3カ月と十分にあります。何をするにしても、余裕がいっぱいの夏休みです。
 私の二人の子どもたちは、日本の学校に通っています。日本の学校は7月20日頃が終業式ですので、私たちは翌日の朝には、成田からイタリアに向けて出発するのが習慣になっています。イタリアに着くと、二人の子どもたちはイタリアで待っている友達に連絡を取ってすぐに交わす会話は「僕たちは昨日学校が終わったばっかりなんだ。すぐにイタリアに来たんだよ」するとイタリアの友達は「えっ!昨日まで学校があったの?僕たちはもう1カ月も前から夏休みだぜ!日本ってたいへんな国だね・・・」云々。そして8月31日に日本に戻る時期が近づくとイタリア人の子どもたちは「えっ!日本は明日から学校が始まるの?僕たちはまだ2週間も夏休があるんだ。もう遊び疲れたから早く学校に行って皆と会いたいな」云々。私の子どもたちは「もっとイタリアに居たいな〜、もっと遊びたいな〜イタリアはいいな〜」と気も重く日本に戻って、その翌日から学校に通い始めるのです。
 イタリア人の友だちは「私たちは学校に行きたくてしようがない」というフレッシュな気持ちで学校に向かうのですが、日本人の子どもたちは「学校に行きたいなんて一度も思ったことがない」と言っています。私も子どもの頃は、学校に行きたくて行きたくてしようがなかったのをよく覚えています。ですから、二人の子どもが、私と同じような気持ちを持たずに、子ども時代を終えてしまうのには、とても心が痛みました。このイタリアと日本の子どもたちの心の持ち方の大きな違いは、新学期を迎えて新たに勉強を始めるにあたり、成長する子どもたちの、その後の結果にも大きく何かが変わるのではないかな、と思います。長い3カ月の夏休みは、子どもにとっても大人にとっても、心の大事な充電の時なのです。
長い人生、充電をせずに発電ばかりしているのでは、いつかエネルギーは切れてしまいます。精一杯遊ぶことにより、勉強も夢中になれるのです。遊ぶことは勉強にとっては無駄と思う方も多いかもしれませんが、それは大きな間違えです。何もしない時間は、何かを熟成させるために必要不可欠な時間なのです。そして、何か好きなことを精一杯できる時間でもあるのです。人間にとって大きな財産をもたらす時間なのです。ですから、私にとっても、未だにこの3ヶ月のイタリアの夏休みの匂いが消えません。

私は日本では、子供達を8時には寝かせるようにしてきました。いつも「もう暗くなったから寝る時間よ」と言って、遅くとも9時までには、子供達をベッドに連れて行っていたのですが、イタリアの夏は夜9時半頃まで明るいのです。外では子供達が夜遅く10時頃まで遊んでいて、楽しそうな声が聞こえてくるのです。「ママ、まだお友達は外で遊んでいるよ。まだ明るいよ・・」と二人の子供達の生活リズムは、着いたその日からイタリアのリズムへスイッチ・オンになってしまいます。日本で言い続けた「夜は早く寝なさい」と習慣づけてきた時計の8という数字は崩れ落ち、世界は様々、生活リズムも様々、というのを子供達も実感して、朝から夜遅くまで遊んで遊んで、元気いっぱいの夏休みが始まります。
外で遊ぶ子供達の足は夜には真っ黒となり、空気が乾燥しているのでカカトが割れ、そのひび割れの中には、砂とか土が入って真っ黒です。そのカカトの黒さは、幾ら洗ってもなかなかとれません。イタリアは体を浴槽の中で洗います。私の子ども時代の経験を思い出すと、寝る前に子どもがお風呂に入ると、お湯は真っ黒になってしまいます。お湯を流してもう一度洗わないときれいになりません。3ヶ月間、毎日こんなお風呂を繰り返すのですが、カカトの黒さを取るのは簡単ではなく、だんだんとより黒くなっていきます。このカカトの黒さは、子供達が精一杯遊んだという証であり、夏の勲章なのかもしれません。将来、幸せの道を歩む第一歩のような気がしてなりません。子供達は、夜遅くまで遊ぶ中から、人間関係を学びとり、たくましく成長していくのを感じます。幸せにつながることを精一杯やることは、とても大事なことかと思います。

 もう一つ、イタリア人のよさは、オプティミストであることです。常に前向きです。私もその1人ですが、どんなことがあっても壁に立ち向かおうとします。そのときは壁を乗り越えられないかもしれませんが、頑張っていればいつかは越えられるものです。私も壁を乗り越えられないのではと思ったこともたくさんありますが、まあ何とかなるさと頑張るようにしています。目標に辿り着かない、これはあり得ない、真っ暗でもう生きていくのも辛い、と思ったことも何回もありました。しかし、今となると、その時の苦しさがあったからこそ、今、こんな幸せになっているのだと思います。人間は苦しむために生まれてきたのではなく、幸せになるために生まれてきたのです。

 今回の本「ブリッランテな日々」にも書きましたが、私がもっともつらかったのは、中学が終わり、高校に入学したときに最愛の父が亡くなったことです。これは私にとって、いろいろな面で大変でしたが、でもそれがあったから、最も大事なことは何なのか、という価値観をとても早い時期に教えてもらったような気がします。父の死を経験したことによって、私は1日も無駄には絶対にしないように心がけるようになりました。大事なものは何か、感謝の気持ちとは何なのかと常に考え、それを探し求めるようになりました。
今があるから、未来がやって来ます。そして、今が過ぎ去ると過去になります。今が軸となって、過去になり未来につながっていきます。従って最も大事なのは「今」なのです。「今」を大事にすべきです。今を大事にきちんと過ごしていれば、それが過去になるのですから、素晴らしい過去が積み重なっていきます。素晴らしい「今」が続けば、当然素晴らしい未来へとつながっていきます。
 未来ばかりを見ても、未来はまだ来ていませんので誰にもどうなるかは分かりません。夢を見るとか、将来の計画を立てるのは良いけれども、今、現在が最も大事な時であるというのを忘れないでください。今をきちんと生きていないというのは、最悪の状況であり、大きなマイナスの出来事です。過去は現在、そして未来への教えの世界です。過去の出来事が辛くても、それは、現在、未来で必ずプラスに作用します。 
 英語教師の話も、私が最も傷ついた1つだと思いますけれども、しかし彼女のおかげで、日本語をマスターすることができました。私には外国語は絶対に話せる湯にはならないと言い続けられたが故に、その反動で、私は日本語は絶対に話せるようになりたいと強く思いました。だから、どんな悪いことが起きても、それは未来への教えであると、今は思うようになりました。
 私が何不自由なく日本で生きていけるのは、外国人であるのに日本語を話せるということが、大きくプラス面に働いています。多くのイタリア人はマイナス的な悪いことが起きたとしても、その時は辛いのですが、その辛さはきっとより幸せになるためには必要なんだと捉えようとしす。だから、イタリア人はオプティミストだと言われるのだと思います。
 
この新しく出た本「ブリッランテな日々」(晶文社刊)の中で、私が言いたかったのは、幸せはどこにでもあるということです。イタリア人は、幸せを天才的に感じるかもしれませんが、幸せはどこにでもあり、誰にでも手が届きます。ただ、気づくかどうかの問題です。これが、イタリア人はうまいのです。幸せが感じられることがうまいのです。この本には、幾つものヒントが書かれています。こうすればいい、というような How to 的なやり方ではなく、イタリア人はこうしているのだから、私にもできる、と何かを感じていただければ、誰にでも幸せが見えてきます。自分で感じて考えて、自分から自身を見つめなおせれば素晴らしいです。今のままで良いのです。ただ、ほんの少しだけ視点を変えれば良いのです。イタリア人だからできて日本人にはできない、と言うことは絶対にありません。この本をお読みいただければ、誰でもイタリア人と同じように、幸せになれると思います。
 
 私が、いま気にかけていることがあります。大学の生徒たちに「もし生まれ変わったら、何人になりたい?」と尋ねると、日本人と答えることはほとんどありません。多くは西洋の国に生まれたいようです。アジアの国を答える生徒は皆無です。なぜ、また日本人に生まれたいと答える人が少ないのでしょうか?とても心が痛みます。もし、私に同じ質問があれば、迷うことなくイタリア人と答えるでしょう。多くのイタリア人がそう答えると思います。イタリアという国に対して、イタリア人の間の議論の中でも否定的な意見が飛び交いますが、では、他の国に生まれ変わるとしたら、どの国にしますか?と聞かれれば、普通のイタリア人だったら、きっとやっぱりイタリアに、と答えるのではないでしょうか。国の状況がどんなに危うくても、個人の幸せとは関係なく、皆幸せに暮らしているのが現状です。これが、イタリアの強さなのではないかと思います。自分の国の素晴らしさをよく知っていて、満足感を持っているのです。反して、日本人は自国に満足感はあまり感じ得ていないような気がします。
日本人が日本に愛着を強く感じていないことは、私は心配でなりません。私の二人の子どたちは、日本の学校に通っていますが、将来大人になった彼らの社会が、自分の国を愛せない人が溢れるのは、少し心配です。日本人でなくて良かったと思う社会現象は望ましくないです。
 だから、自分の子どもが大人になったときは、みんなが幸せで、私は日本人に生まれて良かったとなるように、この本を書きました。ちょっとだけ何かヒントを取り入れて、物の見方を少しだけ変えるだけで良いのです。何も特別なことは必要ありません。見方をちょっと変えるだけで、かなり変わりますから、ぜひ読んでもらいたいです。特に今日いらしている方は、イタリアの良さとかイタリア文化に興味がある方たちですから、多分、この本で言いたいことは分かってもらえると思いますし、広めてもらいたいです。私が10年、20年、30年後、もし日本人に「あなたは何人に生まれ変わりたいですか」と聞いたら、「日本人です」と胸を張って言えるようになっていれば、私はこの本を書いてよかったと心の底から思えると思います。最高の満足、幸せの瞬間だと思います。「日本人に生まれて良かった」となってほしいから、ぜひ広めてもらいたいです。
本の表紙にも書かれている「ヴィーヴァ ラ ヴィータ!Viva la vita!(人生万歳)」を伝えたくて、今日は来ました。
 こんな変な声で、話すのがたいへん辛かったですが、普通の声のときに又お会いできれば、嬉しいです。本当にありがとうございました。

 

橋都:マリアンジェラさん、大変面白い話をどうもありがとうございました。
 私が見るところ、イタリア研究会には、イタリア人的な方が相当に多いのではないかと思います。いかがでしょうか。何か質問があれば、受けたいと思います。どうぞ。お名前からお願いします。
小西:小西と申します。大変面白い話をありがとうございました。
 私、イタリアに行っていたことがありまして、そのときに、仕事や何かの関係でイタリア人とつきあうと、皆さん、1カ月か2カ月ぐらい、若いとき、18歳かその辺の前後だと思うのですけれども、イタリア国内とかヨーロッパを1カ月とか2カ月旅行をする.
マリアンジェラ:私も若い時にはいろいろな国をよく旅行しました。
小西:ほとんどの人が、それをやって、帰ってくるとすごく自信がつくと。場合によっては、アジアまで来ている人もいるのでしょうけれども、それは、歴史的にも古い時代から、それはあるみたいですね。それはイタリア人を作るのに役立っていますか.
マリアンジェラ:はい、その通りだと思います。ヨーロッパは陸でつながっているので動きやすいですね。その点はたいへん恵まれていると思います。私たちは大学生になったときは、必ず、大学からパスをくれます。学生パスがあって、このパスでヨーロッパ中を本当に格安で回れます。だから、経済的にも大学にいる間でないと、こういう経験ができません。もちろん経済的だけではないですが、まず経済的なメリットを生かして大学の時代に行われる理由の1つです。
 あと、イタリアの歴史は長く深いですから、イタリアが歴史上、ドイツとかフランス、スペインなど外国諸国とどのように向き合ってきたかなど、色々と見てみたい気持ちも強くあります。イタリア人は外国人に慣れていますから、外国に行くのはそんなにたいへんなことではありません。

橋都:ほかにいかがでしょうか。高崎さん。
高崎:高崎と申します。
マリアンジェラさんの日本語が素晴らしい日本語なので、ほとんど説得されてしまいそうですが、率直に言えというので、2~3、質問を。まず最初、イタリアは建築など歴史の遺産がたくさんあって、それは日本にないすごい特徴だと思うのです。観光客が何千万人も毎年来て、ものすごいお金を落としていきます。つまり、それで食べていけます。現在、何かをして食べるというのとは違うというのをどのぐらい自覚しているのかというのが1つと、つまりそのことは、私の好きな「自立更生」というのと反していると思うのです。親の遺産を食べていると。
マリアンジェラ:そうですね。でも、過去の遺産をとっても大事にして、その素晴らしさを未来に引き継いでいかなくてはいけないと強く思っています。イタリアだけの遺産ではなくて、これは世界の遺産です。
高崎:それが1つと、もう一つ、みんな幸せなのかという疑問がすごくあります。毎年行っていますが、去年行ったときも42%の若者は失業していると聞きました。それで、私も知っている30歳過ぎの男の子も、「ママ、ママ」と言って、夜になると、遊んで帰っていくのです。そういう実際と、ベルルスコーニみたいな人を平気で選ぶイタリア人を見ていると、みんな幸せで、賢いとは、とても思えないのですけれども.失礼ながら、率直に言ってみました。
マリアンジェラ:イタリア人が母親との関係が強いというのは、その通りかもしれません。家族のきずなが強いのは事実です。少し強過ぎるかもしれませんね。成人したいい年の大人がママ、ママと言って問題を起こしたというのは、時々ニュースにイタリアでもなっていますが、それは特殊な例ですね。ニュースになる訳ですから。でも、イタリアのママの存在はどこの家庭でも非常に強いのは確かです。
 若者の失業は、特に現状は厳しいです。けれども、では彼らは不幸せかというと、それが案外そうでもありません。私も、友だちがたくさんいますので、そういう現状に皆さん大きな悩みを抱えています。特に大学を出た人たちがイタリアで職を得られないから、外国で仕事を探すケースが増えています。しかし、ぜひ知ってほしいのは、「あなたは幸せか」と質問されれば、彼らには多くの問題はありますが、「幸せでない」とは絶対に答えません。私もよく友だちに、「大変じゃない? どうするの」と言っても、「大変だけど、イタリア人で良かった」と答えが戻ってきます。
 最近、このような話題を主人も含めて、たくさんのイタリア人と話しました。若者にもしましたけれども、イタリアの政治に対して色々と批判を集中させますが、もし生まれ変わったら、やっぱりイタリアしかないね、と落ち着きます。ほかの国には生まれたくないと100%言い切ります。なぜ言い切れるのかは、多分日本の頭では理解ができないと思います。
 でも、イタリアに行かれたら、絶対に「あなたは幸せ?」と聞いてほしいです。失業率が高い、政治がいい加減・・・などなど色々と批判的なことはイタリア人も言っています。でも、日本人では理解し難いかと思いますが、「でも、私は100%幸せ」と言い切るのです。国の問題は承知していますが、問題は国のこと。私個人は幸せんです、ということなのです。
 ベルルスコーニの話も、よく聞く話です。彼が悪いか悪くないかは個人差があると思いますが、私たちイタリア人は、政治家としての仕事をやっているか否かの問題が重要です。彼は政治家ですから、プライベートの生活がどうなっているかということは、そう大きな問題ではないと思っています。そういうことはイタリア人はあまり気にしません。プライベートはプライベートです。もちろん、上にいる方がどこまで、変なプライベートを送ることを許すかは、簡単な問題ではありません。私も日本が長くなっているので、彼の状況が良く分かりませんので、これ以上は語れません。私も彼の女性問題に関しては全く認められない1人で、個人的には、そういう人間とは付き合いたくありませんが、政治家をちゃんとやってくれればいいんじゃないと、ほとんどのイタリア人が思っていますから、彼がイタリアで首相という重要ポストについて、生きていけるのだと思います。多分、日本ではもう抹殺されているでしょうね。

橋都:ほかにございますでしょうか。
中川:中川と申します。
 面白い話をありがとうございます。私はカエサルなど歴史に興味を持っているのですが、家族が素晴らしいというのは、これはよく分かります。イタリアは素晴らしいということを家族が教えるのか、国がそういう方向を指示しているのか。そして、建物が何千年も前からあります。そうすると、建物が素晴らしいのはよく分かります。
マリアンジェラ:途中でごめんなさい。私が素晴らしいと思うのは、国。主人がイタリアに来たとき、彼がたいへん驚いたことの一つは、教会の中のモザイクの床を私たちは平気で歩いていることでした。こんな歴史の凝縮みたいな床をみんなが歩いたらすぐに駄目になる、なくなってしまうと言うのです。でも、イタリアの国は、国民に普通に使わせます。沢山ありすぎて全てを保存するだけの予算がないのも事実です。これはすごい財産だと思うのです。何百年もの歴史を越えてきた本物をちゃんと日常の中で使える。だから、自然とイタリア人は美の感覚、歴史の深さを肌で覚えます。
中川:当然、そうですね。それとともに、ローマ以降からの歴史とか、我が国は素晴らしいと、ヨーロッパの大本であると。ですから、そういうことを。例えば、日本の歴史教育は、とかく年号を覚えさせて、それが試験に出るといことをやっています。それはくだらないと思っているのですが、そういう歴史教育、我がローマ、イタリアは素晴らしいというのは、どんな教育をしているのですか。
マリアンジェラ:確かに日本で子どもの歴史の勉強を見ていると、年号を覚えるようにしていますね。私は、そのようなことはやったことがありませんでした。歴史の流れを紐解いて、それで考えさせる。なぜそうなったのかとか、なぜそのように対応したのかと考えさせられました。年号をきちんと覚えるということはあまりしませんでした。
中川:当然、覚えるということをやっていないと思うのですが、例えば、パンとサーカスという言葉がありますね。ああいうことの意味を、よく教えているのかなという。あれは素晴らしいアイデアなのです。
マリアンジェラ:どうでしょうか。私には分かりません。
中川:どういう歴史教育をしているのですか。おっしゃられるように、年号とかくだらないことはやっていないのは分かっているのですが、どういうことをやられているのか、ちょっと興味があります。
マリアンジェラ:専門的になるけれども、私が受けた歴史の勉強は、丸暗記はほとんどありません。すごく少ないです。授業のときは、歴史、地理とか、関連させて、全部1つの科目の中でやっていた覚えがあります。日本とはだいぶ違います。歴史というよりも、全部社会というかな。
橋都:いかがでしょうか。もう一方ぐらい、質問があればお受けしたいと思います。どうぞ。
A:きょうはありがとうございました。イタリアにいたことがあるので、子どもと一緒だったので、そのときのことを思い出しながら、聞いていました。
 イタリア人は本当によくしゃべるし、自分の気持ちを伝えるのが上手だと思います。それをイタリア人の友人と話したときに、例えば、小学校でも口頭試問が。
マリアンジェラ:これも、人間が成長していく過程の中で、たいへん重要かつ大切なものだと思います。
A:日本は、書くのは上手だったりするけれども、なかなか伝えられないというのが、もしかしたら、空気を読むとか、相手の顔色を見てあわせていくのと関係するのかなと思ったことがあるのですが、それは先生もそう思われますか。
マリアンジェラ:絶対そうです。私たちは、小学校から通信簿に成績の点数がつきますが、中学校からは全ての科目に口頭試問と筆記試験の両方が通信簿に記載されます。この本「ブリッランテな日々」にも詳しく書きました。いつ口頭試問に当たるのか分からないので、これが私たちにとって、どれぐらい大変なプレッシャーになっていたか。昨日呼ばれたから今日はない、という決まりもなく、毎日呼ばれたりする可能性があります。先生の隣で、みんなの前で質問されます。とんちんかんな答えだったら、先生に叱られるし、みんなに笑われます。これが毎日、全科目で行われるのです。
 口頭試問は、自分の意見を考えて、きちんとまとめてはっきり言うという習慣がついてきます。でも、この本にも書きましたけれども、教科書に書かれたことを言うだけではなく、「あなたは、どう思いますか」と最後は個人の意見が聞かれます。例えば、ナポレオンについて。もし、あなたがナポレオンだったら、どういう決断をしたのか。その決断は正しかったと思いますか?とか。そのようなことは当然ながら、本には何も書いてありません。なぜ自分がそのように思うのかという個人的見解が、口頭試問では比重が高く、点数につながっていきます。教科書の丸覚えはあまり良いことではないと思われています。相手は、先生という専門家ですから、個人意見もいい加減ではたいへんです。これが中学校からやられるものですから、思考力がつきます。私もこの本で、口頭試問がどのぐらい大事かということも書きました。私も東京音大で教えていますけれども、毎回、試験は口頭試問ですと言うと、「先生、そんなのやったことありません」と言います。会話の授業だから書く試験にするのは意味がないです。私はイタリア語の授業なのですから、イタリア方式でやりましょうと言うと、最初は結構嫌われるけれども、これも経験の1つだから、やりましょうと言っています。

橋都:それでは、次回のお知らせの前に、ご主人のピアニストの関孝和さんから本のご案内を、関さんにひと言。
関:こんばんは。
 きょうは、本当にたくさんの方に来ていただいて、ありがとう。東京文化会館というと、自分はピアニストなので、この大ホールをベースにしてもう十数年、コンサートをここで開いているのですけれども、去年、ここは改修工事だったので使えませんでしたが、今年も秋に大ホール・シリーズのリサイタルがあるのですけれども、第14回目になります。
 私も、彼女が言ったとおり、イタリア大好きの1人ですが、日本の音楽界というのは、ドイツ一辺倒です。音楽の都はウイーンであり、音楽の母はバッハであり、ベートーベンでありという。でも、音楽の原点はイタリアであり、ピアノが生まれたのもイタリアだし、音符を書く五線譜を生み出したのもイタリアです。全ての道はローマに通ずると言っても過言ではない世界だと思うのです。
 妻と一緒に10年ほど前に音楽用語の本を書いて、これがベストセラーになったのです。アンダンテには歩く速さなんていう意味は全くありません。ラルゴに遅いなんて意味はないとか、いろいろなことを書いて、日本の音楽界をくつがえしたのですけれども、たいへん大事なことをこの本で書いたつもりです。
 今回の新刊『ブリッランテな日々』(晶文社)は、30年間にわたる日伊の往復生活の中で感じたこと、思っていること、頭にあったことを、ぜひ夫婦で書きたくて、六十幾つかのエッセーにまとめました。彼女から見たヨーロッパ、日本。そして日本人である自分から見たヨーロッパ、日本。比較をしているわけではないのですけれども、いろいろ気がついたこと、思っていたことなどを書き綴りました。
 一度の人生なのだから、こういうふうに生きたほうがいいのではないか。自分軸をしっかり持って、視点を少し変えるのは、とても大事なのではないか。特に音楽をやる人にとっては自分を見つめることが必要ではないかと強く思っています。マリアンジェラは、日本に来てたくさんの経験をしました。多くの人と出会い、様々なところにも行きました。そんな中から、彼女の感じたことを素直に書いております。
 まだ出版されて1カ月しかたっていません。音楽の本ではないです。出たばかりなので、今のところ、2つの雑誌に書評が、最近出ましたので、一部分だけ紹介させてください。『あまりにも素晴らしく出会う人すべてにお薦めしたい。そんな本があらわれた。それぞれの視点から、ときには一緒になって、イタリア流の子どもの教育、処世術などについてのエッセーが綴られていく。古いものを大切にし、多様な価値観を認める環境。家族の団らん、素直でいることについて、心に染み入る話が続く。また大ピアニストのクリスティアン・ツィメルマン氏から関さんへの言葉『欠点は絶対になくなりませんよ。ですから、長所を大きくして、欠点を隠せばよいのです』というアドバイス。その一つ一つのどれもが宝石のよう。巻末の幸せになるための十戒を、まず見るだけで、その輝きを感じることができるだろう。そして、本文を読み進めると、ほんの一篇を読むだけで、心が軽くなるのを実感できる。日本も、確かによい国だが、日本であるがゆえに、失ったもの、見えなかったものにはっと気づかせてくれる。心の海外旅行。読み終わった後に、また十戒に戻ると、宝石たちが宝石箱に収まる。イタリアと日本それぞれのよいところを贅沢に集めてブリランテ、輝くように生きていこう」というのが1つ。
 もう一つの書評の一部分です。「楽しむ天才のイタリア人の発想は、一見お気楽に見えて、実は筋が通っている。とてもシンプルで、ヒューマンで、イマジネーションに溢れ、そう生きられたらなと思ってしまう、まじめ日本人の中にも、実は潜在的にあるもので、マリアンジェラのやさしいフレーズを読み進むうちに、五感が活性化してくる。マリアンジェラの和声を関の拍感が絞めるような本書は、文化論、音楽論、教育論とも言え、4月から新しい人生を始める人たちに、ぜひ勧めたい1冊である。後半の、作家よしもとばななとのてい談も興味深い」と書かれています。お手にとって、ぜひ読んでいただければ、納得していただける1冊だと思います。
 よしもとばななさんとの鼎談も巻末に収められています。ばななさんもイタリアで、国際的な作家になった人物ですけれども、まるでイタリアにいるような緊張感と、リラックス感が素晴らしい。何よりもヒューマン溢れる文章だという、よしもとばななさんの書評です。ぜひお読みいただければ、幸せです。あとでサインもしたいと思いますので、どうぞ。
 本当は、この会は、元は音楽会だったのです。最初に橋都先生とお会いしたときは、音楽で、ピアノ演奏をやろうと言っていたのですが、マリアンジェラと会って、本が出るということがわかると、こっちのほうが面白いから本の内容にそって講演をお願いしたいということになって、僕がキャンセルになったという今日の講演会でした。ありがとうございました。
橋都:それでは、お二人に拍手をお願いしたいと思います。どうもありがとうございました。
B:コンサートはいつですか。
関:11月の24日(火)です。また改めてご案内させていただきます。